第12話 理由

「お前は勘違いしていたんだよ」


 戦いの前に放った言葉を、縁は再び口にした。


「お前は自分を最強と言った」


その言葉は一見傲慢であるかのように聞こえるが、実際虚勢や慢心ではなかったと、空腹の魔法使いと二度戦った縁は思っていた。


二人で一つの名を与えられた稀有な魔法使い。


二人で魔法使いとして十全てはない。十全の魔法使いが二人いた。


空腹の魔法使いという、個人でも強力な魔法使いが二人もいるのは、それだけで最強と憚るだけの根拠はあるように思えた。


しかし、それは過去の話で、今は違う。


それは、重要な事を失念していた。


「きっと、2人分の力が1つになれば戦力が足し算なり、かけ算なりされて増大すると思ったから、そう言ったんだろうどさ、強さっていうのはそれほど単純な式では測れないんだよ」


子供の語る絵空事を否定し、現実を語る。


諭すように縁は続ける。


「考えてもみなよ、そんな簡単に片付けられるなら、私はお前の片割れを殺せなかった」


かつての空腹の魔法使い。


五体満足で両者健在であった、空腹の魔法使いの完全版であり、完成形。


その強さを縁は身をもって味わっている。


「私と菫の戦力の合算は、どう尾ひれをつけて見積もっても空腹の魔法使いには及んでない。二人で真正面から挑んでいたら二人揃って皆殺しだっただろう」


 動く駒が二つあるということは、出来る事が倍になり、そしてそれらを掛け合わせられるということだ。


使える手札が指数関数的に増えて、それだけ戦略の幅が広がることを意味するのである。


 戦略を練り、意表を突くことで、縁はあの時生き延びることが出来た。間違っても縁の戦力が空腹の魔法使いを上回った結果などではない。


「身体が二つあって、手足、目、脳がそれぞれ2組ずつあるっていうのは、この上ない利点だよ。数の利ってやつだ」


1人の将軍と十人の雑兵は、単体の戦力で言えば間違いなく将軍に軍配が上がるだろう。だが現実的には十対一でしかない。一騎当千と言えば聞こえは良いかもしれないけど、千人分の働きが出来る個人よりも、千人の兵士がいた方がさまざまな場所に戦力が割け、戦争では応用が効く。


「ゲームじゃないんだからさ、数値としてのイコールは、必ずしも戦力の等価を表してはいない……いや、そう言うとゲーム好きに怒られるね、強キャラ一人に蹂躙されるゲームなんてクソゲーでしかない。現実味が無い。直ぐにオワコンだ。現実に適応されない。現実ではね、数の多さが正義なんだよ。間違いなく、戦いにおいて最も重視される項目だ」


 だからこそ、縁は空腹の魔法使いが二人なのか、一人なのかを念入りに確認した。


もし二人共生き残っていたのなら、戦う選択肢自体が消えるのだ。


「お前達は二人だから最強だった。二人だったなら、私は迷わず逃げ出したよ。でも、お前は1人だった。一人になってしまった。格下の私でも意表を突けば殺せるくらいには、弱くなった。誰だって切り札の一つくらいは持っている」


一発の隠し弾で一度に二人を殺すことは難しくても、一人を殺すのは難しくない。


そして縁は戦いに勝利し、空腹の魔法使いは敗北した。


数の利という、単純な足し算でその敗因は説明できてしまう。


「「……はっ。ご高説どうも。それで、その切り札が魔法ってか。分かるわけねえだろ」」


 血と臓物を横腹から吐き出しながら、空腹の魔法使いは毒づく。


 口を動かすほどの体力しか今の彼には残されていなかった。


 ただ縁の僅かに空中に浮いている足元を凝視している。


「「……重力か?」」


「ほぼ正解。より正確には加速度、ね。私と私が触れた物の加速度の大小を操る。それが私の魔法」


 物理法則への干渉は、魔術では成し得ない。


 法則を自分勝手に歪める。


 それは正しく魔法だった。


「「反則だろ」」


 御井葉縁が最後まで隠し持っていた切り札は、ジョーカーと呼ぶに相応しいものだった。


 予測のしようがなく、決まれば一発逆転となる一手である。


「手掛かりならあったでしょ。初めて戦った時、お前は炎で私を閉じ込めた。常人では通れない炎の壁から、私はどうやって逃れたのか。訓練を受けたからといって、ただの女子高生でしかない私が、どうやってあれ程の威力を持った投擲が出来たのか」


違和感はそこら中に転がっていた。縁が普通の人間ではない。矯魔師が魔法を使う。


そんな馬鹿げた想定をすることだって、別に不可能なことではなかった筈だ。


 宙を浮けたから、炎の檻から脱することが出来た。


 槍を加速させたから、壁を穿つ程の破壊力を生み出せた。


「「なら、この槍は何だ?どこから沸いてきた?」」


「手から離れた後でも、ある程度なら操れるんだよね。こんな風に」


 縁は槍を真下に投げる。重力に従って落ちていった槍は地面につく前に空中で静止。その後来た時と同じ軌道を辿って上がり、彼女の手元にまで戻って行く。


「お前は、槍が飛んできた軌道から逆算して私を攻撃したんだろうけど、裏を返せば私もお前の攻撃の向きは分かるんだよ。来る方向が分かれば、飛ぶことでお前からの攻撃自体は余裕で回避できる。後は最初に投げた槍を同じ勢いで戻しただけ。お前は勝手に射線に入ってくれていたからね、それだけで槍はお前を貫ける。背後からならお前が食うことは出来ないでしょ?二人いたなら、この方法だってうまく行ったかは怪しい」


 一人であるが故に視界が限定され、どうしても死角が出来る。空腹の魔法使いはあらゆる物を食らう魔法使いだ。本来なら槍の穂以外での攻撃は効かない筈だが、死角からの攻撃では食べることは叶わない。


 二人ならその死角も補い合えた。二人なら一人が致命傷を受けても反撃出来た。


 縁の勝ち筋はより薄いものになっていただろう。


「結局、お前は本質的なところで舐めていた。それが私に負けた理由だよ」


「「違う。私達はお前を警戒していた。お前が言った違和感だって、結果論のこじつけみたいなもんだ。まともに考えたら一生辿り着けない答えだった。私達に驕りは無えよ」」


「いいや、お前の落ち度だ」


「「……何だと?」」


「半端に知識を得た獣ほど度しやすいものはない、ってことだよ。お前は自分が変わったと思っているようだけれど、本質的にはちっとも変わってない。変わったところもあったのかもしれないけど、殆ど誤差だ。むしろ変わらない方がマシだったね。そんな中途半端な変化をするくらいなら直感に委ねて反射的に戦った方が遥かに脅威だった。お前の成長は全然足りていない。変わった、って思い込みたかっただけの、見せかけだ」


 空腹の魔法使いが敗北から得た経験、慎重さ、理性。


 それらを無いも同然だと縁は断ずる。


「「私達がそんなことする理由があるのかよ」」


「あるでしょ。まだ自分を騙す気なんだ。それとも、晒されるのが嫌なのかな?」


「「っ!……」」


 やめろ。


 彼は心の中で呟いた。


 勿論、縁には聞こえていない。


「反省っていうのは、現実を正しく受け止めて初めて成されるものだよ。お前は認めなかった。受け入れようとしなかった。だから二人で一人だなんて妄言を吐いた。それでも戦いに支障が無いと、一人でも勝てると思ってしまった。強くなったと錯覚した。錯覚するしかなかった。それが嘘なら、自分が一人であることを認めることになってしまうなら、そして、それ以上深く踏み込まないように、そこで思考を止めてしまった。敗けから学んだ気になって、本当に大事なものを見ようとしなかった。考えることを拒んだ。これを驕りと言わなくて、何て言うの?」


 やめろ。


 彼は叫ぼうとするが、肺も損傷しているので息が足りず、上手く発声出来なかった。


 縁は続ける。


「人を食って、その人が自分の一部になるなら、私の頭には今頃角が生えているし、腹にはエラが生えているよ。分かるでしょ?食べたものは消化されて消えるだけで、糧にはなってもそっくりそのまま自分のものにはならないんだよ。そうやって現実を見ていない奴が、勝てる訳がない。そういう意味では、蕾はお前よりよっぽど偉かったね。お前が生き残る道は、確かにあったんだ。道を踏み外したのはお前自身だ」


「「やめろ!」」


 やっと声が出た。


 しかし縁は止まらない。


「お前の妹は、とっくの昔に死んでるんだ」


 真実が突き付けられた。


「「……ああ―――」


 分かっていたことだった。


 しかし認める訳にはいかなかった。


 確かに自分の中にはあると思いたかった。


 だから最強だと憚った。


 精一杯積み重ねた欺瞞が、一気に氷解する。


(……そうか。あいつはもう、いないんだ)


 言われてみれば意外なほどにあっさりと、は現実を受け止めていた。




 ※※※




「―――っは」


 意識が戻った蕾は、ガバリと飛び起きる。


 蕾が今座り込んでいたのは、気を失う直前までいた場所とは異なり、校庭の土の上だった。


「お目覚めのようですね、よかったです」


「貴女は……」


「初めまして。補佐官の綾継です。以後、お見知り置きを」


「あっ……どうも」


 恭しく頭を下げられたので、釣られて蕾も頭を下げる。


「その……あの後どうなったか知っていますか?」


 空腹の魔法使いによって首を絞められ、もう少しで命を絶たれるであろう正にその時、間一髪のところで槍が飛んで来たことで助かった場面までは、蕾は辛うじて意識があった。


 勿論、その槍の投擲が外れた場面もしっかり記憶に残っていた。


「空腹の魔法使いは御井葉一等官が討罰しました」


「!やっぱり……先輩は凄いですね」


 得物を失った矯魔師と名有りの魔法使いの一騎討ち。その後の戦いはあまりにも分の悪いものになっていた筈である。


「はい。戦闘力という一点のみを見れば、あの人ほど優れた矯魔師は中々いません。多少被害が出過ぎるのは、補佐官としては困るところですが」


 綾継は後者の方へ視線を向けた。蕾も見ると、そこには半壊―――本当に文字通り半分程が崩壊して原型を留めていない校舎があった。


 あの被害の殆どは空腹の魔法使いが一人で起こしたものである。名有りの力とはそれだけ桁外れのものなのだ。


(やっぱり。先輩がいなかったら、私は間違いなく死んでいた……)


 自分が生還出来たのは運が良かったのだな、と蕾は改めて感じた。


(手も足も出ずに、羽虫を殺すくらいの調子であっさりと。私と空腹の魔法使いにはそれだけの実力差があった。このあり様で復讐したいと言うんですから、お笑いものですね。どれだけ浅く考えていたか―――まともに考えようとしていなかったか思い知らせれます)


 縁の言う通り、自分の復讐心はその大部分が仮初めだったのだと納得する。


(私の復讐心は姉さんを真似たもの。きっと私は……姉さんが死んだことを認められなかったのでしょう。姉さんと同じ気持ちを持って、理解者を装うことで無理矢理にでも繋がりを実感しようとした。馬鹿な話です)


 そのような嘘を自分についたところで、菫が死んだ事実は消えない。


 誰の為でもない、死んだ姉の遺志を継ぐという大義などでもなく、結局は忘れたくない蕾が産み出した偽物。


(空腹の魔法使いが演じていた姉さんは、私の理想の姉さんだった。紛い物で、どこまでも浸っていたい甘い幻)


 しかし、最後に蕾は自身の手でその幻を振り払った。


 そこから先は、彼女次第。


「私のこれから、か……」


「どうかしましたか?」


「え?!いや、えっと……あれって元に戻るんですか?」


 慌てて話題を反らすため、校舎を指差す。


 隕石でも落ちたのかと疑われかねないあの崩壊具合は、緑地公園の時のように自然災害や人為的な崩壊だとこじつけるのも少し無理があるだろう。


 そして当然ながら、明日も学校はある。


 一夜で学舎が半壊しましたとなれば、生徒も教師も大慌てだろう。現在通学している蕾にとってもあの校舎が今後どうなるかは知っておきたい情報だった。


「そうですね……明日の朝までには何とかなるでしょう」


「朝まで、ですか?それは凄いですね」


「勿論、あれ程の規模の修復は私一人の手には余ります。なので今もこうやって手伝って貰っている訳です」


「手伝い?」


 蕾が首を傾げていると、「綾継さーん」と校舎の方から縁が小走りでこちらに駆け寄って来た。


「私今日すっごく頑張ってたんだよ?なのに何でこんな残業させられてるのかな、おかしいと思わない?」


「御井葉一等官の魔術の腕はピカ一ですからね、利用しない手はありません。それに私はこれからがやり過ぎたせいで夜通しで作業をすることになっています。そんな私に少しばかり助力することがそんなにおかしいことでしょうか?」


「え……そりゃあ、まあ……」


「日の出までそれほど時間はありません。こんな時間に呼び出してあの惨状を一人で片づけろ、と言う方が馬鹿げていると思いませんか?」


「ああ、分かった、分かったよ。いつもありがとう。私も今日使える分の魔術で出来るだけ修復はしたから、綾継さんも早く仕事に戻ってよ」


「はい。それでは宇津花二等官も、お疲れ様でした」


「お疲れ様です」


 綾継はまた丁寧に頭を下げた後、校舎に向かって行った。


 それを見送った縁は、蕾の方へと視線を向けた。


「蕾も目を覚ましたんだね。良かった」


「お陰様で何とか。あの……すみません。あまり力になれなくて」


「ん?ああ、別に気にすることは無い。名有りに正面から善戦出来る矯魔師なんて委員会にも殆どいないんだから。むしろよく仕事した方だよ」


「でも先輩は……」


「私だって正面から戦うのは御免だよ。確かに私はこれまで六人の名有りを殺してきた。でもその内の五人、今回の空腹の魔法使いだって運よく不意打ちで殺せただけ。名有りはまともに戦う相手じゃないんだよ。っていうか、そもそも魔法使いを殺す時は基本的に騙し討ち常套で挑むべきだ。例え卑怯と言われようと、下手なプライドで命が無くなったら本末転倒でしょ?」


「……そうですね。命は一番大事です」


「うん。そして次に大事なのがお金だ。今回の一件で空腹の魔法使いがちゃんと死んだことが分かったから、私のボーナスも安泰だね。あ、そうだ。委員会にも事情を話して、蕾にも手当が入るようにしようか?」


「いえ、私は大した事は出来ていないので……」


「そう言わずに。お金なんて幾ら持ってても困らないんだからさ。貰えるものは貰える時に貰っておくもんだよ」


「はあ……」


 死線を潜り抜けた直後にやることが金銭の勘定とは、この人は本当にブレないな、と蕾は苦笑する。


 以前のような不快や嫌悪は感じない。


 他人に理想を押し付けることを、蕾はやめたからだ。


 宇津花蕾は変わった。


 そんな彼女が目を向けなければならないのは、これからのことだ。


「空腹の魔法使いは……死んだんですね」


「うん。今度は死ぬとこまできっちりと見たから、多分間違いない」


「あの状況から良く勝てましたよね」


「不意を突いたからね」


「どうやったんですか?」


「……蕾が聞いても意味は無いよ」


「?」


「そんなことよりも」縁は蕾に向き直った。


 そうやって彼女は露骨に答えを濁したが、蕾も敢えて深くは追求しない。


 空腹の魔法使いは確かに死んだ。


 この場合は過程ではなく、その結果こそが重要だからだ。


 どう殺したのか。気になりはするが、だからと言って何としてでも聞き出さなければいけない、という訳でもない。


 例え仇敵の死に様であっても、既に終わった話にとりわけ執着する理由が今の蕾に無いのだ。


 過去を掘り返すことよりも、やらなくてはならないことが彼女には山程ある。


「とりあえず、蕾の魔法使いとの繋がりはこれで全て消えたわけだけど、蕾はこれからどうするの?」


 何度も聞かれた問。


 最も重要な、これからの話。


「死にたくないって思ったんです」


 死に際に朧気ながら表れた本音を、蕾は口にした。


 他人に意味を押し付けた人生。


 そんな自分の人生を、初めて奪われたくないと感じた。


「どうして?」


 生物が死を恐れるのは至極当然のことだ。


 しかし縁は問い返した。


「最初は分かりませんでした。私も、生きる意味なんて大して無いと思ってました。でも、咄嗟に体が動いたんです」


 その衝動は彼女にとって思考が満足に伴ってはいない、殆ど反射的なものだったが、確かに彼女の本心だった。


 姉の復讐は終わった。


 他人に見出だしていた目的は失った。


 誰に縋ることも、押し付けることも叶わなくなった。


 そんな彼女が、自らが望んで、自らの手で抗う道を選んだ。


「私は、私の人生には価値が無いと、今でも思っています。今日まで姉さんの真似事しかしてこなかった私の生に、意味なんてある筈が無いんです。ですが、先輩のおかげで私は変われました。これまでとは違う私が普通の女子高生みたいに学校に通って、先輩と下らない話をして、裏では矯魔師としてやっていって、それから先がどうなるのか……少しだけ興味が湧いたんです」


 死の間際。走馬灯が流れる中で、最期に見たのはこれまでの記憶―――両親や姉との思い出ではなく、縁や学校の友人との生活だった。


 十数年の思い出よりも、ここ一ヵ月のやり取りが、そしてそこからの展望が、蕾の目には見えていた。


「きっと、私は初めて自分の未来に期待しているんです」


 未来に期待する。


 聞こえは良いが実態はただの先延ばしだ。


 解答を得た訳ではない。答えを手に入れる為の先延ばし。


 彼女が見つけたのは生きる理由ではなく、死なない理由だった。


 多くの人からすれば、現状は何も変わってはいないと見られるだろう。


 それでも確かに一歩進んだと、蕾は自認する。


「だから……これからもよろしくお願いします」


 自分本意な結論だった。


 初めて自分を優先した決断だった。


「蕾が決めたことに私が口を挟む謂れはない。好きにすればいいよ」


 縁の了承の言葉はやはり冷たいものだった。しかしその冷たさの中に自分を慮る気持ちがあることを、蕾は知っている。


「はい。ありがとうございます」


 ―――と、一段落したところで余韻に浸る間もなく、着信音が鳴る。縁は携帯を取り出し、通話ボタンを押した。


「もしもし……はい……え?そっちにも既に伝わってたんですか、すいません。報告は遅れましたけど空腹の魔法使いは……ええ?それもいい?なら何でこんな時間に……」


 電話の相手は誰なのか。ところどころ聞き取れる内容から、相手は魔法のことを知っていて、縁よりも立場が上の人物であることは分かる。


木式こしきさんかな?)


 木式春雨こしきはるさめは縁と蕾の直属の上司。「主の義体」と呼ばれる聖罰委員会内の最高幹部の一人だ。


 彼女は蕾の過去についても知っており、何を隠そう、蕾が峯ヶ浜市に配属されたのも彼女の助力があったからである。


 世話になっている人だから自分も挨拶くらいはした方が良いのかな、等と考えていると、いきなり縁が「はあ!?」とこれまで聞いたことが無いくらい大きな声を上げた。


「いや、でも緑地公園の時は……た、確かにあれは事故で処理出来たけれど……なら今回だって……さ、流石に?無理……はあ、分かりました……………………ん?はあぁ!?足りない分は固定給から!?それはおかしいですよ!横暴です!」


「どうかしましたか?」


「あれの修復作業に予算がいるから、ボーナスは無し。それどころか固定給からも差し引いて補填するって……」


 縁は虚ろな目で半壊した校舎を眺めた。


「魔術で直すのにそんなにお金が掛かるんですか?」


「補佐官一人の魔術じゃ全然足りないから、大人数の作業になるでしょ?その分の人件費を私の給料から………おかしいよね?それくらい委員会が払うべきだよ。蕾からも何とか言ってよ」


「そう言われましても……ただ、必要な犠牲だったとは思います。空腹の魔法使いはとんでもない大魔法使いでしたから、先輩がいたおかげであの程度で済んだと言える……かもしれないです」


「だよね」


 食い気味に縁は同意した。


「ほら!蕾もこう言って……え、ちょっと待ってください……蕾の分は支払われる……?どういうことですか!不公平ですよ!……どうせお前がこそこそしてる間に壊されたんだろ……?って、だからそれは討罰の為には必要な―――」


「そう言えば、先輩は見てたんですよね?」


「うん?」


 電話越しに白熱していた縁は、思わぬ横やりに思わず素っ頓狂な声を上げた。


蕾が白い目をして縁を見ていた。


「私が殺されそうになった時、直ぐに槍は飛んでこなかった……確実に殺せそうな隙が出るまで敢えて傍観していた、ってことですよね?」


「えっと……蕾?」


「私が死にかけていても、隠れていたということですよね。それも必要な犠牲、ですか?」


「………………………………それは……」


「いえ。別に怒ってませんよ。それが矯魔師として、空腹の魔法使いを殺す為の最善の策だったことは理解できます。放置されて……どころか囮として使われてそのまま見捨てられそうになったとしても、私が恨む理由はありません。ええ、ありませんとも。むしろ感謝したいくらいです。私の命を有用に使ってくれてありがとう、と」


語気が鋭い。


言葉の端々に刺がある。


「あの……蕾、ごめん。そんなつもりじゃ―――」


どう考えても蕾は怒っていた。縁は宥めようと声を掛けるが―――


「いえいえ。いえいえいえ。先輩が謝る必要は全くありませんよ。先輩は正しいことをして、私は怒りなんて感情はこれっぽちも抱いていない。それで構いませんよね、はい、この話はおしまいです。おっともうこんな時間です。明日も学校はありますから早く帰って寝ることにします。それではまた明日」


 そう早口で捲し立てた蕾はスタスタと校門に向かって歩いて行く。


「待って!―――ああ、切らないで下さい。まだ話は終わってませんから。いや、それじゃあ、じゃないんですよ。良いですか?絶対に切らないで下さいよ?フリじゃないですからね?ちょっと蕾?蕾―――!」


 悲痛な縁の声を背に、蕾はその場を立ち去った。



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