第8話 秘密
縁の入院している総合病院には、他にも先の事件で傷ついた者たちが多数入院している。
矯魔師であるノアもその一人だ。
彼女の病室に蕾と結城が訪れていた。
「ノアさんももう直ぐ退院ですね」
「うん。心配を、かけた。貴女、達のお陰で、生き延びること、が出来た」
「そんな……私のせいですよ。ノアさんは私を庇って……私がちゃんとしていれば……」
結城は俯きがら自身を責める。
ノアの容体は完治したが、背中の痛々しい火傷跡までは消えていない。魔術が補えるのは自然治癒力の範疇であり、自然に治らない傷までには及ばない。
恩人に消せない傷を負わせてしまったことに、結城は罪悪感に苛まれていた。
「顔を、上げて。私が勝手にしたこと、だから」
「でも……」
「そんな顔、されたら、まるで私が、間違ったことを、してしまったみたい」
ノアの言葉でハッとなり、結城は顔を上げた。
「うん、それで、良い」
「―――!本当に、ありがとうございます」
「それで、蕾……だった?私も、ということは、あの人も、退院する?」
「先輩のことでしょうか?はい。その予定と聞いています」
「あの人にも、お礼をしないと……」
縁が迅速に魔術で応急措置をしなければ、ノアの助かる確率はさらに低くなっていた。
「是非そうして下さい。先輩のことですからまた「必要ない」とか空気読まずに言うかもしれませんけどね。口が悪くても根は良い人ですから」
「そう……蕾は、会いに行って、ない?」
「私ですか?」
「先輩、何でしょ?」
「……そうですね」
縁の容体が安定したことは、木式から聞き及んでいた。
時間を作れば彼女と面会することも叶った筈である。
しかし、蕾は縁の病室に足を運ぼうとはしなかった。
どうして?
しっかりと完治してからでないと迷惑だろう。そう自分に言い聞かせて、蕾は自身の気持ちに蓋をしていた。
今となってはノアが指摘するように、その言い訳も通用しない。
「今日、向かおうと思います」
蕾は決心し、怖じ気づかないよう、二人にそう宣言した。
二人に別れを告げて退室し、木式から聞いていた縁の病室へと歩を進める。
蕾の足取りは重い。
どうして蕾は、縁と会うのを躊躇っていたのか。
あの時の縁に。
いつもとは違った彼女に。
幾ばくかの恐怖を覚えたからだった。
※※※
「失礼します」
蕾がそう断って入室した。病室には木式と綾継の姿は無い。
「あ、蕾。来てくれたんだ。わざわざを悪いね」
縁は手を振りながら蕾を出迎えた。
いつものようにぶっきらぼうで、ドライな応答。
その冷たさの中に優しさがあることを蕾は知っている。
しかし今、彼女から発せられる緊迫した雰囲気を、蕾は確かに感じ取っていた。
(綾継さんと木式さんも来てた筈。もう用事は済んだのですね)
二人はこれから起こることに向けて、既に行動を始めている。
世界で最も危険であると見なされた魔法使いを相手取る。自身の経験したことの無い熾烈な魔法狩りがこれから行われることを、蕾は予感した。
魔法使いと矯魔師の戦い。いや、戦争が始まる。
ならばこそ、自分の中に燻るしこりは解決しておくべきだった。
「先輩。聞いても良いですか?」
「何?」
「どうして敵陣に突っ込むなんて無茶をしたんですか?」
早急に首謀者を叩くのは確かに合理的だ。しかし、敵の作り出した空間の割れ目を通るのはあまりにもリスクが大きすぎる。
縁の行動は理論的なようでいてその実、衝動的なものだと言わざるを得ない。
彼女は守銭奴で、採算の合わない行動はとにかく嫌う。
優しい側面も持っているが、あくまでもそれは一面に過ぎない。
空腹の魔法使いとの戦いがそうであるように、時には後輩を囮にし、同輩を殿に据える冷酷な面も存在する。
命大事に。お金はその次に大事。
彼女の信条から考えても、先の件での彼女の行動は、彼女が自嘲するように「らしくない」と言う他ない。
「どうしてノアさんを任せて一人で行動したんですか?」
「……あの時言ったでしょ。必要だったからだよ」
「違いますよね」
彼女の言葉が嘘であることは、これまでの彼女の行動が証明している。
「二手に分かれるのは、あの状況ではリスクが大きい。あの時の先輩は、無理な理屈を通してでも一人になろうとしていた」
縁が一人になったのは、実のところ自身が魔法使いだからだ。
魔法の介在しない戦力に対抗出来る唯一の矯魔師。
しかし、そのことを蕾には話せない。
縁は現在でも委員会において微妙な立ち位置にある。
これ以上の無用な詮索と疑惑を避けるため、彼女が魔法を使えることを知っているのは彼女を委員会に引き入れた木式を筆頭とした、「主の義体」達のみなのだ。
(迂闊な行動が過ぎたか。どうしたもんかね……)
「先輩が何か隠し事は知っています。何か、普通の矯魔師とは違うことは私にも分かります」
「……」
蕾を納得させられるような言い訳を考えていたところ、挟み込まれたのはそんな想像だにしていなかった発言である。
蕾が最初に疑問に思ったのは、空腹の魔法使いとの戦いだった。彼女はその戦いの結末を見る前に気絶してしまったので、縁が如何にして敵を打破したかは分からなかった。
蕾が最後に見たのは、自分の首が締め上げられたタイミングで縁の槍が飛んできた場面。空腹の魔法使いがその投擲を躱して、縁の位置を特定したことで反撃に転じようとしていた。
そこまでは記憶にある。
縁は槍が無いのに、どうやって魔法使いに対抗したのか?魔法使いの強さをよく知っている矯魔師ならば、疑問に思わない方が難しい。
主の義体。委員会の最終兵器は、他の矯魔師とは違う武器が与えられる。特別な武器を扱う彼らの力は人外の領域にいると一般の矯魔師達の間では称されている。
縁も主の義体に近しい力を有しているのではないか。蕾はそう考えている。
けれど。縁の疑心の根幹はそこではない。
「その上で、あの時の先輩は先輩らしくありませんでした」
特別な力を持っていると言っても、縁の性格が冷徹で、少し優しくて、守銭奴なことは変わらない。力の有無で彼女の性格に沿わない行動を説明は出来ないのだ。
ならば、彼女の行動には他に理由があると考える。1週間経っても、蕾にはその理由が分からなかった。
「……なんでだろう。自分でもよく分からない。ああ、別にはぐらかそうって訳じゃないよ?本当に分からないんだ」
理屈で改めて考えれば、縁の行動はちぐはぐであった。
他人に指摘されて初めて気づくくらいには、自然と不合理な行動に出てしまっていた。
(どうして?)
縁は、自身の感情を回顧した。理屈に頼っては一向に解が得られないのだから、感情に目を向けるしかなかった。
どうして一人になった?
どうして一対多数の大立ち回りを演じた?
どうして無茶な攻勢に転じた?
あの時、自分は何を思った?
(いや、考えていなかったのか?咄嗟に身体が動いて、気付いたら採算の取れない行動をしてしまった)
感情的な行動。
つまりは、衝動。
何故起こった?
分からない。
(自分のこととなるとこれか。蕾に偉そうに講釈垂れていた場合じゃないね)
自分の気持ちも分からない人間に、「自分で決めろ」とは言われたくないだろう。
「蕾の言う通り、私は蕾には言えないことがある。だから、話はこれで終わりにしよう」
教えるつもりはないと、そう態度で示して、話を打ち切る。
「私達の問題なんかよりも、先ずは灰かぶりの魔法使いだよ。これ以上やられっぱなしって訳にもいかない」
「それは―――」
蕾が言い淀む。
正論だった。
正しくて、狡い論法だった。
「私は私で行動する。蕾達にも木式から命令が下る筈だ。それまでは待機。いいね?」
「……失礼します」
蕾は追求しなかった。
聞いても無駄だと感じたからだ。
そして、多くを語らずに、一言だけ断って病室を出る。
あの時。縁に少しばかりの恐怖を覚えていたことを、蕾は一切口には出さなかった。
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