灰かぶりの魔法使い

第1話 灰かぶりの魔法使い

蕾は上級生のひしめく教室で、茫然自失となっている先輩に声をかけた。


「先輩。そろそろ元気を出してください。」


「……ああ……ひ……へあー」


言葉になっていない音で反応した後、懐から取り出した通帳に彼女は見入った。


そして、頭を机にぶつける。ガンッ、と鈍い効果音に蕾は思わず目を反らす。縁は机に突っ伏して、そのまま動かなくなった。


微かに「へあっ」とか「ふあっ」とか意味の解読できない音を発している。


(駄目だ……痛々しくて、見てられない)


「先輩、止めましょう?眺めても数字は変わりませんよ。ここのところ毎日やってるじゃないですか」


「……私の預金通帳の数字がどんどん減っていく……分かっているのに止められない……まるで死神の足音が大きくなっていくのを何も出来ずに聞いている気分だ」


「そのよく分からない例えはやめてください」


「私のお金が……お金が……あああああああああああああああああああああああああああ―――――――――――――」


発狂した。


伏しながら器用に頭を抱えて、グリグリと額を押し付ける。


人間は絶望すると、ここまでの醜態を晒せるのか。蕾は諦めて傍観することにした。


縁が発狂するに至った原因は、彼女が守銭奴であり、お金を第一に愛する性質であることから、容易に想像出来るように、金銭に関連することである。


彼女は先日、矯魔師として名有りの魔法使いと殺し合い、その激闘の中、彼女たちが今いる校舎を、文字通り半壊させた。


破壊された校舎を修復する費用に充てられたのが、彼女の名有りを討罰したことでの特別手当と、毎月支払われる固定給である。


つまり彼女は今、絶賛金欠中であった。


「理不尽だ……この世は理不尽だ……!委員会は私から搾取している。最低賃金すら払ってない。こんなこと許せるだろうか?いや、許せない!労基に駆け込んでやる!」


「無駄ですよ。委員会は公にはされていない組織ですよ?」


表向きは、殆ど死に体の小規模な宗教団体に存在する、時代遅れの機関。


魔法使いをこの世から一人残らず殺す。


漫画のような夢物語を現実に叶えようとしているのが、聖罰委員会だ。


人間が保有する、魔法使いに対しての唯一にして最大の特効戦力と言い換えてもいいだろう。


委員会は歴史上、表向きの最高権力者たちからそのような扱いを受けてきたことも多い。


特権として社会のあらゆる法律、義務、柵から免れているが、代償にいつ死んでもおかしくない、いつ終わるかも分からない戦いの日々に身を投じることを誓わされた集団。


(まあ、構成員の殆どは魔法使いに何らかの恨みを持っていて、それを動機に委員会に門を叩く訳ですから、そのことに文句を言う人はいないでしょうね)


目の前にいる異端。守銭奴を除けば、ではあるが。


「いやさあ、表面上でも神を信仰しているんだったら、信徒の正当な成果には正当な報酬が支払われるべきだと思うんだよ。神様だって大体人間が良いことしたらご褒美をくれるでしょう?特にうちらのトップは、神様の代わりを吟っているんだし」


「先輩」


「何?」


「仕事です」


ぶつくさ文句を垂れている縁に、蕾は用件を切り出した。


蕾は愚痴を聞く為にわざわざ上級生のクラスに赴いた訳ではない。


「内容は?」


「名有りの討罰です」


突如舞い込んだ、稼ぎ話である。


「いいね。願ったり叶ったりだ」


いつもなら面倒くさがる縁は、珍しくやる気に満ちた声音で、そう言った。


勿論あくまでも、お金のために。





※※※





例によって例のごとく、二人は人気の無い屋上で話をしていた。


委員化が要請した討罰対象は『灰かぶりの魔法使い』


最後に被害が確認されているのはシンガポールで、一年前から討罰に向かった矯魔師を皆殺しにしながら逃走と潜伏を繰り返していた。


しかし最近の調査の結果、灰かぶりの魔法使いは日本行きの航空券を予約していたことと、峯ヶ浜市付近の交通機関を調べていたことが分かった。


つまり、収束地であるこの付近に現れる公算が高い。


「委員会の集めた情報によると、灰被りの魔法使いには他の魔法使いにはない長所と、致命的な弱点があるようです」


「魔法使いなんて大抵がそうでしょ」


リスクとリターンがあってこそ、魔法はより強大なものとなる。


『空腹の魔法使い』が、人を食べて絶大な力を奮ったように。


「『灰かぶりの魔法使い』が魔法を使えるのは18時から0時を回るまでの間。それ以前と以降は、姿形も変わり、魔法を一切使えない一般人同然になるらしいです。見分ける方法はありません」


矯魔師は魔法使い以外に手を上げることは許されていない。


しかも姿も変わってしまうということは、つまり『灰かぶりの魔法使い』を殺せる時間は六時間以内に限られるということだ。


一度取り逃がしてしまえば再度発見に時間を要し、さらなる被害を生んでしまう。


「ふうん。その魔法使いは今まで委員会と接触した?」


「はい。およそ二百年の間、主にヨーロッパやロシアを中心に数えきれないほど。委員会側だけでなく一般への被害も多数。かなり手広く、精力的に活動しているようです」


「被害は具体的に?」


「直接的な殺人は百。間接的なものを含めれば十万人はくだらない、そうです」


「二百年で十万か。『空腹の魔法使い』が可愛く見えるね」


魔法使いが人間から排斥されて数百年。


委員会は魔法狩りを円滑に進める為、これまで委員会が遭遇して来た世界に数いる魔法使いを、主に使用する魔法の危険性と使用者の気質という観点から、大まかに三つのグループに分類して組織内で周知させている。


一つ目は逃走派。


人里から離れた場所に暮らし、基本的に目立つこと…………戦闘行為や人殺しを好まず、矯魔師と接触した時は逃げに徹している。


二つ目は自由派。


彼等は気まぐれに問題を起こし、その気になれば平気で人も殺すこともある。しかし人間自体には興味をあまり持っておらず、自由に行動している。


問題を起こすのも人間社会に縛られない為という、ある意味で最も魔法使いらしい、種族の違いが明確に表れているグループである。


「空腹の魔法使い」はここに区分させる。


三つ目は過激派。


積極的に人を殺し、また人に憎悪を抱く者たち。


人を呪わば穴二つと言うように、魔法使いたちにとっての、聖罰委員会のような立ち位置でもある。


「灰かぶり」の魔法使いはまず間違いなく、このグループに区分させるだろう。


「何でそんな大物が日本に来るんだろうね?いや、私にとってはありがたいけど。別に思ったより手強そうだなとかは全然思ってないけどね?」


「誰に言い訳しているんですか?」


名有りの討罰は総じて難易度が高い。だが今回の相手その中でも過激派に分類される、最も苦労する相手。守銭奴の縁としては、もう少し手頃な相手が良かったというのが本音だ。


「そいつを私達だけで殺せって?難易度高くない?」


「委員会が増援を手配してくれるようです。ただここ以外にも警戒をしなければなりませんから、増援の数は、これくらいです」


蕾は手を開いて見せた。


「…………五十人!」


ずばり、指を指して縁が答える。


「五人です」


突き放すように断言した。


「私も百万人くらい殺した魔法使いを殺すのに参加したことはあったけど、その時は数十人体制だったよ?」


「なら、その一割なので妥当ですね」


「うーん、単純計算!楽観的!私達も合わせて七人でしょ?万が一取り逃したら厄介な相手なのに、数で囲わないと逃がす確率が―――あれ、そうだ。それだけの被害が出て、何回も接触しているなら、を作れそうだけど。委員会からは届いていないの?」


魔力は魔法、そして魔術を行使する為に必要なエネルギーである。


それは生きとし生けるもの全てに備わっており、指紋やDNAのように、個体によってその性質は微妙に異なっている。


委員会はそのような生物の魔力反応を記録し、また分析することで、固体のを判別を可能にする技術を有している。


委員会はこの技術をあらゆる場面で活用している。


代表的なものとして挙げられるのは、前もって登録した所有者である矯魔師の魔力のみに反応して巨大化する、聖槍だ。


そして、他の使い方の中の一つにあるのが、である。


は委員会が登録した魔力反応を辿ることの出来る、四十年ほど前に委員会によって製作されたものだ代物である。


対象の魔力が強ければ強いほど羅針盤の精度は高くなり、探知範囲も広がる。


そして、強い魔法使いほど、強大な魔力を有している。


つまり強い魔法使い相手なら、羅針盤は例え地球の裏側であっても、標的を探知することが出来るのだ。


「聞いてる限り、委員会はそいつの魔力を登録できているだろうし、羅針盤の精度も高くなると思うけど?」


「委員会からは送られてきてません。無くても大丈夫だと委員会側は判断しているのかも」


羅針盤はその効果が絶大である反面、一つの羅針盤で一人の標的しか終えず、使いまわしが不可能である。何より、一つ製作するのに莫大な資金を要するので、安易に大量生産が出来ないのが現状である、と蕾は見習い時代に教えられていた。


実際、蕾がこれまで行ってきた魔法狩りにおいて、羅針盤が使われたことは無かった。


「どうかな?特にこういう過激派には率先して回される筈なんだけど…………この前の『空腹の魔法使い』とは事情が違う。あいつらは目撃件数自体が少なかったから」


自由派は人と敢えて関わろうとしない為、矯魔師と出会う事も少なく、偶然遭遇しても取り逃してしまえば、菫がそうであったように、収束地でのランダムエンカウントに賭けるしかない。


しかし過激派に分類される魔法使いは、例外なく人間社会に大きな爪痕を残してきたからこそ、そう区分されている。


「被害規模が大きいと死者は増えるけど、同じように目撃者もまた増える。相手は数百年で十万人、つまり年間で数百人は殺してきた魔法使いだ。補佐官も含めて全滅でもされない限り、委員会内で情報は共有される筈だ。羅針盤ができないのはちょっとあり得ないよ」


「補佐官、ですか?」


「―――ん?ああ、それは私の勝手な想像だよ。蕾は気にしなくていい。私が言いたいのは、羅針盤は作らないのではなく、のかもしれない、ってことだよ」


羅針盤は魔力を辿る。


作れない理由として考えられるのは、そもそも辿る魔力が分からないから。しかしこの理由を縁は否定した。


では、他にどのような理由があるのか。


「0時を過ぎると姿形だけでなく、魔力の質自体も変わっているかもしれない」


人間で例えるなら、血液型や指紋が一日で変化することと同義である。そうなれば、現場に残る痕跡も意味を成さない。


「魔力は生物が持つエネルギーだ。魂と言い換えても良い。それが変わるということは、つまり生物として生まれ変わるのと同じだ」


今迄の委員会が収集した事前情報、経験が全く通用しない敵。


地力で劣る人間が魔法使いに勝つ最も確からしい戦法は、組織力の違いにモノを言わせた長年のノウハウの積み重ね、情報を精査することでの弱点の分析である。


圧倒的な個である魔法使いに、委員会は試行回数と時間、数の多さで対抗して来た歴史的背景があった。


しかし今回の戦いではその情報が意味を成さない、行き当たりばったりの戦闘となることは目に見えていた。相手の初見殺しに呆気なくやられる可能性も十分に考えられる。


(いつもやって来たことをやり返されるとは、皮肉だ)


矯魔師でありながら魔法を切り札として用いている縁は、心の中で自嘲する。


「まあ、結局私達が出来ることは一つしかない。一晩の内に見つけ出し、殺す。それだけ」


非常にシンプルな解答だが、それ以外蕾思いつかなかったので、素直に頷く。


「後はそいつをどうやって見つけるかだけど…………」


「そこについては問題はありませんよ」


蕾は委員会から渡された、最も注視すべき情報を伝えた。


「灰被りの魔法使いは、人間に魔法の力を与えることが出来るそうです。魔法を得た人間は、必ず騒ぎを起こします」


人間が魔法を使う。


後天的に魔法を授かる。


それが何を意味するか、縁は良く知っていた。


相手は直接的ではなく、間接的に十万人を殺してきた魔法使い。


「ロクなことにならなさそうだ」


経験を照らし合わせて、縁は感想を述べた。

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