第17話 正体
日付が変わろうとする時刻。町に光は少なく、街灯を除けは明かりの灯っている建物は限られていた。
その数少ない建物の中に、縁の入院していた総合病院はあった。その病院は夜間でも患者を受け入れているため、受付などの一部の施設は深夜を回っても通常通り稼働している。
そして、病院の屋上にいた彼女は、まるで見つけてくれとでも言いたげな様子で佇んでいた。
少ない星明りで照らされたその姿は、退院間近で縁に診察を行った、女性の精神科医である。
目的の人物を認めた縁は声を掛けようとしたが、それよりも先に彼女は口を開いた。
「君が来るということは、ノアは諦めたんだね。本当の私の姿を知っているのは、彼女だけだ」
「……ああ。まさか貴女だとは思わなかったよ」
この女医こそが、ノアが明かした灰かぶりの魔法使いの正体だった。逃がさないよう、足の速い縁が一人で先に病院に来たのだが、その心配はどうやら杞憂のようだった。
「逃げなかったんだね」
「顔が割れてる状態で、君から逃げられるとは思えない。仮に今逃げ切れたとして。君達は私を絶対に見逃さないだろう?私を示す羅針盤は、もう完成しているかい?」
特定の魔力の場所を特定する道具。過去数百年、直接確認されていなかったからこそ、灰かぶりの魔法使いは羅針盤による追跡を躱すことが出来た。
それが出来なくなった今、戦闘能力自体は乏しい魔法使いが逃げ続けられる確率は低いだろう。
「さあね。あれは本部の方でいつの間にか作られるものだし、私に知る由は無い」
「相変わらず秘密主義の組織だ。嫌になる」
これまでの苛立ちを表すかのように、灰かぶりの魔法使いは愚痴る。
「……貴女が力を貸した人間達は、私がみる限りでは全員が逃げの思考を持っているというか……自分とは違う何かに依存していた。極論を言えば、精神的に弱っていた人達だった」
他者に盲点を作る魔法。
自分の持てる範囲で、どんなものでも作り出す魔法。
家族と称した人形を操る魔法。
空間を繋げて、仲間へ続く逃げ道を作る魔法。
トラウマである爆発を起こす魔法。
皆何かを恐れて、何かから逃げていた。
持っている世界観が似通るっていたのは、偶然ではないだろう。
「その職にいれば、彼ら、彼女らを容易く洗脳出来るだろうね」
「洗脳じゃない。治療と言ってくれたまえ」
彼女の正体が精神科医だと聞かされて、納得感はあった。
精神的に沈んでいる人間。傷ついている人間。拠り所を探している人間。
依存させやすい人間を集めるのに、精神科医という職は上手く嵌まったに違いない。
「……しかし、その中でもノアは―――過去の仲間たちの中でも、一際自我の薄い娘だったのだがね。まさか彼女が……人間というのはよく分からないものだ」
「これ以上、こんな馬鹿馬鹿しいことはしたくないってさ」
自分の行為を、正当性も理由付けもない自棄であると認識した。
灰かぶりの魔法使いの正体を吐いたのは、彼女の最後の復讐だ。
妹を殺した魔法使い。仲間を殺した魔法使い。
全ていなくなれば、これ以上彼女が矯魔師でい続ける理由はない。
「全ての魔法使いを殺す。彼女は最初からそんな大それたこと望んでいないし、そこまで恨んでもいなかった。その結果だ」
魔法使いが全員人殺しというのは極論であるし、またノアは人を殺す魔法使いが全員許せないほど正義感や使命感が強い訳ではない。
ただどうすればいいか分からないから、自棄になっていただけだ。
「戻れると思っているんだ。甘いことだね」
「彼女が裏切ったのは事実だけど、そののおかげでお前を殺せるんだ。委員会から見れば、収支は大幅にプラスだよ」
「それは冷たいことだ。……君にはまんまと誘い出されてしまったね。まるでこの結果になるのが分かっているようだった。どうして、ノアが私の正体を知っていると分かったんだい?」
人質の目的は灰かぶりの魔法使いを町から逃がさないことと、ノアを戦場に引っ張り出すことだった。
ノアは拷問しても口を割る保証はない。蕾が説得するのが最も確率が高いだろうと縁は判断した。
全て上手く行ったから良かったものの、博打であることは否めないだろう。
蕾が説得に失敗する可能性も多いにあり、そもそもノアが聞きたい情報を知っている保証がない。
裏切り者がいることは情報が知られ過ぎていることから薄々分かっており、ノアがその裏切り者であることも特定していた。
だが、ノアが他の仲間達のように灰かぶりの魔法使いの正体を知っていない可能性は十分にあった。
「君は数万人を殺してきた殺人鬼だけど、これまで委員会に直接ケンカを売ろうとはしなかった。そうなると、君から裏切りを持ちかけるとは考えにくい。ノアの方が、君に話を持ち掛けたんだろう?」
ノアは仲間をすべて殺されて、灰かぶりの魔法使いには逃げられた。その報告は、ノアの自己申告だ。裏切者である以上、真実が違っていても驚きはない。
「つまり、逆だった。仲間を殺されても、ノアはお前を追い詰めていたんだ。裏切りを提案したのはノアからで、お前は自分の命を人質に要求を飲まざるを得なかった」
「……ああ。あれは取引だったんだよ。彼女はあの時、私を殺すつもりで追い詰めた。しかしそこに至るまで仲間は死に絶え、私と対面した瞬間、違う目的を見出した」
妹を殺され。仲間と出会い、仲間を殺された。その時、ノアには何も残っていなかった。
灰かぶりの魔法使いを殺してしまえば、彼女の復讐は終わる。
復讐の先の未来を想像できなかった彼女は、目の前で虫の息であった魔法使いを見て、考えてしまった。
この魔法使いを利用しすれば大義が生まれる、と。
「しかし、だからこそ私のことは話さないと思っていた。私が死ねば彼女の逃避は終わってしまうからね。彼女が絆されたのも想定外だ。そこに関しては、君の後輩をほめた方が良いかな?」
「ええ。蕾は本当によくやってくれたよ」
裏切った矯魔師をこちら側に引き込んで情報を引き出せば、逆にこちら側が有利になる。
しかし彼女は魔法使いに誑かされた訳ではない。自分から計画した裏切り。拷問でも口を割ることは無い。裏切ること自体が目的なのだから、他に金銭や立場などの利のある取引を提示しても靡かない。
彼女の説得には暴力も打算も通じない。別の切り口からの説得が必要だった。
それは木式にも縁にも出来ないことだ。魔法使いを憎んでいる他の矯魔師たちも同様である。
魔法使いをもう憎んでいない、蕾にしか出来ない唯一のこと。縁の期待通り、蕾はその役割を果たしてくれた。
「裏切られて死ぬ、か。嫌な最期だ。……まあでも、友達に裏切られるならまだましな方か」
「友達?」
「少なくとも私はそう思っているよ。私が死ねば、人質は全員無事に返してもらえるんだね」
委員会は人間を殺しはしない。大義が無くなるからだ。最期になって心配することが、仲間の命。意外……というには、縁は灰かぶりの魔法使いを知りすぎた。
「まるで本当に大事にしているみたいに言うね。特攻までさせたのに」
「私もさせたくなかった。でも、彼が望んだことだから」
「洗脳した相手でしょ?」
「治療だよ。いっただろ。私はただ……あの子達に力を上げただけだ。あの子達がやりたいことを、助けたいだけ」
「大量虐殺を?」
その問いには答えず、彼女はただ縁のことを黙って見つめた。彼女の眼を見て、ああ、あながち間違いでもないのだな、と縁は思う。
彼女にとって助けることは、力を与えること。力とは魔法。魔法の使い方は様々で、薬にもなれば毒なる。小さい力でも集まればとてつもない被害をもたらすことは、先の襲撃からも想像は容易い。
そして彼女の元に集い、依存する人間は全て、歪んだ負の世界観を持っている。
他者に対して、広がれば世界に対して不満を持ち、何かを訴えた人々が、彼女の言う「友達」だ。
戦争。革命。テロリズム。
世界を破壊したい、終わらせたいという結論に達しても、不思議ではないのかもしれない。
魔法使いはそういった、ある種真っ当な理由で力を振るうことは少ない。
食べる為に殺したり、静かにさせたくて殺したり。理解出来ない世界観を有しているが、突然大きな力を持ってしまった時に普通なら考えるような、金や権力、大義の為に力を使わない。
強い魔法使いは得てしてそういう存在だ。
しかし灰かぶりの魔法使いが力を与えたのは、少し気持ちが下向いているだけの、一般人である。
魔法使いが取らない選択を、彼らは取ってしまう。
「私の最初の友達は、とても優しい奴だったよ。気味の悪い力を持つ私にも平等に接してくれる、気の良い奴だ。彼は……人間に殺された」
こことは違う、どこか遠く見るように、彼女は過去を語り始めた。
「当時私達が住んでいた国は軍事政権でね。市民弾圧なんて日常。彼は優しい奴だった。だから見ず知らずの人間を庇って、死んだ。彼は好かれる奴でね。私以外にもたくさん友達がいた。皮肉なことに、私と彼等はそれまでは互いに不干渉だったけど、彼の死の悲しみを共有することで、友達になった」
縁は、傷の舐め合いだ、とは言えなかった。それは、友達と言えないだろう、とも指摘出来なかった。
言ったところで理解されない。彼女にとって友達とはそういうものなのだ。
「彼はよく、私の魔法は友達の夢を叶えられる力だ、と口にしていた。友達から見た理想の世界を、実現させる力だと。どんな魔法を使えるかは友達次第。私には多くの友達が出来た。彼等の気持ちは一つだった。私も含めてね」
「……それで革命、か」
魔法を使った軍事政権の打倒。弾圧されていた怨みと怒りを乗せた魔法。その友達の魔法は、きっと悲しく酷いものだったのだろう。
「だから、自分は正しかった?」
「私は自分の正しさなんてどうだっていい。友達の夢を叶えたいだけなんだ。そうすれば、友達はずっと一緒にいてくれる。そう思っていたのだけど……」
結局、最後の最後で裏切られた。
ノアの為に起こした不始末は、彼女が一人で背負っていく。酷い話だ、と他人事ながら縁は思う。
「後悔している?」
「する訳ないだろ?」
友達を守れるんだ。
彼女は誇るように、最期の言葉を口にする。
縁は彼女の言葉は聞くに耐えないと感じ、一思いに頭蓋を貫いた。
後処理を補佐官に任せて帰路についた頃、病院の入口前に設置された時計を見ると、針は0時を少し越えていた。
彼女の魔法は、永久にこの世界から消え去った。
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