第16話 二面性
濃い霧の中。両者共に、視界は悪くなる。蕾の作り出したこの状況は、蕾にとっても戦いにくい筈。
蕾が一体何を意図しているのか。ノアには理解できなかった。
「何となく、貴女の動きには違和感がありました。重くて、速い。そういう戦い方をする人は私も知っています」
加速度を操る縁が、正にそうだ。しかし縁と照らし合わせてみても、ノアの動きには不可解な点があると、蕾は感じた。
「単順に速いと言うより、予想外に速かった。どれだけ頭の中で修正しても、貴女の速度は私の予想を上回っていた」
その思わぬ速さゆえに虚をつかれ、蕾は防御行動に移らざるを得なかった。
蕾は最初、ノアが常に加速し続けていると思っていた。
しかし、その割には彼女の速度が上がり続けても、蕾はギリギリのところで対処が出来ていた。
理由は簡単で、彼女の攻撃は蕾の最初に目視で判断した予想よりも遅れて、届いたからだ。
毎回攻撃と防御は一泊遅れてかち合っていた。肉体で感じた速さと、頭で処理した速さの差異。その違和感が常に付き纏うことにより、蕾は常に後手に回らされていた。
「つまり、貴女が速くなっていた訳ではない。私の認識がズレていたんです。私は貴女の攻撃が過剰に速く来ると思ってしまい、また間合いの外なのに届くと思ってしまった」
思えば、速いだけでは説明のつかない事柄もある。
初歩的な間合いのはかり間違え。届く筈がない攻撃が届き、逆に届く筈の攻撃が届かない。
それらの違和感を並べていくと、ノアの魔法の正体が見えてくる。
「貴女の魔法によって私は遠近感を狂わされていた。そうですよね」
実際より近くに攻撃見えることで動きが速い錯覚し、相手の身体が実際よりも近くに見えることで間合いの内にいると誤認した。
「攻撃の重さは修練の賜物。私でも受け止められるくらいですから、魔法ではない。貴女の動きを正確に捉えることさえ出来れば、魔法は封じられる」
「……そうか。だから、この霧か」
致命傷を与えるよう攻撃すれば空気は揺れ、霧が乱れる。霧の揺れ動きを細かく観察すれば、魔法に惑わされることはない。
この霧はどちらかに有利に働くものではなく、お互いに対等なるため―――魔法という相手のアドバンテージを排除するために用意されたものだ。
それはつまり、必ずしも蕾が有利になった訳ではないことを、意味している。
「だが、状況は変わら、ない。地力の勝負に、なれば、私が勝つ」
蕾がノアの攻撃を捉えられるということは、逆もまた然りである。お互いにどこから攻撃が来るか分かれば、後は競り合った時の力勝負なる。そうなればノアの勝利は確実である。
どこから来ても対応できるよう、槍を水平に構える。
―――背後から何か。霧が押しのけられ、僅かに流れが生まれている。研ぎ澄まされた感覚が、確かにそれを捉えた。
その攻撃の影に合わせてノアは身体を回転させる。そうして全身を使い、これまでで最も重さの乗った一撃を影に対して放った。
―――カアン。
その音は、思いの他軽かった。
いや、軽過ぎた。
「!?」
力で劣る蕾は必ず全体重をかけて勢いをつけた攻撃をしてくる筈。その攻撃を真っ向から跳ね退ける為、ノアもまた必要以上の力を込めた攻撃を繰り出した。しかし、彼女の予想に反して、抵抗は弱い―――殆ど無いも同然だった、
槍は空ぶったように横に流れ、重心を傾けていたノアも同様に体勢が崩れる。
無防備になった脇腹に向かって、霧の中から現れた蕾は飛び掛かる。
「はあっ―――!!」
「くそっ……」
蕾は槍を持っていない。先程の軽い攻撃は、槍を投擲したものだった。武装をしていないただの体当たり。そのこと気付いていればノアも槍を手放して近接戦に持ち込んだだろう。
しかし、ノアは矯魔師の習性ゆえに、槍で迎撃しようとしてしまった。不完全な体勢からの、無理な動き。蕾よりもどうしても動きが遅れてしまう。
訓練された矯魔師の、ありったけの運動エネルギーを込められた左ストレートが、ノアの脇腹を直撃した。
「ぐ―――っ!!」
堪らずノアは槍を手放し、脇腹を庇うように体が前に崩れる。間髪入れずに繰り出される蕾の左拳は今度は振り上げられる形で「っらあ!!」という気合の入った声と共に、ノアの顎を打ち上げた。
「……はぁ……はぁ――――――!?っつ―――!!」
蕾は頭から倒れていったノアを見て安堵し、張り詰めた糸が切れるように膝をつく。その時の軽い衝撃で、抑えられていた肩の痛みが再び蒸し返さる。
治癒魔術は魔力切れで使えないので、蕾は悶絶しながら痛みを誤魔化すように傷口を擦った。
そんな必死な様子を、ノアは上から見下ろしていた。
「何、で起きて…………ああ、私の踏み込みが浅かったんですね」
距離感の誤認。
最後に、魔法を使われた。
「―――くそっ…………」
分の悪い勝負だったとしても、勝つ気でいって負けるのは、やはり悔しい。
役割を果たせなかったのだから、尚更だ。
「分から、ない。そこまで。して……何故、庇う?お前も……魔法使いを、憎んでいた筈、だ」
「……ええ、恨んでいましたよ。私の両親と姉は、とある魔法使いに殺されました。その魔法使いはつい先日罰せられ、もうこの世にはいません」
「まだ魔法使いは、大勢いる」
「そうですね。でも、私には関係ありませんよ」
「……魔法使いは人を殺す」
「人の方が、人を多く殺していますよ」
歴史上は、比べ物にならない数が同士討ちしている。人を殺すから許せないというなら、人類すべてを許せなくなってしまう。
「私の復讐は、あの日に終わりました。だから、魔法使いという種族に対して特定の感情は抱いていませんね。私には関係ありませんから」
魔法使いにもお人好しな者、理解出来ない者、猟奇的な者、と様々だ。十人十色なのは、人間と変わらない。一意的に特性を断ずることは不可能だ。
「多分、人間と魔法使いの違いは、魔法の有無だけです。魔法が絶対悪だとは、私はもう思えない」
「魔法使いは、全員狂人だ。理解出来ない、思想を持っている」
それについては蕾も同意する。強い魔法使いほど、理解の及ばない世界観を有している。
「私の先輩は、お金の為に矯魔師をやっています。確かに……共感はしづらいですね」
魔法使いを人間と変わらないと説いた癖に、その魔法使いを金のために殺す。
前者の思想を理解すればするほど、後者の行動に共感出来なくなる。
御井葉縁の宿す狂気。
矛盾。
思えばそれは、魔法使いの資質を示していたのかもしれない。
「でもそれは、あの人の一面に過ぎないんですよ。誰にでも、狂った所の一つや二つ、あるものです」
魔法使いだから狂っているのか、狂っているから魔法使いなのか。
その答えを出すことに意味はないと、蕾は考える。
そんなことは、今どうでもいい。
「今でもあの人の冷たい部分は、少し恐いです。でも同時に、優しい人でもありますす」
敵陣に飛び込んで行ったのは、他に犠牲を出さない為。衝動的に動いたのは、一般人に危害を加えたことへの怒り。
縁はいつもそうだ、と蕾は改めて振り返る。
自分の時も、冷たい風を装っていてその実、他人思いで自己犠牲的な部分を持っている。
縁は否定しても、蕾はそう思っている
だから蕾は、縁に恐怖を覚えた。
その恐怖は理解出来ない存在への畏怖ではない。恐れの根元にあったのは、離れて行ってしまうことへの憂いであった。
どこか遠くいってしまう。
このまま走り続けて、殺し続ければ、手が届かなくなる。一緒にいられなくなる。
そんな予感が、蕾の心をざわめかせた。
「ノアさんも、心当たりがあるんじゃないですか?」
「……ない。そんな、ことは―――」
「灰かぶりの魔法使いは、どうでしたか?」
「あいつ、は!仲間を、殺した!数百年。多くの人を、殺した!人の弱みにつけこんで、操り!使い捨てる!」
「……でも、仲間を助ける為に無謀な賭けに出る」
「違う!……そんな、こと……」
鉄砲玉扱いするくせに、人質に取られれば助けようとする。
冷徹で、仲間思い。
その二面性には、ノアも気付いていた。
「あんなものなんですよ、魔法使いって。だから、絶対悪にはならない」
絶対悪でないぶん、余計に質が悪い。矛盾の塊。一つ一つの思想を抜き出せば、理解できてしまう。
合わさればとんでもない世界観が出来上がるが、要素自体は普通。
「すべての魔法使いを憎み、根絶することに大義はありません。それはただの八つ当たりです」
復讐の残滓。それ自体に意味はない。
縁が自称するところの、人殺し。
「目的がなければ、馬鹿らしくありませんか?」
「…………私はもう、戻れない」
「戻りたいんですか?」
無意識に出た言葉に、ノアはばつが悪そうに顔を背ける。
自分の行動が空虚な自棄であることを、ノアも薄々分かっていた。
「……今更、だ。私のせいで、何人、死んだ?」
「助けた人もいるでしょう?」
「信頼を、得る為だ」
「悪いことをすれば、一生悪者でい続ける訳ではありません。やり直すことも、取り戻すことも、不可能じゃありません」
無論、簡単なことではない。
縁が蕾を止めたように、初めから道を踏み外さないように努めることよりも、外れた道へ戻ることはの方が断然困難だ。
「―――やっぱり、駄目だ。お前の、言う通り、戻れるのだと、しても。私はまだ、魔法使いを許せない」
「妹さんを殺した魔法使いはもういませんよ?」
「仲間が殺されたんだ」
ノアの過去いた仲間達は、全員灰かぶりの魔法使いによって殺された。
蕾も、もし縁が魔法使い(殺されたら。姉の時と同様にその魔法使いを許せないだろう。
「なら、その先はどうですか?」
どれだけ理由を探しても、いづれ復讐は終わる。
未来を考える分岐点は、必ず訪れる。
「灰かぶりの魔法使いを罰した後、ノアさんはどうしたいんですか?」
今のように、無意味な自棄を続けて、魔法使いを殺し続けるのか。或いは、別の道を模索するのか。
それ以上でもそれ以下でも無い。蕾の問いは一貫している。
ノアが答えないという選択を取ることを許さない。かつて自分が、そうして貰ったように。
「私、は―――」
目を反らしても追ってくる蕾の視線に耐えきれず、ノアは答えを口にした。
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