第7話 化物
倒れた縁を回収したのは、事前に場所を伝えられていた綾継補佐官だった。
目も当てられない状況であった彼女はそのまま市内の総合病院に入院することになる。
そして入院して一週間が経過した後。縁は診察室にいた。
あちらこちらに包帯巻かれ湿布が貼られているその姿は、実に痛々しいものであった。
しかし実際のところ、まだ包帯は外せないが骨折は一週間掛けた治癒魔術でほぼほぼ治っており、擦過傷も治癒魔術を併用すれば、あと数日も経たずに塞ぐだろうと予想されている。
多くの補佐官による治癒魔術によって、縁は普通ではあり得ない速さで傷を完治させた。
では、そんな退院間近の彼女がどうして診療室にいるのか。
彼女は今、黒の服に白衣を羽織り、黒髪を後ろでまとめた女医と対面している。
「だから、私の怪我は駅前の騒動とは関係なくてですね……」
「では一体、何故そうもボロボロの状態だったのですか?」
「それは……子供には、ふと冒険に繰り出したいと思う時期があるんですよ。冒険に多少の怪我はつきものです」
「……成る程。では御井葉さん。貴女はおいくつでしょか?」
「十七歳☆」
ウインクしながら精一杯明るく振る舞うが、二人の間には微妙な沈黙が流れるのみだった。
「……十七歳が冒険?」
「冒険に年齢は関係ありません。人間誰しも大人になりきれない部分を持って、言い換えれば自身の未熟を飲み込んで生きていくでしょう。我々は誰もが子供であり、冒険者であると言えるのです」
「……」
「しっくり来ませんか?だったら言葉を変えてみてください。中二病。モラトリアム。自分探し。等々、当てはまる言葉はいくらでもあります。そう。人生にはあらゆる冒険があります。そんな日々を送る我々は全員が冒険者だと言え―――」
「ふざけいるんですか!」
堪忍袋の緒が切れて、女医の怒声が診察室に響く。
「せ、先生。病院ではお静かに……」
「今!貴女が!私に!常識を説くのですか!?」
「……ごもっともです。調子に乗りました」
流石にやり過ぎたと思い、縁は謝罪の意味を込めてペコリと頭を下げた。
「はあ、私は貴女の敵ではない。いい加減本当のことを話してくれませんか?」
目の前の女医は大きくため息をつき、トントンとカルテをペン先で叩く。
「御井葉縁さん。貴女は一週間前―――波丘駅で凄惨な事件があった日の深夜、この病院に運ばれました。それも全身に擦過傷のある、血塗れの状態で。一般人である貴女がそのような重症を負った原因にあの事件が関わっているのは明白です」
関わっているどころか、縁は中心にいた。
しかし事件の首謀者が実は魔法使いで、自分は魔法使いたちと戦っていたのだ、とは話せない。話しても信じて貰えないだろう。
「御井葉さん。私は貴女の敵ではありません。貴女がどれだけひどい目に遭って、深い傷を負ったのか。軽はずみに理解できるなどと、口が裂けても言えません。ですが院内には御井葉さんと同じ境遇の患者は多くおり、私の仕事はそのような方々のサポートです。話して貰えれば、少しは力になれると思いますよ?」
女医は優しく諭すように、そう言った。
灰かぶりの魔法使いが起こした事件は、大きな被害をもたらした。
死者7名
重傷者32名
軽傷者63名
現実に残る傷だけではない。
戦争やテロに近い、凄惨な現場である。血や死体を直に見た者の中には心にも大きな傷を負い、今後の社会生活に支障が出かねない人々もいた。
特にその場にいた未成年者らの心のケアは、事件の原因特定と同じく大きな問題として世間からは捉えられている。
ある程度怪我が完治した縁が精神科医であるこの女医に呼ばれたのは、そのような背景があった。
(死体、か。綺麗に整えられていないそれは初めて見るのは、普通ならトラウマに成りかねない出来事なんだろうね。私はどうだったかな?いつから人の死に……人殺しに慣れたのだろう)
自分が最初に人を殺した時のことを思い起こす。
縁が最初に殺したのは、魔法使いだった。
矯魔師としてではなく、人間として、そして✕✕として、縁は✕✕を殺した。
(泣いてたっけ。いや、笑ってたのかな?覚えてないな)
最初の記憶が霞んでしまう程に、縁は人殺しが日常になっていた。
(……そういうのは、ずっと心を蝕むのが正常なのかな。だったら私は、最初から化物か)
自身が化物であることを、縁は否定しない。どころか、納得してしまった感すらある。
化物でもなければ、✕✕✕なんて出来ないだろう。そう結論付けた。
「先生。私は大丈夫です」
「でもその傷は―――」
「違います。事件に関係あるとかないとか、そういう配慮は必要ない、ってことです」
「え?」
縁は女医の理解を待たずに立ち上がった。
「どうか、他の人に時間を当てて下さい。私には不要です」
化物に、治療は必要ない。
縁は診察室を後にした。
出る際に女医が焦って名前を呼ぶ声が聞こえたが、無視する。彼女も「大丈夫」と面と向かって言い張る人間を止めることは出来なかった。
(私はもう化物だ)
後輩には選択の余地が残されているが、縁は既に失われている。
やるべきことは決められているのだ。それ以外の道を進むことは許されない。
(灰かぶりの魔法使い。あいつも同類だ)
無差別に、理由もなく人を殺す。
そしてそのことを面白いと宣う、紛れもない化物。
化物は、化物でしか相手は出来ない。
※※※
自身の病室に戻った時、そこでは綾継補佐官が待っていた。
縁は一週間殆ど寝込んでいて、目覚めた後は検査や診察などの諸々で忙しい身であった。
その為、綾継とこうして落ち着いて対面するのもしばらくである。
「ん。お疲れ。厄介事は済ませてきたよ」
「すみません。お手を煩わせてしまって。本来なら御井葉一等官が事件と関連付けられることは避けるべきだったのですが……どうしても病院の力が必要でしたので」
魔法使いや委員会の存在は公にされていない。もしもバレてしまえば社会は混乱してしまうのは想像に難くなく、何より委員会にとっても魔法狩りする際にデメリットしか生まない。
例えば今回の場合、縁が病院にいるという情報が漏れれば魔法使い達が報復に来る可能性は高いだろう。
他にも顔を覚えられれば警戒され、その分討罰が難しくなる。
力で劣っている相手に情報戦まで遅れを取ってはいけないのだ。
よって矯魔師が先程の縁のように、一般の人間達から追求を受ける事態になるのは非常に都合が悪い。
「仕方ないよ。私の傷は魔術だけで治癒出来る範疇を越えていた。あのままなら私は死んでただろうね」
縁はベッドに勢い良く腰を下ろして、「ん―――」と大きく伸びをした。
「もうじき退院かな。これも綾継さん達が治療魔術をかけてくれたお陰だね。今更だけど、スムーズに行き過ぎじゃない?」
「委員会が手を回してくれたので。御井葉一等官の容態は早期に完治してもおかしくないものに変えられ、病院側には伝わっています」
「ま、そんなところか」
普通、骨折が一週間で完治することはない。
そのような表の世界への言い訳を作ることは、委員会の十八番でもある。
「私の情報が秘匿されている状況なのは良いとして。じゃあ、今私が生きているのはどういうとこかな?」
縁は目覚めた時から、最も疑問に思っていたことを口にする。
「灰かぶりの魔法使いが矯魔師を狙っていたのは明白だ。市内の病院で昏睡状態だった私なんて、あいつにしたら格好の的だと思うけど?」
「それは―――」
「僕が牽制していたからだよ」
病室の扉が開き、聞き覚えのある声が挟まれる。
声の主は縁の前まで近づいて来る。綾継は会話を打ち切って後ろに下がる。
「縁。元気になって良かったよ」
「やっぱり貴女か」
現れたのは高身長のモデル体型をした東洋系の美女だ。
木式春雨。
縁の直属の上司であり、聖罰委員会の最高権力者―――主の義体の一人である。
彼女がいればどんな魔法使いも迂闊に手は出せず、また行き当たりばったりの攻撃では彼女は打破してしまう。
埒外の絶対的な戦力。それが主の義体だ。
「命の恩人に向かってその言い方はないんじゃないかな?」
「貴女にとって、私が必要だから助けたのでしょう?私が執拗にありがたがる義理はない」
「冷たいなあ」
木式は縁の態度を気にする様子はない。面白そうに縁を見下ろしている。
この二人の関係性は実に合理的なもので、拝金主義的なものである。
縁が魔法使いであるにも拘わらず矯魔師として活動出来ている事実。
そしてそんな彼女の上司。木式は雇用した張本人だ。
彼女達を繋ぐのは、「親愛」のような綺麗なものではない。
彼女達はお互いにお互いを利用し合っている。
自分に利用価値があることを縁は理解していた。
だからこそ縁はわざわざ感謝を述べることはないし、また自分が同じ立場なら見返りを求めずに木式を助ける。
二人にとってはその関係こそが正常である、と縁は認識していた。
「日本に来てたんだね。それ程の事態ってことか」
「ああ。状況が変わった。一週前のような事件がこれからも繰り返されるとしたら、灰かぶりの魔法使いは今世界で最も危険な魔法使いと言っても過言じゃない」
「そうだね。間違ってないと思う。一般人にも容赦のない精神性。そして今回は1ヶ所だったけど、複数の場所で同時に大規模な騒動を起こすことが出来る魔法。その二つが合わされば、被害の規模は想像がつかない」
「幸か不幸か。先の事件の失敗は、委員会が本腰を入れる理由になったよ」
あの場に集められたのは縁以外にも全員が手練れの矯魔師であった。
彼らが為す統べなく殺された・重症を負わされことは、事態の深刻さを委員会に突き付けた。
「それで貴女が直接来た訳か」
「我々は現在、情報戦において不利な立場を強いられている。少しでも戦力に厚みが必要だったが、猶予もそう多くはない。その突貫工事の第一兵として、私に白羽の矢が立ったのさ」
「情報戦……」
灰かぶりの魔法使いが実弾や爆弾を使うことは、これまでの委員会の記録では無かった。知っていればもう少し警戒が出来た筈だ。
何をしてくるかが分かれば、対策の方針も立つ。
「木式。灰かぶりの魔法使いは、影武者を使ってくる。その影武者は勿論、魔法使いだ」
「……そうか。そんなことだろうと思ったよ。不意を突かれでもしなかったら、君が無様に敗走するとは考えられない」
「悪かったね。無様で」
「しかしそれが本当なら、委員会の情報は殆ど無に帰したも同然だ。相手がこれまでも影武者を使ってきたのなら、委員会は恐らく、一度も灰かぶりの魔法使いに出会っていない」
「うん。時間的な制約があるのは事実だろうけど、姿や魔力の質が変わるという情報は誤りだった。正しくは、その複数人いる影武者達にしか、委員会は出会って来なかったんだ」
生物として違うのは当然だった。元々別々の個体を、同一のものとして委員会側が勝手に錯覚してしまっただけなのだ。
いや、その錯覚すらも灰かぶりの魔法使いの掌の上なのかもしれない。
「あいつ等は、影武者のことを保険と言っていた。魔法を使える影武者が保険として機能する。つまり灰かぶりの魔法使い本人は魔法を使えない可能性が高い。だからこそ影武者を用意するし、自分はすぐに戦場から離脱した」
その用心深さまで考慮すれば、灰かぶりの魔法使いは一度も委員会と接触していないという結論に至る。
ゲーム感覚で人を殺すが、その実やり方はどこまでも狡猾で慎重。
「やりにくい相手だ。例え兵隊を幾ら捕えても根本的な解決にはならない」
一度も姿を現したことのない人間を探し出す。痕跡すら残っていない相手に対してそれを行うのは不可能に近い。
しかしその不可能を可能にしなければ、灰かぶりの魔法使いは再び兵隊を用意し、同じような事件を繰り返すだろう。
「解決策は、一つしかない」
縁は一つだけ、灰かぶりの魔法使いを追い詰める策が頭の中に浮かんでいた。
木式も同様にその考えに至っていたが、彼女の表情は暗い。
「だが、可能なのか?」
「私では無理。木式にもね。私たちは所詮、化け物でしかない」
「はは、確かにその通りだ」
縁は人を殺すことで金銭を求めた。
木式もその点で一致している。
灰かぶりの魔法使いは弁解の余地なく化け物である。
化け物に対抗出来るのは化け物しかいない。
しかし、相手が真正面から向かって来なければ?のらりくらりと逃走する相手だったなら?話は変わってくる。
「でも、出来るよ。そう信じるしかない」
化け物達は、戦うことしかできない。
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