第10話 狩り
屋上の床が崩れたことで、空腹の魔法使いはコンクリートの残骸と共に真下の教室に落とされた。
((くそっ))
炎の檻で前後左右、真上の進路までは防げても下にまで炎は通っていない。盲点をつかれたことにそれは舌打ちをした。
着地して直ぐ周囲の瓦礫と机椅子を押し退けて教室を見渡すが、そこに縁の姿は無い。
床が抜けて落ちたのは縁も同じ。が、縁は押し寄せる瓦礫の山と土煙に乗じて既に教室から立ち去った後だった。
((逃げた?勝てると言ったのはハッタリか?あいつは確実に私たちを殺すと言った。まさか嘘だったのか?))
「「いや、そんな筈がない」」
湧き上がる思考を口に出して否定する。
あり得ないことにまで考えを巡らせるのは無駄だと判断したからだ。
((あいつは宇津花菫が偽物の可能性を、さらにはそれが魔法使いである可能性にも気付いていた))
気付いた上で屋上に現れた。
殺す目的でも無ければ、わざわざ死地に出向くことは無い。
何より、最後に見た縁の趣には心当たりがあった。
それは長年委員会と争い、退けてきた、名有りである空腹の魔法使いだからこそ感じ取れたこと。
何度も見た光景。
刺し違えても殺してやろうと覚悟を持った矯魔師の姿そのものだった。
よって、縁は逃げておらず、今も虎視眈々と自分の命を狙っているのだ。
ならば自分が考えなくてはならない事は、あの矯魔師との戦闘のみである、とそれはその他の思考を脇に追いやり、戦闘に向けて意識を研ぎ澄ませる。
((この教室は校舎の南側にある教室。それなら……))
教室の扉を蹴破り、廊下に出る。廊下は真っ直ぐ校舎の端から端まで通っていて、長大な長さとなっている。縁の姿は確認できない。
((どこかの教室に逃げ込んだか))
出た教室を正面に両腕を広げる。左右ある廊下の端に右手と左手をそれぞれ向けて、炎を吐き出した。
炎と同時に可燃性の液体も廊下中の床に行き渡るよう撒き散らすことで、廊下は一瞬にして火の海となった。自身の火に焼かれないよう、教室に戻る。
((あの中じゃ人間は生きられない))
次に、教室の壁に向かって拳を放つ。壁は工作用粘土のように揺らぎ、砕かれ、崩れた。
魔法によって常人の数十倍、下手すれば数百倍の筋肉密度が与えられたその細腕は、見た目の印象とは裏腹にあっさりと壁に大穴を開ける。
隣の教室にも縁の姿は無かった。
「「ハズレ」」
穴を通って隣の教室に。そしてまた同じように壁を壊し、隣の教室を確認する。
「「ハズレ」」
無感情に言い放ち、また同じく壁を壊す。
いつかは端の教室に到達するだろうが、その時は戻って反対方向にまた壁を壊して進めば良い。
空腹の魔法使いのとった戦略は、非常にシンプルなものである。
獲物が見つかるまで、こうして教室をしらみつぶしに探す。
戦略と呼ぶにはあまりにも原始的で、乱暴なものだった。
この高校は構造として北側と南側に教室が並んでおり、廊下を通ることで北と南を行き来することが出来る。
だから最初に逃げ道を限定するため、廊下に火をつけた。
それによって縁は南側の教室のどれかに忍ばざるを得なくなった。外は三階建て故の十数メートルはあるであろう空中か、火の海だ。矯魔師でも生存は出来ない。
((順序よく、追い込んで行こう))
以前の空腹の魔法使いなら、所構わず火を付けて、迷わず学校全体を火の海へと変えただろう。
しかし、今回そうはしなかった。
緑地公園で一命を取り留めてから縁と再び相対するまでの間、それは人を一切食べてはいない。自分の身体十分回復するまで、目を付けられる訳にはいかなかったからだ。
よって、学校全体を飲み込むほどの炎を作り出す余裕が今のそれには無い、という理由が一つ。
また、同じ轍を踏む訳にはいかないという思考も同時に働いていた。
自分はこれまで、無邪気に炎を撒き散らして人間を狩ってきた。しかしその無鉄砲な性格が仇となって、自分は死にかけた。
生み出した炎に、自身が焼かれた。
あの戦いは空腹の魔法使いにとって初めての、そして明確な敗北だった。
生き延びることは出来た。一人を殺すことは出来た。だが敗北であることには変わり無い、と空腹の魔法使いは認めた。
自分は惨めな敗北者である。
獲物を見くびる傲慢さ。
全力を尽くそうとしない怠惰。
自業自得の結果として敗北し、死にかけた。
つまるところ、空腹の魔法使いは反省をしたのだ。
反省によってそれの戦い方はより無駄無く洗練されたものとなり、思考に一分の隙も存在しなくなった。
魔法使いは敗北を知らない者が多い。
敗北によって何かを得たとしても、彼等にとって敗北とはそのまま死を意味し、殺されれば次に活かすことも出来ないからだ。
空腹の魔法使いは敗北した。
しかし、奇跡的に生き延びた。
次に活かすことが出来た。
一度の敗北がそれをより強く、冷徹な狩人へと変えた。
そんな空腹の魔法使いが最も警戒していたのは、槍の投擲だった。
一度自分を殺しかけた一撃。
力任せに壁を破っている時も。炎を出している時も。縁と出会ってからは常にその一撃を警戒していた。
縁にとって槍の投擲は、決まれば一発逆転の切り札である。
今こうして真っ向から戦わず校舎内に潜伏しているのも、槍の一撃で仕留めることが自分に残された唯一の勝率が高い勝ち筋であることを理解しているからだ。
しかしその切り札が、敵が最も意識を割いているものなのだ。これ程分が悪いことは無い。
じゃんけんで相手がグーしか出してこないと分かれば相手は必ずパーを出してくるかのように、相手に来ると分かられている攻撃を当てるのは至難の技。不可能と言っても良いだろう。
より手の付けられない化け物となったそれが、縁を追い詰める。
時を待たずして、この壁を抜ければ最後の教室だ、というところにまで辿り着く。
拳を振りかぶったその時、轟音が壁の向こうから響いて来た。
まだ拳は壁に振れてはいない。
隠れた獲物が、壁一枚隔てた場所にいる。
((あんな音出したら、気付かれるのは当然だ))
獲物の行動を不思議に感じつつも動きは止めずそのまま拳を突き出す。
遅れて、同じく轟音を響かせながら壁が崩れた。
「「ん?」」
最後の教室。これまでと同様に縁の姿は無かった。だがその教室の床には大穴が空いている。
それを見て、どうしてあのような轟音を獲物が出したのかを理解する。
((ここから二階に行った訳か))
直ぐ様二階に降りる。しかし、そこにも縁はいない。
廊下を出ても、やはり彼女はいない。
最後の教室は廊下の端に位置していたので、今は廊下の角にいる。そこから二手に道は分かれ、一つは南側の校舎に通っている、教室が並ぶ道で、もう一つは北側の校舎に向かう道である。
どちらの道にも縁の姿はない。
((北側に行く時間は無かった))
つまり、南側のどこかの教室に、またぞろ逃げ込んだのだ。
そう判断した空腹の魔法使いは右手を伸ばして、炎と可燃性の液体を噴射する。
南側の校舎の二階の廊下もまた、火の海へと変貌する。北側に行く道を塞いだ。
((いや。これじゃあ、また同じことになる))
先程のように最後の教室まで追い詰めても、降りられれば同じことの繰り返しだ。追い詰めていることには変わり無いが、相応に魔法の使用も増える。
余力が削られることを危惧する。前回はそれが理由で負けたのだ。
((時間を掛けるのは不利。狩りを楽しんでいて、それで死ぬことほどバカらしいものはない。何より、これは仇討ちだ。苦しませるのも泣き叫ばせるのも、捕まえて四肢を捥いだ後でいい))
空腹の魔法使いは隣の教室を挟む壁の、逆方向にある壁に両足をつけた。まるでその部分にだけ重力があるように、垂直な壁にしゃがみこみ、力を溜める。
―――ダンッ。
蹴り上げた部分がクレーターのように窪んだ。
それだけのエネルギーを与えられた本体は真っすぐ超スピードで反対の壁に着弾。
再び轟音が響く。最初の轟音が鳴り止む前に、続けて同じ音が響く。
一回。二回。三回。
等間隔で壁が崩れる音が響く。
教室にあるいくつもの椅子や机は衝撃で吹っ飛んでひしゃげ、窓ガラスが割れる。
時間にして僅か数秒で端の教室の壁まで辿り着いた空腹の魔法使いは最後にとりわけ大きな轟音を響かせて着地し、むくりと起き上がった。
ミサイルでも通ったのかと感じるほどの無残な光景が後には残っていた。
教室一つ一つを順に見て行っては時間が掛かり過ぎる。
一直線に並ぶ教室を一息に見て回る選択を空腹の魔法使いは取った。
最初に莫大な力を溜め、いくつもある壁を突進することで壊す。万が一教室の中に人間がいれば衝突の余波でひとたまりも無いだろう。原型を留めていない椅子や机、ガラスがその証拠だ。
「「……はぁ……はぁ……」」
莫大なエネルギーを消費したことで、僅かに呼吸が乱れる。しかし、警戒は解かない。
逃げる時間を与えずに、必殺の一撃を以て攻める。
出来る限りの最善策を取ったそれは怪訝な表情で辺りを見渡す。
「「……いない?」」
逃げ場は無い。
時間も無かった。
殺し損ねたのなら理解できる。逃げた痕跡があるなら追えばいいだけだ。
しかし姿形もなく、縁は消えていた。
((人間が消えるなんてあり得ない。何か見落としている筈だ))
戦いが始まってから、今までの記憶を思い返す。
それが良くなかった。
あまりにも不可解な現象が起きたことで、空腹の魔法使いは思わず思考をしてしまう。思考することに意識を割いてしまう。
敗北から学んだそれは石橋を叩いて渡る慎重さを手に入れたが、逆に反射的に動くのを可能にする野生の勘を鈍らせてしまった。
戦闘において、理性は時に決定的な隙を生み出しす。
だから、頭上の天井が崩れたことへの反応が遅れたのも、自明の理であったのだろう。
「「何!?」」
降り注ぐ瓦礫を寸前のところで躱し、前の教室に逃げ込む。
しかし逃げた先の教室の天井も直ぐに崩れる。瓦礫を避ける為、さらに後退する。
これまでの自身の破壊による自然倒壊ではない。明らかにこちらを狙った人為的な物だ。
((三階にいた?廊下は通れないから上には……あっ))
自分の失念に気付く。
((そうだ。窓からなら……))
窓から出て、壁伝いに行けば人間でも教室間を移動できる。一般人なら難しいかもしれないが、相手は訓練を受けた矯魔師だ。それなりの腕力があれば一つ上の階だって行けるだろう。
((三階を調べた時に端の教室までいたことがそもそもおかしい。落とされてすぐ廊下を塞いだのだから、端の教室まで行く暇は無い筈だった。きっとアイツは窓を出て移動することで端まで逃げたんだ!バカ野郎!どうしてこんな簡単なことに早く気付かなかった!))
焦り。
羞恥。
後悔。
それらの感情に頭が支配される。
また。隙が生まれる。
「「―――あ」」
気付いた時には、もう遅かった。
逃げ込んだ教室に潜伏していた宇津花蕾が、隙をついた完璧なタイミングで、槍を突き出していた。
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