第18話 勇気
シリアスです。
もう一話投稿してます。
別視点なので苦手な方はとばしちゃって下さい!
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井戸水を両手で掬って顔にぶつける。未だ半分微睡の中にあった意識を無理やりに叩き起こした。水を汲み上げ、せっせと運ぶ。それがこの孤児院での僕の役目だから。水を出す魔具があればもっと楽なんだけど、この孤児院にはそんなものを買う経済的な余裕はないんだって。
「あ、ユーキ。おはよー」
洗濯物を取り込みながらマリが微笑む。当然、その笑顔は他の子たちにも向けられる。特別でもなんでもない。そんなものにいちいちドキッとする自分が情けなくて、そっと顔を逸らした。
「おはよう。水、置いとくね」
「ありがと」
仕事を済ませて足早に去ろうとした。
「おはようユーキ!」
そんな僕の背に、自信に満ち溢れた明朗快活な声が掛けられる。
「おはよう、ダイ」
ダイは孤児の中でも最年長で、みんなのまとめ役だ。みんながダイを頼りにしている。もちろん僕も。
ダイは布団を両手で抱えて運んで来たところだった。
僕は挨拶だけしてそそくさとその場を後にする。けれど背中越しに聞こえてきてしまう。
「んしょっ、っと。これ頼むな!」
「ちょっと!? もっと丁寧に置いてってば!」
「これから洗うんだし変わんねーって!」
「洗うの私じゃん! 何回言ったらわかるの!」
「でた、小姑マリ」
「ほんとうざい!」
ダイは雑なところもあって、よくマリと言い合ってる。ダイはまぁ、誰と接する時もあんな感じだ。
でもマリは少し違う。若干声のトーンが高くなってるし、時折見せる笑顔の中には、淡い何かが混ざっている。
それが何かは、わかる。
ダイに見せる笑顔こそが、特別なんだ。
だから僕はダイのことが嫌いじゃないけど苦手だった。そしてそんな風に考える僕が嫌いだ。
いつものように、見たくないものから顔を逸らして一日が終わる。
そんな日々が終わろうとしていた。
◇
「身請け、ですか……」
ダイが呟く。
孤児が集められ、院長から聞かされたのは身請けの話だった。なんでも、この孤児院に出資してくれてるガルター商会という大きな商会の商会長からの話らしい。今後事業を拡大するにあたって優秀な人材が多く必要になるとかで、子どものうちから教育を施そうと考えてるんだとか。
お偉いさんの考えることはよくわからない。僕たちが優秀になるとも限らないし、元々優秀な人たちは幾らでもいると思うけど。
「これは強制ではないよ。先方も皆の意思を尊重すると言ってくれている。よく考えて決めなさい」
「わかりました」
話しやすい様にと院長が去り、孤児たちだけが残される。
「みんなはどうしたい?」
ダイが問う。
ダイが先に自分の考えを言えば、みんな頷く。それをわかってるから、僕たちが意見を言いやすい様に聞いてくれている。
「ここを出ていくの、怖い……」
そう言ったのは孤児たちの中でも、まだ幼い女の子。
「そっか。ここはいい人たちばっかだしな」
ここに来た理由は、自分から言い出さない限り聞かないのが暗黙の了解になっている。話したくないくらい辛い経験かもしれないから。
だから出て行きたくない子がいるのは当然だ。
頑張って声を振り絞った女の子に、ダイは優しく言って再び意見を募る。
「俺は、この機会を逃したくない」
僕と同い年の男子が言う。
「ガルター商会なんて凄いとこに引き取ってもらえることなんて、そんないい話たぶんもうない。それに誰か一人じゃなくてみんなでいけるなら、俺は行きたい」
満場一致とはいかない。
その後かなり話し合って、結局みんなで引き取ってもらうことに決まった。怖がってた子も「みんなが行くなら、私も行く……」とついてくることに。
「俺たちもいるから。なんかあったらすぐ言ってくれな?」
ダイが女の子の頭を撫でて安心させる様に言う。
この時、僕たちの運命が決まったんだ。
◇
引き取られる当日。
ガルター商会の方が態々孤児院まで出向いてくれた。案内も丁寧だったし、みんなからの質問にも優しく答えてくれた。話し方もしっかりしていて、流石は大商会の方だなと思った。みんなも安心してたと思う。
そして案内されたのは街の端にある工場みたいな場所。その大きな建物を見て、これからここで働いていくのかと気を引き締める。
みんなそれぞれに、思いを抱えて踏み出した。
けど僕たちの世界は、その建物の地下に足を踏み入れた途端に一変した。
全員が入ったのを確認した瞬間、扉が勢いよく閉まる。
その音に何人かが肩をビクッと震わせた。
更に暗い部屋の奥から、くぐもった唸り声が聞こえてきた。そっちに目を向けると、幾つもの小さな光が見えた。
「あ……うわぁぁぁぁ!?」
それが何か気づいた子から、腰を抜かして尻餅をつく。
光の正体は、大きな魔獣の眼だった。
パニックになった子の中には、扉から出ようとする子もいた。けれど扉は固く閉ざされていて、僕たちみたいな子どもが幾ら叩いても蹴っても開くことはなかった。
僕は恐怖で足が動かなかった。転ぶこともできずにただ立ち尽くす。
そんな僕が真っ先に喰われずに済んでいるのは、魔獣たちと僕たちの間に頑丈な柵があったから。
「来たか」
この部屋にいた大人が冷たい目で僕たちを見下ろす。
大人は数人いて、全員がマスクをつけ鼻と口元を覆っている。中には目が合うだけで命が散らされてしまうのではと思うほどに鋭い眼孔を向けてくる人もいた。魔獣よりも、怖い。
そして、一際仕立ての良い服を着た男。その腹にでっぷりと脂肪を蓄えた男だけは、下品で気持ち悪い目を向けていた。ニタニタと愉快そうに。
「まずはその女からだ」
太った男が言うと、一人が前に出てマリの腕を掴んだ。
「な、なにをするんですか……?」
怯えながら言うマリ。
しかし腕を掴んだ大人は、一瞥もくれずにマリを引っ張る。
「いやっ! 放して……ください!」
マリが抵抗すると、そいつは手を上げた。
「っ!」
マリは痛みに備えて目を瞑る。
そしてマリを殴ろうとした大人が倒れた。
「このっ、ガキ!」
「てめぇ、今なにしようとした!」
ダイが体当たりして大人を組み伏せたのだ。怒りに任せて大人を殴る。
ダイは運動神経も良かったけど、孤児院では喧嘩をしてるところなんて見たことがない。僕はダイの孤児院に入る前の話を聞かせてもらったことがあるけど、その時も荒事を経験したとは言ってなかった。それでも、咄嗟に動いて戦っている。
こんなことに慣れてる訳でもないのに。
窮地にこそ人の本性が現れるっていうけど、本当だった。
僕は怖くて動くこともできない。
ダイは一人でも、みんなを守るために戦っている。
ユーキ、なんて名前が恥ずかしい。
「おーおー、立派だねぇ」
太った男はそれすらも楽しそうに観ていた。
「ダイに続け!」
「「おう!」」
一人の男子が声を上げると、動ける子たちが大人に立ち向かった。
大人と子どもだけど、数はこっちの方が多い。もしかしたら、ここを抜け出せるかも。
そう思ったのは一瞬だった。
太った男が僕たちの足元に球体を放った。
「なんだ!?」
その球体からプシューと煙が噴き上がる。嗅いだことのない、気味悪いくらいの甘ったるい匂いが充満する。
僕は咄嗟に袖で口元を覆った。
「うっ……」
吸ってしまった子が一人、また一人と体に力が入らなくなって倒れていく。
「くそっ……」
大人と取っ組み合いをしていたダイ。口を塞ぐ余裕なんてなかった。もう殆ど体に力も入らないだろうに、まだ戦っている。
「ユーキ!」
ダイが大人からマスクを剥がして僕の足元に投げた。慌てて拾い、顔を上げるとダイと目が合う。意識を保つのも限界なのか、焦点は定まっていないのに迫力のある、頼れる僕らのリーダーの瞳。
それが僕の心に、記憶に焼き付く。
「みんなを守れ……!」
声を振り絞ったダイ。
「はい終了〜」
その後頭部を、太った男が踏み付けた。
ダイに組み伏せられていた大人は咳き込み、
「クソがっ!」
袖で口元を隠しながら、倒れたダイを蹴り付ける。
「なんで……」
なんで僕に、そんな無茶を言うんだよ。
他にも立ってる子はいるのに。
今だって、何度も何度も蹴り付けられる君を見てるだけだ。
僕には、無理だ。
それなのに、あの時のダイの眼が僕を見つめてくる。瞼の裏から、離れない。
動けない僕をみて、太った男が嘲るように口角を上げた。
「やれ」
すると大人の一人が、倒れている子の頭に刃物を突き刺した。そして頭蓋を開き、脳を取り出した。
「う……」
その悍ましい光景に、胃の中のものが溢れた。
蹲り、荒くなる呼吸を鎮めたくて深く息をする。もう顔を上げたくない。あんなものは、みたくない……!
僕が顔を伏せている間にも、その悍ましい行為は続いているのだろう。頭を開かれた子の絶叫と、それを見てしまった子の悲鳴が暗い部屋に響く。体に力が入らない筈なのに、それだけの反応をしてしまうのだ。
それに混じって不快な笑い声も聞こえてくる。
「や、やめ……」
声がした。
弱々しくて、いつもとは違うけど。
『ユーキ』
いつからか顔を逸らす様になったけど、僕を呼ぶ時の表情は忘れてない。忘れられなかったんだ。
「っ……!」
拳に力が入る。この手は何のために……!
でも、足は震えたまま。
『みんなを守れ……!』
けれど、あの眼が僕に踏み出す力をくれる。
僕が、やるんだ……!
力任せに踏み込み、低い姿勢のまま駆け出した。
走りながら煙を出す球体を拾い、マリに刃物を突きつけようとする大人の髪を引っ張って引き倒した。
「ユー、キ……」
僕は大人のマスクを上にずらし、視界を塞ぐ。露わになったその口に、煙を出す球体を押し付けた。
直に多量の煙を吸い込んだ大人の体からは、すぐに力が抜けていく。
背後に迫る大人の気配を感じて振り返る。蹴りをもろにくらったが、その足を両手で抱えて捕まえた。大人の足を持ち上げて、足首に噛みついた。
腱を噛みちぎると大人はあまりの激痛に叫びを上げる。
口の中にある不快なものを吐き出し、大人たちを睨みつける。作業の様に頭を開いていた奴らも、その手を止めて僕を警戒し始めた。
あまり荒事には慣れていないのかもしれない。
ややあって、一人が前に出てきた。
魔獣よりも威圧感のある目をした男だ。
だけど、そんな視線じゃ心に響かない。
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁァッ!」
自分を奮い立たせる。
あいつを倒さなきゃみんなを、マリを守れない……!
隙だらけで立つ男に肉薄した。
僕の攻撃なんかたいしたことないと思って油断している?
わからないけど、チャンスだ。
体を捻り、男の死角で刃物を構える。バレないように拾っておいたものだ。
それを男に突き出す。
……あれ?
突き出した筈なのに何も起こらなかった。
何かがおかしい。そう思って自分の手元を見る。僕の肘から先がなかった。
「悪いな、仕事だ」
気づいた瞬間、激痛が神経を巡る。傷口から体に熱した鉄を抉り込まれているかの様な、何も考えられなくなるほどの痛みだった。
「いいね君ぃ〜。傑作だよ」
太った男が、痛みに喘ぐ僕の傷口を踏みつける。
「ほら、もっと鳴け」
何が可笑しいのか、ニヤケ面で僕を見下ろす。
僕はない力を振り絞って、太った男の腱を噛み千切った。
太った男が足首を抑え、涙と鼻水を流してのたうち回る。
ざまぁみろ。
暫くして。
「貴様は、私が直々に処置してやる!」
そう言って、足を引き摺る太った男が刃物を僕に振りかぶった。その光景を最後に、意識が途切れた。
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