閑話 二人目
雲一つ無い青空が広がっていた。
眩しい位の太陽に照らさせるのは、四方を山々に囲まれた人口数百人程度の小さな集落だった。
木材を主体に造られた建物が並び、十分に舗装されていない道にはまだらに古びた街灯が立っている。
広大な稲作地は、上空からはまるで黄金色のカーペットのように見えるだろう。
テクノロジーの発展した現代において、その集落は時間が止まったように、昔ながらの趣を残していた。
しかし一つ、その集落には異質な部分がある。
いや、いないことが、異質であった。
人が一人も往来しておらず、畑や道、小店や家屋に至るまで生きている人の気配が殆どなかった。
如何に人口の少ない集落であっても、その光景は異質極まりない。
人が消えたことで山に生息する野生動物も集落に下りて来ており、その動物たちや野鳥、虫たちが集落のところどころに放置されている肉に集っていた。
同族であれば目を背けたくなるであろう、残酷な光景。
正常でない光景には当然、正常でなくなった理由がある。
元凶は集落の住人達とは意思疎通を図ろうとすらせず、まるで災害のようにこの集落を訪れては、たった一つの理解出来ない動機の為に、全てを蹂躙したのだ。
現在、集落にいる人間は二人だけ。どちらも余所者である。
とある家屋の一室にて、男が椅子に腰かけていた。
「理解出来ないなあ。何で一人で向かってきたんだろう。君一人で僕に勝てる訳ないって、誰でも分かることだと思うよ?無駄なことこの上ない。そんな無駄を積み重ねてきた君に有意義な提案をしたいんだけれど、退いてくれないかい?私とて事を大きくしたくはない。ただ、ここで静かに暮らしたいだけなんだ」
「う……くっ…………」
男の見下ろす先には女性がへたり込んでいた。
槍は辛うじて手放していないが、見るからに満身創痍である。
「心配しなくても死なないよ。私も人殺しは嫌いなんだ。なるべく穏便に済ましたい。だから死なない程度には酸素を送ってある。君にとって私は今、命の恩人という訳だよ。命の恩人である僕の頼みには、助けられた君は聞く必要があると思うのだが、どうだろう?」
「ふざけた、ことを…………!」
息苦しさに耐えながら思考を何とか繫ぎとめて、女性は言葉を吐き出す。
「―――あっ…………がっ!…………あ…………」
女性の周りの空気が一段と薄くなった。悶えながら必死に口を開き、肺に酸素をかき込もうとする。
男は苛立ちを隠せない様子で、肘掛けをトントンと指で叩いた。
「うるさいな。もう少し静かにしてくれ」
「…………うあ…………ああ…………はっ…………あ…………」
「何の話だったかな?……そう、君には退いて欲しいという話だった。正確には、君の仲間たちに、だが」
現在集落には女性の仲間―――矯魔師の集団が取り囲むように配置されている。
男を逃がさない為の包囲網である。
「数は…………凄いね124人か。よくそこまで集めたね。騒がしいったらありゃしないな。ああ、誤魔化しても無駄だよ。隠れていても風が教えてくれるからね」
風。
正確には、空気中に漂う粒子である。
粒子で満たされた空間に何か大きな物質が存在すれば、その体積分粒子は退かされ、粒子は流れとなる。
人間の触覚では知覚できないほどの、微笑の流れを感知する。
普通の人間では到底成し得ないことを、男は容易くやってのける。
男が、普通の人間では無いからだ。
男は空気中の粒子を操る魔法使いだった。
操る対象を感知できなければ話にならないので、当然微細な粒子を感知できる能力も持ち合わせている。
「君のことは助けてあげるから、君たちも僕とはもう関わらないでくれ」
「で、きるわけ、ないでしょ…………どれだけの人間を……殺してきたと…………」
「僕だってやりたくはなかったさ。ちゃんと言ったんだよ?『ここから出て行ってくれ』ってさ。なのに皆聞いてくれないから、仕方なく殺したんだ。これ以上無駄な血を流さない為にも、君には退いて欲しい」
現在。女性の周りの酸素分子が男によって極端に少なくさせられていた。
男がその気になれば、酸素を無くす或いは、酸素を充満させることで女を殺すことは造作も無いだろう。
そうやって、男は集落の住人数百人を一瞬にして虐殺した。
「命は大事にした方が良いよ」
「どの…………口が!子供まで、殺しておいて…………!」
「うーん。でも、仕様がないことだと思うんだよ」
男の声音には罪悪感など欠片も感じさせなかった。
「特に子供は嫌いなんだ。うるさいからね。気まぐれに作っても見たが、直ぐに捨てたよ。しかし残念だ。わざわざ大陸を横断し、このような島国に来たというのに。ここにも私の安息の地は無いようだ」
安息の地を求める。
男はたったそれだけの動機の為に多くの人々を身勝手に殺してきた、危険人物だった。
「安息の地…………?ある訳ないでしょ。お前は…………地獄で死ぬべき化け物だ。出来るだけ惨たらしく、情けなく、終わるべき…………がっ!―――」
「うるさいって」
女性の周りの空気が、また一段と薄くなる。
媒質を十分に介さない音は、男には届かない。
「うーん、君と話をしても埒が明かないな。他の人間に…………あれ?これは…………」
風の流れを読み、男はある事実を感知し、そして落胆した。
「はあ―――、あいつが来ているのか。義体の連中は特に野蛮な奴らだ。そしてしつこい。静寂を愛し平穏を求める私とは全くの対極だ。交渉の余地は無いね。残念だよ。ここも捨てるしかないな」
男の言葉を皮切りに、集落の上空に異変が起こる。
どこからともなく雲が現れ、青色のキャンパスに渦を描く。先程までの晴天を曇天へと塗り替えていった。
集合し練り上げられた雲は積乱雲となり、雷と大粒の雨が集落を襲う。
さらに男がいる家屋を中心に風が渦巻き、一瞬にして大木を揺らがす程の強風が集落を包み込んだ。
空気を操る。つまり気圧も、湿度も思うがままということである。
観測史上屈指の大嵐を、男は何の予備動作も無く生み出した。
「これで良し、と」
細事を片手間で済ましたかのように、男は興味なさ気に吐き捨てる。
没交渉の災害にとっては嵐を生み出す事よりも、自分の平穏が乱されたことによる落胆の方が遥かに大きかった。
嵐の中心に当たる家屋だけ、不自然なほど凪いでいる。
「さて…………うん?あのさ、今更何?君が頑張る理由は無いでしょ」
女は倒れたまま手を伸ばして、男の足の裾を掴んでいた。
「ああでも、生かしておく理由も無いか」
数秒もせずに、女性の命は潰えるだろう。
女性にもそのことは重々分かっていた。
それでも細い腕に血管を浮き上がらせながら、必死に掴んで離さない。
「…………何?」
男は失念していた。
いや、気に掛けなかった。
女性が単身で男に向かった理由を、深く考えようとしなかった。
女性の目的は、男を見つけること。
男の位置を切り札に伝えること。
女性の身体にはGPSが付けられている。
羅針盤では方向が分かっても座標までは判別できないので、万全を期すには誰かが殿を務める必要があった。
男に故郷を滅ばれた過去を持つ女性は、喜んで志願した。
矯魔師になった理由を作った魔法使いは、今女性の目の前にいる。
復讐の幕。
女性は笑う。
恐怖からではなく、歓喜の為に。その笑顔は死に際の生物のそれではないと、今迄多くの命の終わりを見てきた男は直感した。
「何を―――」
(お前は、ここで死ぬ)
薄れゆく意識の中、女性は空言を呟く。言葉は男には聞こえない。
長年待ち侘びてやっと口に出来た、勝利宣言。
次の瞬間。
音速を超える速さでそれは飛来した。
空気の流れが接触を伝える前に、それは壁を破って男を襲う。
体を貫き、衝撃波に巻き込まれる形で男の身体は足を少しばかり残して殆どがはじけ飛んだ。
血肉に塗れながら、尚も女性は笑っている。
「やっと、静かになりましたね」
皮肉を込めて、一人の矯魔師はそう吐き捨てた。
※※※
上空二千メートル。
嵐の面影はまだ残っている。
しかし男が死んだことで、男の魔法もまた消える。
魔法で無理に操作されていた気圧は正常なものに戻り始めていた。徐々に風は止み、どす黒い積乱雲は霧散するだろう。
本来なら集落を一望出来る位置に浮いていた少女は、嵐の収まり具合から目標を達したと判断し、ゆっくりと下降する。
携帯が電波が入るのを確認したところで停止。自身の上司に当たる人間に連絡を掛けた。
「当たった?」
「うーん、もう完璧!お手柄だよ」
軽快な口調で賛辞の言葉が投げられる。
「槍を投げただけ。これもあったし」
少女は手に持った丸形の板を弄びながら答えた。
板には細い矢印が取り付けられており、矢は自由自在に、360度どの方向にも向けるようになっている。
委員会が開発した、羅針盤。
矢印の先には事前に登録した魔力を持つ標的がいる。
少女は羅針盤の矢印と、送られてきたGPS情報から方向と距離を割り出し、槍を投擲した。
「褒められることじゃない。私の魔法を使えば、簡単なこと。だから木式は私に頼んだ。私は頼みに応えた。それだけ」
男は空気を操ることで、その気になれば町一つを毒性の気体で満たすことが出来る。
また空気の流れを読むことであらゆる攻撃を察知することや、嵐を起こして行方を晦ますことも可能である。
よって、男を殺すには遠距離から音速を超えた攻撃で仕留めることが最も有効な手段であった。
少女は触れたものに加速度を与え、投擲する槍は一つの方向にひたすらに加速され、初期条件さえ間違わなければ必ず標的に着弾する。
少女の扱う魔法は、男にとって天敵となり得るものだった。
だからこそ、まだ十とそこらの年齢の少女が討罰作戦の決め手として組み込まれた。
「名有りを討罰しったってのに淡白だなあ…………これで二人目だね。こうやって信頼を築いて行けば、君を支持する声も委員会内で増えていくだろう」
「…………勝手にすればいい。私は興味ない」
矯魔師、御井葉縁は冷たくそう告げた。
「―――それで、私はいくら貰えるの?」
他者の承認も自己の達成感も関係なく、縁の思考は既に報酬の方に向いていた。
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