第9話 開戦

 身体中から粘液が剥がれて垂れる。現れたその姿には宇津花菫の面影少したりともない。


 体型も、顔立ちも、色も。


 全く別の存在として、現れた。


 中学生くらいの背丈。金髪に日本人離れした真っ白な肌。


 あの時見た、「空腹の魔法使い」と同じ姿だった。


 ガタガタと、蕾の身体は震えていた。


 両親を殺した仇。


 姉と心中した仇。


 何度もこうなることを願っていた。どう戦うか、どう殺してやるかを毎晩のように考えてきた。


 そうやって過ごしてきた十余年間だった。


 しかし、いざ復讐の相手を目の前にして、蕾は足がすくんで動けない。


 今まで見てきた魔法使いとは格の違う、名有りの凄み。それは蕾の想像を遥かに越えたものであり、立って気を失わないようにするだけでも精一杯だった。


 その隙を、魔法使いは見逃す訳が無い。


「―――がっ!?」


 思わぬ所から鳩尾に蹴りを入れられて、その場から大きく後ろに飛ばされる。


 味方である筈の縁からの、手加減無い全力の蹴り。思考が追い付かないまま、起き上がる。


「先輩!?何を―――」


 言い終わる前に、自分が立っていた場所が炎で包まれた。


 それを見て、自分が攻撃されていたことに気付く。


 もしも蕾があのまま悠長に立っていれば、今頃丸焦げだっただろう。


 天高く立ち上った火柱は左右に広がり、空腹の魔法使いを中心に大きくを弧を描いく。


「先輩!!」


 蕾が声を張り上げる。


 既に縁は炎の檻に飲み込まれていた。



 ※※※



 炎の檻。


 空腹の魔法使いが好んで用いる、獲物を逃がさない為の監獄。


 絶対絶命の窮地に立たされた縁は、しかし冷静に状況を観察し、疑問を口にした。


「おかしいな。お前達はあの炎の中で、確実に殺した筈だ。力を削いで、勝ち目を摘んで、生き残る道なんて残されていなかった」


 敵の数を誤認させ、相手から余力を残す考えを無くした。


 さらに、わざと炎を使わせて糧になる物を減らして、不意打ちで一人を再起不能にした。


 最後は、炎の中で心中した。


 あの時、自分達の出来る範囲で、考えられる全ての対策を講じたと、縁ははっきりと言える。


 そうでないと、捨て身の戦略なんて取らなかっただろう。これなら確実に殺せると考えたから菫は殿を努めて、縁はそれに協力したのだ。


 しかし、空腹の魔法使いは死んでいなかった。


「一体どんな魔法を使ったのかな?」


「「簡単だよ。火が届かない、土の中に潜ってやり過ごしたのさ」」


「例え火が届かなかったとしても、それじゃあ空気はどうするの?お前達でも呼吸はするでしょ?」


「「私達は何だって生み出せる。それは酸素だって例外じゃない」」


 空腹の魔法使いの扱う魔法は、この世界に存在する万物を食料として消化し、それを糧としてあらゆる現象を生み出すものだ。


 炎を生み出すのは、あくまでも空腹の魔法使いの趣味嗜好によるもので、服や変装の為の肉の膜など、生み出せる範囲はその限りではない。


「だとしても、あの時のお前達に余力はなかった。私の槍は確実にお前達のどちらかを貫いたし、菫だって残ったもう一方をみすみす逃したりはしない。自分が燃えて、灰になっても道連れにしようとした筈だよ」


「「ああ。確かにお前らのせいで私達はボロボロだった。でも、1口頬張るぐらいの力は残っていたのさ。お前も、私達の死体を確認した訳じゃなかっただろ?まあ応急措置だったから、回復には時間が掛かったけどね」」


 確かに。縁は死体を直に見たわけではなかった。


 火に近づけなかったのもあるし、あの火力なら死体も燃え尽きて残らないとたかをくくったからだ。


 何より、あの場には食べられるものなど無かった筈だ。


「何でも食べられるとは言っても、それが全てお前達の力になる訳じゃない」


 世界が質量保存やエネルギー保存に則って動くように、或は私達人間が炭水化物を食べているだけでは満足に活動出来ないように、土を少し食べただけで炎や酸素を無制限に生み出せはしない。


 魔法とは、法則だ。


 例えば重力。


 光の反射、回折。


 正電荷と負電荷に必ず働く静電気力。


 同じ世界に存在している以上、決して外れることは出来ず、従わなければならないのが法則である。


 どれだけ非現実的なものであっても、ある一定のルールの元に、全ては縛られるている。それは魔法の使用者も例外ではない。


 白が黒になることはあっても、白を黒と言うことは出来ない。


 もしそんな理不尽がまかり通るなら、空腹の魔法使いは空気や土を食べただけであの炎を静める程の、大量の水を作ることだって可能だっただろう。


「食べる物にも、効率が良いもの、悪いものがあるんでしょう?お前達が人間を好んで襲うのだって、それが理由だ」


 何が、最も空腹の魔法使いにとって効率の良い食料なのか。


 それは、彼等が矯魔師に目を付けられても事件を起こし続けたことからも容易に想像が出来る。


「「否定はしないよ。まあでも、お前達が単純に上手いって理由もあるけどね。何より、食われる時の表情が良い!あれだけで私達の腹は満たされる!私達は人間が大好きだ!そこら中に腐るほどいて、私達を最も強くしてくれる!何より、とてつもなく美味しい!土とか石とか、ゲロ不味なやつらとは別格だ!」」


「だから、菫も食べたんだね」


「「そうだよ。ただ、焼きすぎてあんまり美味しくなかったなあ。やっぱり表面をこんがりと、中はレアぐらいがちょうど良いよね」」


「知るか。お前達の気持ちなんて一生かかっても理解出来ないよ」


 人を食った感想を、つらつらと並べる化け物に向けて、そう吐き捨てる。


 魔法使いは魔法で狂ってしまったのか。それとも元から狂っていたのか。


 前者でも後者でも、縁のやることは変わらない。


 だが、少なくとも今目の前にいる魔法使いだけは、後者であることを縁は心の中で願う。


 自分と何一つ変わらない人間が、環境次第でこんなにも狂ってしまうものなのかと、流石の縁も受け入れ難かった。


 胃が逆流するような不快感を押し殺して、縁は言葉を続ける。


 絶対に確かめなければいけないことがあるからだ。


「お前達は、2人とも瀕死の重症だった。死にかけの―――殆ど死体みたいな人間を1人食べたところで、再起出来るとは思えない。それじゃあ、あまりにも釣り合いが取れていない」


 つまり、空腹の魔法使いは、他の何かを食べたということだ。


 それは、あの場にあって尚且つ、十分なエネルギーになるものである。


(あれ?待てよ?ということは―――)


「「ははは。やっと気付いた?そう!食べるものなら近くにあったんだよ!!」」


 愉快そうに、不気味な重音が響く。


 縁は顔をしかめる。


 最悪だ。


 本当に最悪の気分だった。


 同じ人間とは思えなかった。


 思いたくもなかった。


「お前達。生き残ったどちらか一方だと思ってたけど、まさかどちらもだったとはね」


「「気付くのが遅いよ。今さら何を言ってるんだ?言っただろ!私?達は、私達なんだよ!」」


 空腹の魔法使いは、二人で一人。


 その一方。


 自身の半身とも呼べる存在を犠牲に、さながら蜥蜴が尻尾を切って逃げる時のように、一人は生き延びたのだ。


「「知ってるか?人間は食えば食うほど強くなれる。でも一番強くなれるのは魔法使いを食べた時だ。私達は私達だ。本当の意味で、1人の存在になり、突き抜けた個になった。二人で一人の最強になったんだ。もう、お前らなんかには負けないよ」」


 魔法使いが魔法使いを食べる。


 しかも、元々似た性質を持つ2人がお互いを高め合う。


 どれ程の相乗効果になるかは、誰にも予想が出来ない。


「……そうか」


「「どうした?諦めたのか?」」


 悪魔の選択の果てに、再び現れた魔法使い。


 それに向けて縁が取った行動は、不適な笑みを浮かべることだった。


 どうしてそうしたのかは、縁は自分でもはっきりとは分からなかった。


 空腹の魔法使いの言うように、全てを諦めたものの自棄を孕んだものだったのかもしれない。


 自分を奮い立たせる意味があったのかもしれない。


 これ以上この異常者と話さなくて良いという、安堵の気持ちも少なからずあったのだろう。


 あらゆる意味を含めて、縁は笑う。


「お前は一人なんだな」


「「はあ?違うよ。何を聞いていたんだ。私達は私達だ」」


「違わないよ。お前は1人だ。片割れを失った、孤独な魔法使いだ。どれだけ言い訳を重ねても、その事実は変わらない。自分でもそれが分かっているから、そうやってわざわざ声を重ねてまで自分を慰めているんでしょう?」


 縁の言葉に、空腹の魔法使いは露骨に気を悪くする。


「お前は、勘違いをしていたんだよ。お前達の最大の強みは、二人だったことだ。数の利を常に取っているからこそ、お前達は最強であれた。二人なら私では太刀打ち出来なかっただろうさ。一目散に裸足で逃げ出したよ。でも嬉しいことに、今のお前は1人だ。それなら、私1人でもどうとでもなる」


「「なら」」


 空腹の魔法使いの身体から鋭利な触手のようなものが何本も生え、矢のように縁に向かって襲いかかる。


 鉄よりも硬度のある物質が、プロ野球選手の投球よりも遥かに速い速度で向かってくるのだ。当たれば一溜りもないことは明らかだ。


 縁はそれらを躱す為に真上に高く跳躍した。


「「やってみろよ」」


 狙いが外れた触手は、直ぐに上へと進路を修正。再び触手が縁を襲う。


 一度飛んでしまえば、多少身体を反らすなりは出来るが、基本的に重力に従って一方向に落下するだけ。


 空中に逃げたことで、却って縁の逃げ場は無くなっていた。けれど彼女は焦ること無く槍を構える。


「「勝ってみろよ!この状況から!」」


 放たれた触手は6本。それぞれが微妙に別々の方向で、別々の位置を狙っている。縁がどのような体勢を取っても致命傷を与えられるようにしているのだ。


 逆に言うと、一本でも無力化出来れば致命傷を避けられる道がある。


 縁は6本の触手の内、1本だけを槍で払った。


 魔法を無効化する穂が触れたことで、その触手は機能が停止する。


 次の瞬間、縁の自由落下が早まった。


 触手1本分空いたスペースを、針の穴に糸を通すかのように抜けていく。多少身体を掠めて流血するが、それでも五体満足で縁は触手をやり過ごす。


 縁の不自然な挙動に驚いている隙は、空腹の魔法使いにはない。


 勢いをそのままに、縁は槍を思いっきり床に叩きつけた。


「「なっ!?」」


 校舎そのものが揺れているのかと錯覚する程の衝撃と轟音と共に、コンクリートの床が崩れた。


 重力に従い、空腹の魔法使いは落下する。


「今日ここで、今度こそお前を確実に殺す」


 再戦の火蓋が切って落とされた。

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