第13話 遺言

※※※



とある地方の、緑豊かな森の中。


ポツンと寂しく建てられた家屋に、その兄妹は住んでいた。


「……ゼル、お腹すいた」


「言うな。言葉にしたら、益々腹は減るぞ。レーテル」


「思い込みでどうにかなる話じゃない。だって……もう何日もまともに食べれてない」


「木でも土でも石ころでも、好きなものを食べればいいだろ?今の俺たちは何でも食べられる。夢のような力を手に入れたんだ。ああ、それか兎でも狩ってくるのも良いかもしれない。今の俺たちなら簡単に捕まえられる」


「嫌。お腹いっぱいになるのに、どれだけ食べれば良いの?私たちが満腹になる頃にはこの森も禿げ山になってるよ。そこまでやっても足りるかは分かんない。後―――何よりも美味しくないよ」


「それが一番の理由だろ」


「…………」


「やめろ」


「どうして?」


「旨いから、なんて理由は駄目だ」


「何で?」


と一緒になるだろう」


「ゼルは自分の命よりも、他人の命が大事なの?」


「そうじゃない」


「私よりも、皆が大事?」


「違う!そうじゃないって言ってるだろ」


「じゃあ……」


「駄目だ」


「そんなことをすれば、お前はアイツと同類になってしまうんだぞ」


部屋の角には肉の塊があった。


腐敗が進んで異臭を放つそれは、かつて二人の母親だったものだ。


「くそっ。俺達は一体何の為に――」


「何って、お腹一杯になる為だよ」


立ち上がって、少女は呟いた。


少年に聞かせるように。


「一人でも行くから」


「…………」


「…………」


思えばそこが、二人の分岐点だった。


兄の選択が未来を決める。


どちらを選んでも辛く、険しい道であることは想像に難なかった。


「…………分かった。俺も行くよ」


兄は、考えることを放棄した。


「……そうだな、食べちゃおうか」


目先の欲に従うことにした。


獣としての生き方を選択した。


妹は兄の言葉を聞いて心底嬉しそうに笑った。


二人は揃って扉を開け、家を出る。


家は肉塊と一緒に燃やしてしまった。


帰る場所はもういらないからだ。


もう後戻りは出来ないからだ。


二人は旅立つ。


茨の道へと歩を進める。


そして、「空腹の魔法使い」は誕生した。


―――最初は、二人の腹をただ満たす為に。



※※※




空腹の魔法使い。


双子の兄妹で一つの魔法を扱う


兄の名はゼル。


妹の名はレーテル。


実際に見ていなかった縁には知る由もないことだが、炎の中でゼルは心臓を貫かれ、レーテルは顎を砕かれ燃やされた。


その状態で食べて、生き残る可能性があるのはゼルだけだ。


目の前の一人の魔法使いがゼルであることは、つまるところ当然の成り行きなのだ。


「………おい」


俯きながら、一人の魔法使いは声を発した。


「あの気持ちの悪い、音の繰り返しはやめたんだね。やっと、私とまともに話す気になったってことだ」


「……」


一人の魔法使いは答えない。


「……よく、俺だって分かったな」


傷口から滴る血液は、その勢いを徐々に緩めていた。もう彼の命は本当に僅かしかない。


そんな中で彼の口に出たのは素直な称賛の言葉だった。


自分すら騙していた事実を、この矯魔師は見破った。


「ただの勘だよ。お前は蕾を殺そうとしなかった。それは本来おかしいことだ」


ゼルを見下ろして縁は答える。


「どうして、蕾を直ぐに襲わなかった?お前たちにとって、彼女は片割れの仇の筈だ。緑地公園で出会った時点で、殺しても問題はない。むしろ千載一遇のチャンスだっただろう」


「……そう簡単に殺したらつまらないだろ?俺達を殺しかけ、屈辱を与えた女の妹には、それ以上の屈辱を与えて出来るだけ無様に殺してやろうと思ったのさ」


「うん。私も最初はそういう胸くそ悪い理由を想像していたよ。でもやっぱりおかしいんだ。お前は死にかけた経験から、自身の欲求を満たす「遊び」よりも、生きるための「勝利」を優先していた。そのことはお前と戦ってよく分かったよ」


失敗する確率を出来るだけ削ぎ、最効率で獲物を追い詰める。


先程の二人の戦闘は、正に獣としての、生きる為の狩りだった。


「矯魔師は普通の人間よりも魔術が使える関係上、魔法使いとしての素養もある。お前が最も力を得られるのは魔法使いを食べた時なんでしょう?だったら貴重な栄養源をむざむざ放置していたことに説明がつかない」


「そこからは根拠の無い仮説だけど」と前置きした上で縁は「共感したんじゃないの?」と結論を述べた。


「ただ食べて物を作り出すだけじゃあ、姿を変えることは出来ても身振り手振りまでは真似られない。理屈は分からないけど、お前には菫の記憶も持ってるんでしょう?菫の蕾への思いを読み取れても不思議じゃない」


「……ああ。俺の魔法は食ったものを消化している時に分析も出来るのさ。物質の成分、組成、構造、etc。その分析は記憶にも適応される」


宇津花菫の記憶をそっくりそのまま有していたからこそ、生前の彼女の身ぶり口振りを真似ることが出来た。


そして、宇津花菫の心情をも、ゼルは理解してしまった。


「お前は彼女の記憶に共感した。妹を大切に思う姉の気持ちだ。それが分かるのは――同じく下のきょうだいを持つ兄の可能性が高い。どう?論理もへったくれも無い直感でしょ?」


彼は蕾にレーテルを重ねてしまった。殺すことを躊躇し、本当の姉妹のように振る舞って数日間を共に過ごした。


「馬鹿だね。蕾を直ぐに食っていれば、負けなかったかもしれないのに」


「……ああ、本当にマヌケだよ」


その行動もまた、妹の死を受け入れられなかった故の現実逃避の一種だったのだと、ゼルは今更ながら気付く。


「こんな結末――――まるで人間みたいじゃねえか。本っ当に下らねえ」


非情になれず、甘さを捨てられず、結果それが足を引っ張って、自分の首を絞めた。


作り話でよく見かける、悪役の最期を描くテンプレートの一つ。


そんな悪役は読者からは人間くさいと言われて評価されることはあるかもしれないが、結末だけ捉えれば滑稽なことこの上ない、道化である。


「――――いや、最初から俺はこんな感じだったか」


ポツリとゼルは溢す。


思い出されるのは、遠い昔の記憶。


決断したのはレーテルだ。


ゼルは妹を支えていたつもりで、実際は妹に追従していただけ。


止めろと口では言っても、実際に引き留めようとはしなかった。


「――――本当は、俺がやるべきだった」


身体を抑えてでも止めて、或いは手を引いて扉を開けるべきだった。


兄として。どのような結末を迎えようが自分の気持ちを伝え、自分が矢面に立たなければならなかった。


どちらに気持ちを傾けることなく、なあなあで済ませてしまった過去の精算が今、やって来たのだ。


「何?どうしたの?」


「――――はっ。こっちの話だよ。聞きたいことはそれだけか?」


「……ええ」


空腹の魔法使いについて気になる事は大体知れた。後は徹頭徹尾、今度こそ死ぬまで彼を見届けるだけだ。


「その状態でもまだ生きてるとは、やっぱり化け物だね。最期はしっかりでやりきらないといけないか」


頭を砕き、身体を真っ二つに裂く。そこまですれば今度こそ絶命するだろう。


縁は槍の穂先をゼルの額に付ける。額の薄皮が破れ、そこから薄く血液が垂れる。


ゼルの口角が僅かに上がった。


「何がおかしい?」


「我ながら笑える終わり方だと思っただけだ。俺も、お前も」


「…………」


「なあ、お前は何で矯魔師なんてやっているんだ?」


答える義務は無い。相手せずに槍を振り下ろしてしまえばそれで終わりだ。しかし縁は少し熟考した後、口を開いた。


「お金が欲しいから」


「そうか。俺たちと大して変わらねえな」


「…………それについては同意するよ」


食べる為に人間を狩る。


金の為に魔法使いを殺す。


自分が生きる為に、誰かを犠牲にする。


両者に大した違いは無い。


「お前も俺もロクな奴じゃねえ。だから――――お前も俺と同じか、それ以上にどうしようもない死に方をするだろうな。これから俺が惨めに殺されるように、今度はお前が誰かに惨めに殺される。そう考えると何だか笑えて来たんだよ」


「…………」


「矯魔師が魔法を使う。どう楽観的に捉えてもお前の過去は薄汚れていて、お前の未来に幸せな最期は訪れない」


「…………」


無言で縁は槍を振り上げる。


その様子をゼルは微笑みを浮かべながら見ていた。


槍の上昇が頂点に達した所でその穂先が一瞬止まり、程なくして穂先が自分目掛けて振り下ろされる。


(ごめん、レーテル)


槍が落ちて来るその最中、心の中で亡き妹へ謝罪をする。


(どうして、止められなかったんだろうな)


過去の後悔を胸に、目を閉じる。


「精々無様な死に方をしてくれよ、縁――――」


遺言が言い終わる前に、彼は頭蓋を砕かれた。


頭から心臓近くまで槍は垂直に彼の身体を抉り、真っ二つに開く。


臓物も、血液も。既に多くは垂れ流されていたので、槍が抉った際には大した血飛沫も起きず、覗かせる身体の中身は空き箱のように簡素である。


食べないと生きてはいけない存在。


妹を亡くした孤独な魔法使い。


彼は全てを出し尽くして、何もかもを失ってしまった。






――――空腹の魔法使いの最期は、実に空虚なものだった。









※※※









『お前も俺と同じか、それ以上にどうしようもない死に方をするだろうな』


縁は足元に広がる先程までゼルであった肉塊を見下ろしながら、彼の言葉を反芻する。


負け惜しみだと切り捨てられるその一言が、彼女の脳裏にこびりついて離れない。


(私の正体は、「空腹の魔法使い」と同じか、それ以上に悍ましいものだ。だから――――いつか報いを受けるだろう)


「地獄でまた会うかもね、空腹の魔法使い」


冷たく言い放った言葉は、誰にも聞かれることなく夜の空に消えて行った。

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