第6話 混乱(4)
灰かぶりの魔法使いが力を与えた人間達は、本物の魔法使いとも遜色ない実力を有していた。
時間という制約があったとしても、自身と同じ魔法使いを量産するなんて規格外も甚だしい魔法である。
そこで縁は、ある可能性に思い至った。
灰かぶりの魔法使い個人はどうなのだろう、と。
魔法は魔術とは比べられないほど複雑で強力な事象を引き起こす。
魔法とは複雑で奥が深いものであることを、半分魔法使いでもある縁はよく理解していた。
故に魔法使いは基本的に一つの魔法しか扱えない。一つを極めた魔法使いの方が器用貧乏に多種類の魔法を使う魔法使いよりも圧倒的に驚異となる。
特に名有りが扱うものは、唯一無二の魔法だ。
灰かぶりの魔法使いが扱える魔法も他の名有り達の例に漏れず、人間に力を与える魔法一つだけであると、縁は結論付けた。
灰かぶりの魔法使いは力を他者に与えることは出来ても、自分でその力を奮うことは出来ない。
ならば、自分はどう動くべきか、縁は考えた。
答は単純で、明快である。
他の兵隊達を無視して真っ直ぐ灰かぶりの魔法使いの元まで行き、殺す。本体は無力な人間であると知っているからこそ取れる策だ。
灰かぶりの魔法使いがどこにいるのかについては想像がつく。
18時から0時までしか魔法を使えないということは、灰かぶりの魔法使いは力を与えたい人間に18時以降に接触する必要があるということだ。
魔法使い達は空間の割れ目のような場所から現れた。割れ目の先に大人数が収まる場所がある。そこに灰かぶりの魔法使いがいる。
案の定、割れ目の先には人が大勢集まれそうな屋上であり、灰かぶりの魔法使いらしき人物もいた。
(ここから私の魔法を見ていた訳か……惑わされたね。あの人混みの中に彼はいなかった。ここで経過を観察し、タイミングを計って魔法使い達を順次投入……って感じかな。残っている魔法使いは三人。一人は異なる空間同士を繋げて移動する魔法。あとの二人は未知数)
縁は即座に現状を把握し、屋上の様子を確認する。
白い外套を被った若い男が一人。彼が灰かぶりの魔法使い。
その前を陣取っているのは三人の魔法使いである。
二人は灰かぶりの魔法使いの前面に、一人は彼に寄り添うようにして、守っていた。
前の二人の内、右の魔法使いはモノクルを左目に付け、ぶかぶかのトレンチコートを羽織った小柄な少年。
左の魔法使いは黒のフェイスシールドで顔を隠してバニーガールの格好をした女。
灰かぶりの魔法使いの隣にいる魔法使いは、犬の着ぐるみを着た、男か女かも分からない。他の二人と同様に申し訳程度の服飾品として、着ぐるみの頭にはシルクハットが乗っかっている。
(……さっきも思ったけど、こいつら揃いも揃って奇抜な格好だな。相対的に灰かぶりの魔法使いがマシに見える。って、そんなことを考えている暇はないか)
縁に残された時間は少ない。
相手が例え人間でも、周りには魔法使いがいる。そして暫くすれば、駅前にいた魔法使い達も帰ってくるだろう。
(―――猶予は、あって十数秒)
灰かぶりの魔法使いを初めとした四人は、まさか一人の矯魔師が単身、何が起こるか分からない敵の作った道を通って自分達の前に現れるとは想定していなかったのか、未だ事態が飲み込めていなかった。
相手の混乱が収まる前に、四人が何をするよりも早く、縁は槍を自身から見て右横に向けて投げた。同時に、自分は左右逆、斜め左に駆け出した。
加速度の乗った縁の身体は一瞬にして、バニーガールの魔法使いに接近した。
「あっ―――」
彼女は直ぐ様、臨戦態勢を取ろうとする。が、冷静さを欠いていた場面では反応が一泊遅れる。彼女の無防備な脇腹に、縁の加速度のかかった蹴りが炸裂した。
何も出来ずに魔法使いが一人、吹っ飛んでいく。
(一人)
そして縁の右横。彼女に並んでいたもう一人の魔法使い。トレンチコートを着た少年は、一人が狙われたことで態勢を整える猶予を得ていた。
縁に手を向けて、何かをしようとする。
しかし、縁に気を取られてしまった時点で、彼女の術中に嵌まっていた。
「……ひぃ!」
少年は空気を裂く音から、背後から飛来する槍を紙一重で何とか躱す。
最初に縁が投げた槍は弧を描くよう、予め描く円の中心方向のベクトルに加速度がかけられていた。
少年の意識が槍へと注がれた隙を逃さず、縁は距離を詰めていた。
避けられた槍は縁の正面を相対する形でクルクルと回転しながら飛ん来ている。縁は空中でその槍を掴み、槍の穂をまるで棒高跳びの棒のようにして地面に突き刺した。
槍が持っていた回転の慣性に合わせて地面を蹴る。そうすると地面に固定された穂を起点として槍が回り、合わせて縁はさらに加速した。
両足で繰り出された跳び蹴りはトレンチコートに覆われた胴体を正確に捉え、特大の運動エネルギーが与えられたことでバニーガールと同様に、飛ばされて地面に沈む。
(二人…………っ!)
息をつく暇なく、縁の背後の空間が割れる。
空間の割れ目からは犬の着ぐるみが現れた。
縁の死角となる位置取り。
唯一知っている魔法から予想していた攻撃に、縁は思考した通りの対策を実行に移す。
縁は後ろを向いたままの状態で、槍を後方に突き出した。
「……?!」
石突きで頭を打たれ、そのまま空間の割れ目へと逆に押し返される。くぐもった声を出しながら、着ぐるみは繋がっている元の場所の地面に尻餅をついた。
(三人)
残るは灰かぶりの魔法使い。一人では何も出来ない、ただの人間だ。
躊躇いもなく彼に向かうのは、縁の立場からすれば当然である。
(これで―――!)
縁は高く跳躍し、槍を上段に構えた。
腕を振り下ろし、槍の穂が彼の頭蓋を狙う。
が、縁の一撃が彼に届くことはなかった。
バチッ。
その音が縁の耳に届くよりも速く、異変は起こった。
「……!っああああぁ!!」
突如、縁は悲鳴を上げる。
彼女の全身に、神経を直接針で突かれたような鋭い痛みが迸った。
四肢が痺れて満足に動かすことが不可能になり、槍を手放してしまう。そして空中にいた彼女は、そのまま自由に受け身をとることが出来ずに全身を打つ形で地面に落下した。
落下の衝撃で無理やり肺から空気を出されて、「がはっ、げほっ」と間抜けな音を出す。呼吸をする度に鈍い痛みが縁を襲った。
(何が起こった!?身体は痺れていて、なのに外傷は少ない。体内を直接弄られたような痛み。駄目だっ!動けない……)
肌がヒリヒリと痛みを訴えている。平手打ちを食らった時と同じで、最初に大きな痛みが一瞬で突き抜けた後、軽めの痛みがいつまでも尾を引いて残っている。
縁はこれと似たような感覚に心当たりがあった。人間、誰しも一度は経験したことのある現象。
(静電気……?電流を私に流したのか?それならこのやられ方も理解出来るけど……)
縁は視線だけを男に向けた。
(あいつは何も武器を持っていない。じゃあ今の私は何?何をされた?)
どこからともなく、予備動作も殆どなく、電流を他者に流す。
人の理では説明できない攻撃を、灰かぶりの魔法使いは行った。
(まさか、魔法?力をを与えるのとは別に、自分も魔法を使えるの?)
男は笑いを堪えている様子で、縁を見下ろしていた。
「やっぱり、保険はかけておくべきだった」
彼の言葉を、縁は反芻する。
(保険。灰かぶりの魔法使いは保険をかけていた。何に対しての?恐らく、魔法を使えない自分が狙い打ちにされた時の……)
自分が敵の立場なら、どのような対策を取るのか。縁は考える。
(人間は矯魔師には勝てない。だから、逃げるしかない。なるべく敵と戦わず、見つからないように―――でも、灰かぶりの魔法使いは姿の魔力の質が毎日変わる特異な魔法使い。矯魔師と接触することに他の魔法使い程は神経質にならなくても―――いや、違う)
沸き上がった疑問を、縁は自分で否定した。
(落ち着け。もっと根本的な話だ。兵隊をあれだけ大量に用意出来るなら、より安全な戦略を灰かぶりの魔法使いは取れるじゃないか」
「魔法も使えないのに、いつまでも戦場にいるわけがないだろう」
男の言葉が答だった。
(じゃあ、やっぱりこいつは―――)
「チェックメイトだ。矯魔師」
縁を囲んで、空間の割れ目ができた。一瞬にして、駅前にいた魔法使い達が縁を包囲する。
(……時間切れ、か)
「―――電気」
縁がボソリと呟くと、それに反応して男の眉が僅かに動いた。
「ああ、やっぱりそうなんだ。駄目だよ、そんなに分かりやすく反応しちゃ。山勘だったけど、当たってよかった」
自ら墓穴を掘ったことで、男の表情から笑みが消えた。
「お前、影武者でしょ?考えてみれば簡単な話だ。どれだけ姿と魔力を変えられて逃げるのが容易であっても、変える前に殺されたら意味はない」
よって、目の前の男が本当に灰かぶりの魔法使いなら無用な危険を冒していることになり、不自然である。
「お前は撒き餌だ。無力であることを装って意識外から奇襲を行う役割を持たされた、兵隊の一人にすぎない。本物はとっくにこの場から離脱している」
そうなると、これまで委員会が得ていた情報にも疑問符が浮かぶ、と縁はそこまで考えた。
姿を変える。
魔力の質を変える。
生物として生まれ変わるようなものだ。それだけでも強力な魔法として成立する。
灰かぶりの魔法使いはいつから影武者を使っていた?もし最初からなら……委員会の情報は大きく覆る。
―――と、ここまで考えて、今は自身の安全を優先すべきだと思い、縁はその後の思考を一端頭の隅に置いた。
目の前の男は苛立ちを隠そうともせず、縁を睨み付けていた。
「……それがどうした?君はここで死ぬんだ。何を知ったところで意味はない」
「かもね」
身体を休ませたことで痺れや痛みがましになる……いや、実際はそう変わっていないのかも知れないが、少なくとも縁は身体の痛みに慣れ始めていた。
側に落ちている槍に手を伸ばす。ぎこちないが、ちゃんと思い通りに身体も動く。
試してはいないが、魔法の補助も合わせれば立つことだって、もう出来る筈だ。
「今回は完敗だ。出直すよ」
いける、と確信して縁は魔法で自身にかかる重力加速度を増幅させた。
通常の地球上の重力下で40数キログラムの重量が、数十倍になる。
さらに触れている地面の一部分にも魔法を使い、出来うる限りの下向きの加速度を与える。
ミシ、ミシミシと軋む音がした。
「っ!そいつを殺せ!」
男は咄嗟に魔法使い達に呼び掛けるが、間に合わない。
屋上の床が呆気なく崩れた。
※※※
時刻が0時を回った頃。
縁は槍を杖にしながら、下水道を辿々しい足取りで歩いていた。
「はあ―――はあ―――」
荒い息遣いが下水道内で反響する。
彼女が通った道は薄い血の跡が出来ていた。制服も自身の血で真っ赤に染まっている。
身体の十数ヶ所、大小様々な傷口から尚も血液が滴り落ちていた。
屋上の床を崩して何とか逃げ出した時から、約6時間が経過していた。地獄と断言できる時間が、ようやぬ終わる。
「はは……ちょっと無茶し過ぎたかな。―――何やってんだろ、らしくない」
一端、身体を休ませようと汚れたコンクリートの壁にもたれ掛かり、それでも自重に耐えられなくて、縁はその場にへたり込んだ。
「うっ……」と思わず喘ぐ。
もはや軽い衝撃すらも鋭い痛みに変換される程に彼女の身体は限界だったが、彼女は何とか生き延びることが出来た。
ついさっきまで数十人の魔法使いから追跡されていたことを考えれば、この程度で済んで良かったのだろう、と縁は敢えて肯定的に状況を捉える。
そうでもしないと、この絶望的な現状に耐えられそうになかったからだ。
(……あっ)
一瞬でも休もうとしたのが良くなかったのか、目一杯張った糸が緩むかのように、逃走中に辛うじて保っていた意識が段々と薄れていく。瞼が重い。視界がボヤける。
(……ああ、もういいや)
縁は混濁していく意識をそのままに、目を閉じた。
「ったく――――――どう考えても、採算が合わないでしょ」
一言。
そう愚痴ると、彼女の意識はそこで途切れた。
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