第2話 奇襲

委員会から『灰かぶりの魔法使い』の討罰を言い渡された、その日の放課後。


空は薄っすらと赤みがかっていた。


時刻は17時前。


二人は早速行動に移ろうとしていた。


「まずは合流して段取りを決めたいな。増援が到着するのは?」


「17時に波丘駅前で落ち合う予定です」


波浜駅は二人の通う高校から近く、高校に通う学生の最寄り駅にもよく用いられている所である。


今二人がいる場所からは目と鼻の先。恐らくあちら側も二人の事情に配慮してくれたのだろう。


「じゃあ、直ぐに向かおうか。あ、そうだ。蕾」


「何ですか」


些細な忘れ物に今気付いたかのように軽く、唐突に縁は切り出す。


「先に言っておくけど、君は魔法使いを殺さないこと。だから最後私かその他の矯魔師に任せる、いいね?」


如何にも当たり前である、といった態度で言い放つ。


「……!どうしてですか?」


「悩んでるんでしょ。だったら、後戻りが出来ないことはやっちゃ駄目だ」


「それは……」


ずるいことだ、と蕾は思う。


復讐の為に矯魔師として生きるか、復讐を忘れて違う人生を歩むのか。蕾は選択を先送りにした。


先送りにする、という選択を自分自身で行ったことは確かに意味のあることだが、それは自分の主観であり、第三者から見ればただの煮え切らない優柔不断な人間だ。


蕾の今の立場は、縁が許してくれているからこそ成立する。ならばせめて、人殺しという負担は半分背負うべきなのだ。


そう蕾は考えていた。


「気に止むことじゃない。私はもう、とっくの昔に戻れなくなってる。せめて先輩として、後輩の道を狭めることはしたくないんだよ」


しかし縁は、だからこそ蕾に一線を越えることを許さない。


魔法使いも人間で、矯魔師は人殺しであると理解したこの後輩が、一度でも人を殺してしまったら責任感や重圧、罪悪感により普通の人間に戻る道は絶たれてしまう。


縁は自身の経験からそのことを重々承知しており、縁の手は既に真っ赤に染まっている。


戻れない人間と、やり直せる人間。


どちらが人を殺すべきか、議論の余地は縁にはなかった。


「今殺すなら、それこそ流された結果だ。私は蕾には自分で選んで欲しいんだよ。分かった?」


体裁上疑問形ではありながら、殆ど命令に近かった。


優しい命令である。


「……はい。分かりました」


「うん。良い返事だね」


納得はいっていない。一先ず蕾は頷く。


気にするな、と言われても気にしてしまうのは仕方がないだろう。


理屈として、縁の言葉は理解できる。しかし感情が、先輩の気遣いに甘えざるを得ない自分を責めずにはいられなかった。


蕾が目を伏せて黙り込んでいた所、二人の間にあった沈黙は、鼓膜を揺らす程の轟音により、破られた。


音が鳴った方向は二人の目指す方角と近い。


「先輩!」


「……急いだ方が良さそうだね」


二人は波丘駅に向けて走り出した。





※※※





轟音が響く少し前。


波丘駅は時間帯も相まって多くの人が往来している。


その駅前に、五人の矯魔師が集結していた。


「後二人か。元々この町を担当している奴らだな」


「ねえ、大丈夫だと思う?」


「何だ?急に」


若い女の矯魔師は、場を一時的に取り仕切っている金髪の男にそう疑問を投げ掛けた。


「私達7人で本当に灰かぶりの魔法使いを罰せられるのか、ってことよ」


「今更何言ってんだ?まさか怖じ気づいているのか?」


「ええ。そうよ」


男の煽り言葉に対して、女は肯定した。


「この討罰任務は、明らかに勝率の低い戦いになる。最悪―――どころか高い確率で全滅する」


「だからどうした?魔法使いを罰する為なら喜んで傷つき、喜んで死ぬ。それが俺たち矯魔師のあるべき姿だろうが。…………ああ、そうか。お前の魔法使いへの恨みはその程度なんだな」


女は男の言動にピクリと眉を動かす。


自身の復讐心の否定。それは自身の能力の否定である。


多くの矯魔師にとって、男の言った事柄は禁句であった。だからこそ、男も敢えて口にしたのだが。


「はあ?何でそういう理屈になるのよ。私はただ、無駄死にする気は無いって言いたいの。相手は名有りで、しかも過激派。生半可な戦力じゃ無駄に命を失うだけ。感情に任せてがむしゃらに動いても目的は達せられない。感情は原動力にはなるけど、それに支配されたら本末転倒でしょ。ああ、でも。見るからに単細胞な貴方には分からないのかしら」


「あぁ?」


「何よ。最初に言いがかりをつけたのはそっちでしょ!?」


売り言葉に買い言葉である。


「問題ないんじゃないかな」


一触即発の雰囲気を漂わせた二人の間に、落ち着いた声音が差し込まれる。


帽子を深く被った少年は顔を下に向けたまま続けた。


「委員会は僕たち七人なら出来ると判断したんだよ。僕たちがやるべきは、委員会の期待に応えることだ。違う?」


「七人しかいないのに?貴方正気?相手が誰だか分かってるの?」


「灰かぶりの魔女は確かに強い。だからこそ、烏合の衆はむしろ格好の的だ。君の言うように無駄な犠牲が出る。よって少数精鋭こそが最適だと上も分かっているんだよ」


「でしたら、上官殿がいないのはやはりおかしいのでは?」


眼鏡を掛けた少女は、律儀に挙手をしながら発言した。


「委員会の保有する最大の個はあの方々でしょう」


少女が指摘する『上官』とは、委員会に所属する矯魔師を束ねる最高権力者であり、最高戦力でもある『主の義体』のことである。


「僕もそう思うよ。だから彼等と遜色ない人材が来るなら問題は無いと思う」


「……まさか貴方が、とでも言うのですか?」


「それこそまさか、だよ。僕もそこまで自惚れてはいない。僕が言っているのは、この場にいない人間だよ。御井葉縁。名前くらいは聞いたことがあるでしょ?」


少女は眼鏡をくいと上げ、脳内に記憶している情報を引き出した。


「十歳で名有りを討罰。その後も何体もの名有りを罰した矯魔師、でしたか。確か最近も一体討罰したとか」


「そう。それほどの功績を上げている矯魔師は、彼女を除けば他に『主の義体』くらいだ。僕は一度だけ彼女に会ったことがある。あれは化け物だ。彼女がいるだけでも十分に勝算はある。それに、ここに集められたのも全員が相応の実力者だ」


帽子を被った少年と眼鏡をかけた少女は、そして金髪の男と若い女はそれぞれ軽口を言い合えるくらいには顔見知りだった。


さらに直接面識はなくとも、名を音に聞く程には魔法狩りで活躍した精鋭であることが四人の共通認識として存在している。


「一人見かけない人間もいるけどね」


四人の視線の先には堀の深い整った顔立ちの黒髪の女がいた。


その女は壁に寄り掛かりながら四人の会話を一歩引いた所で黙って眺めている。


「いい加減名前ぐらい名乗ったらどう?」


苛立ちを含んだ言葉が黒髪の女に向けられる。


黒髪の女はそれに応えるよう、壁から背を浮かて二つの足で確りと地面に立つ。


「―――ノア。シンガポールから派遣された。日本語……喋るのは得意でないから、ごめんなさい」


辿々しい日本語で頭を下げられたので、若い女も「そう」と答えざるを得なかった。


「シンガポール―――灰かぶりの魔法使いの目撃情報があった最後の場所ですね」


「私、シンガポールで灰かぶりを一年間調べていた。そして、最近になって、ようやくここまで追い詰めた」


「魔法使いがこの街へ来るという情報を掴んだのもノアさんですか?」


「うん。1ヶ月前に、灰かぶりがここを調べて、飛行機を取っていた、形跡が見つかっている。この街に潜伏している可能性は、高い」


ノアは目を伏せて。


「情報を、知る為に、たくさん死んだ。だから、必ず討罰したい」


と、不得意な日本語を使って、精一杯言葉を紡いだ。


ノアがその言葉にどのような感情を乗せているのか、例え不恰好でも異国の人間であっても、四人には手に取るように理解出来る。


矯魔師は、魔法使いを殺す者達。


その多くは魔法使いに個人的な恨みを持っている。


彼ら彼女らは国を越え、言語を越えて心で通じ合い、集い、ただ一つの目的を完遂する為に行動する。


「ならば、情報は共有しておくべきでしょう」


少年の提案に、ノアは「うん」と頷く。


「灰かぶりの魔法、は、他者に、魔法の力を、与えること。灰かぶりは、その魔法で、人間を魔法使いに、変えて、自身の兵隊、として、使う」


矯魔師は一般人に被害を及ぼすことは許されていない。


よって、元々は人間である灰かぶりの魔法使いの尖兵についても、殺すことは出来ない。


魔法を扱う集団を躱し、元凶の魔法使いだけを討つ。簡単なことではない。


しかも相手の戦力は不透明で、どんな魔法を使ってくるか、どれだけの数がいるかも分からない。


そして、何よりも厄介な点は―――


「灰かぶりの魔法使いが日を跨ぐ度に姿を変えるというのは本当なのでしょうか?」


「うん。奴は、18時から、0時、の間しか、魔法を使えない。0時を過ぎれば、、委員会の追跡を、逃れてきた」


羅針盤も通じない、その逃走能力にある。


情報戦では完全に出遅れている。


本来委員会の最大の長所である所の、経験と試行が意味を為さない敵、それが灰かぶりの魔法使いである。


「……聞いてた通りの化物ね。姿も何も分からないなら、警戒の仕様もないじゃない」


「とりあえず、確かに、言える事は、警戒しなきゃならないのは、18時、以降だということ」


「18時……」


「あのー、ちょっと良いでしょうか?」


駅前を往来する通行人の一人が、矯魔師の一団に声を掛けてきた。


その年配の女性は、白い紙袋を手に持っている。


「道に迷ってしまって……」


「悪いが、俺達もここら辺の土地勘がある訳じゃない。後に来る二人なら分かるかも知れないが……」


「そうなんですか、それは困りましたね」


困った、困った、と呟きながら、女性はジリジリと金髪の男との距離を詰める。


「全員にこれを、という約束だったんですが」


紙袋を前に差し出して、そう言った。


「約束?」


何を言っている。


金髪の男が聞き返す前に、「灰かぶりの魔法使いさんとの」と、その名前を口にした。


「……っ!お前……!」


次の瞬間、爆発音が駅前に鳴り響いた。




※※※





何が起こったのか。


眼鏡を掛けた少女は目の前で起きた現象に理解が追い付いていなかった。


一瞬思考が真っ白になり、少女は自分が床に仰向けに倒れていることにすら、気付くことに一泊遅れた。


次に、自分が少々の息苦しさと圧迫感を覚えていることに気付いて、自身の身体を抑えているものに目を向けた。


「……ノア、さん」


ノアが庇うように、自分の身体にもたれ掛かる形で倒れている。


彼女の身体を起こそうと両肩を掴み、手が液状の何かに触れる。


「―――あっ……」


血液で手が真っ赤に染まる。少々に外傷は無い。ノアは肩から背中にかけて、服の上からでもはっきり分かる程の、痛々しい傷痕が刻まれていた。


何が起こったのか。


少女の脳は推測という機能を失い、ただそこにある情報を、機械的に辿ることしか出来ない。


現象を認識するだけが、今の少女に出来る唯一のことだった。


周囲は煙と焦げた臭いに包まれており、さらに爆発のあった前方に目を向ける。


一つ、二つ……全身が傷ついた、少女の知り得る語彙の中では抉られたという表現が最も適しているだろうか、肌も服も無残に抉られてピクリとも動かない、どれが誰かは分からないが死体が合計四つ、転がっている。


何が起こったのか。


周囲がガヤガヤと騒がしいことを、少女の耳は捉える。


視界の端々では倒れている人、救急車を呼ぶ人、ただ興味本位に群がる人、様々な人間がいる。


ともかく、被害が甚大であることは容易に確認出来る。


何が起こったのか。


誰かが泣き叫ぶ声が聞こえる。子供の声だ。


そう、それが正しい反応なのだと、少女は漸く理解した。


―――何が起こったのか。


「きゃあああああ――――――――――――」


思い出したかのように、少女は悲鳴を上げる。


駅前に置かれている時計は、17時丁度を差していた。

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