第8話 正体

「新しい魔法使いの情報?私の耳には入っていないね。もし良ければ、詳しく聞かせてくれないかな。力になれるかもしれない。二人よりも三人の方が、対処も楽になるよ」


 縁は蕾と菫の間に文字通り割って入り、そして菫に向かい合ってそう告げた。


「もし言えないなら、言えない理由でも聞かせて欲しいな」


「……ちょっと待ってくれ、どうして縁がここにいるんだい?」


「質問に答えなよ」


 菫の疑問を、縁は一蹴する。僅かな沈黙が二人の間に流れ、再び菫は口を開いた。


「急な話だね。どうして、か。話せば長くなるけど―――」


「御託は良いから簡潔に述べなよ。理由を話せるか、話せないか。肯定でも否定でも時間はさして掛からないでしょ?」


「……しつこいね。何をそんなに焦っているのかな?」


「焦ってる?どこが?私は普通に聞いているだけだよ。だから君も普通に答えればいい」


「そう捲し立てないでくれ。これではまるで、私が疑われているみたいじゃないか」


「みたいじゃない。疑ってるんだよ」


 逡巡なく、縁は言い切った。


「君は偽物だ。本物の宇津花菫ではない、紛い物だ」


「……な」


「待ってください。まだ言うんですか?」


 菫が返すよりも先に、蕾が答えた。その表情は怒っているようで、焦っているようでもあった。


「その類の話はもう何度もしていて、その度に否定されたじゃないですか。姉さんは本物の姉さんです。先輩の主張は正当性も合理性も備わってはいない。それなのにまだ蒸し返すつもりですか?いい加減にして下さい」


「蕾こそ、いい加減にした方が良い」


「何がですか」


「何も見る気が無いなら、黙っててくれ」


「なっ―――」


 一瞬蕾の方を見て、また菫に視線を戻す。


 自分の心根を見透かしたような言葉に、蕾は返すことが出来なかった。


 邪魔者は消えたと言わんばかりに、蕾を蚊帳の外に置いて縁は話を続ける。


「私はずっと考えていたよ。お前は確かに見た目や所作、性格まですべてが宇津花菫そのものだったけれど、私の直感はずっとお前が偽物だと言っていた」


「直感?それで偽物扱いするのは言いがかりが過ぎるだろ」


「うん。だから証拠を集めることにした」


「証拠?」


「お前のことを、もう一度改めて調べて貰ったんだ。お前が入院していた病院、診察記録、退院してからの生活。お前と出会ってから直ぐに、その全て追って貰った」


 綾継に頼んでいた情報は、ここ数日であらかた集め終わっていた。


「結果は?」


「確かに君の言う通りの記録が病院には残っていた。その後の生活も、本当に普通の人間みたいで違和感なんて欠片もなかった」


 どこにも彼女が偽物である可能性は見受けられない。


「でも、やっぱりおかしいと私は考えた」


 だから縁は、発想を変えることにした。


「外の情報をいくら仕入れて繋げても、疑問は晴れない。私はお前と、お前の取り巻く環境を記号として捉えるのをやめた。私の中にあるこの違和感だけを注視することにした」


 現実に目の前にいるこのを眺めていても答えは出ない。


 縁は自分の覚えている、印象に残る過去の菫を掘り下げ、比較することで違和感の答えを見つけ出そうとした。理屈で考えず、感情を優先して想像と現実の彼女を重ねた。


「あいつはね、復讐者だったんだよ」


 初めてであった時から、最後までその印象は変わらなかった。


「「空腹の魔法使い」を、魔法そのものを恨んでいた。仇を殺す為なら自分が犠牲になろうが気にしていない、今まで散々見て来た復讐者だった」


 金の為に魔法使いを殺し、自分の命が何よりも大事な縁には共感できないが、矯魔師になるような人間はそういった動機を持つことが多い。だからそれ自体は疑問に思うことでもない、普通のことだった。


「でも、菫は他とは少し違ったんだ」


 口に出してしまえば些細な違い。だがそこにこそ違和感の正体があった。


「菫は魔法使いをと言っていた。お前はとかとか、そういう言葉を使ったが、菫は決して言わなかった」


「……揚げ足取りだよ。ちょっと言葉使いが違うからって偽物にされたら―――」


じゃない。その軽視こそがお前が偽物であることを示している」


「何?」


「菫は、自分を正当化しようとは絶対にしなかった。しても誰も文句を言わない。むしろ同情されるだろう。理解者だってすぐ傍にいた。自分の復讐、怒り、憎しみ、それらを正義と主張することだって簡単に出来たんだ。でも、菫はしなかった」


 理解者。


 言われて蕾は思わず反応する。


(そうだ。姉さんは私を頼ることなく、私と復讐心を共有しようとさえしなかった。むしろ自分が魔法使いに関わらないよう、遠ざけさえした)


 縁もまた、自分の中の違和感を想起する。


 魔法使いは人とは違う化け物である。


 魔法使いは多くの人間を虐殺して来た魔の種族である。


 魔法は世界にとって絶対悪だ。被害も多く出している。


 意味の分からない力を使う生物は人間ではない。


 だから、殺しても良い。


 とは呼ばない。


 極めて真っ当な行為である。


 人間として当然のであり、人の道を外れた行為ではない。


 多くの矯魔師、そして委員会は事実と私怨に基づく詭弁でで自分たちを正当化して来た。そうやって組織は多くなってきた。


 大義の無い集団に、人は集まらないからだ。


 実際、委員会の主張の全てが嘘とは呼べないだろう。


 魔法使いが長い歴史の中で何千万も殺してきたのは事実だ。


 親兄弟を殺されてきた人間も当然いる。


 理解不能の力を振るう人外めいた側面を持つことも否定はできない。


 しかし、宇津花菫は縋らなかった。


「仇を目の前にした時も、最期の断末魔を叫ぶ際にも、彼女は一貫してと言い続けた」


 そしてようやく、縁は解を得た。


「ほんの少しの違和感だ。ようく見ないと分からない誤差だ。だけどは決定的な違いだよ」


 今目に映っている、は偽物であると縁は確信する。


 他にどれだけ否定する材料が並べられたとしても揺るぎない真実として、確定する。


「……じゃあ私は何だ?私の声が、目が、クセが、全てが宇津花菫のものだと示している私は一体何者だって言うんだ?」


「さあ?人に化けることの出来る魔法使いかなんかじゃない?」


 あまりにもいい加減な言い草に、彼女は唖然とする。


「それは……想像にしてもあんまりだ。具体性、整合性に乏しい言い分だ。納得できる訳ないだろ」


「納得してもらう必要は無い。お前は偽物だから。そしてこんなことが出来るのは魔法使いだけだから」


 縁は十字架を取り出して巨大化。


 槍を両手で持って宇津花菫の姿をした人物に構える。


「お前を殺す。私がやることは、それだけだ」


 聞くに堪えない暴論だった。


 これがミステリー小説なら、証拠も推理すらも無しに犯人を決めつけて独房に入れるようなものである。


 読者による非難は避けられない。


 この場にいる第三者である蕾に、菫は目を向ける。


「蕾も、どうにか言ってくれ」


「……」


 療護する材料は揃っている。苦しい意見を言っているのは縁の方だ。まともに論理に則って言葉を組み立て、対抗すればそれだけでこちら側の正当性は主張できる。


 十中八九理論武装で勝つことが出来る。


 姉に味方することは何も間違っていない。


 なのに、彼女の口は重かった。


「蕾?」


 先程よりも語気を幾分か強めて、名前を呼ぶ。


 蕾は答えない。


(どう、答えればいい。一体どっちに―――)


「蕾」


 縁が、落ち着いた口調で名前を呼んだ。槍を構えたまま蕾を見ずに、言葉だけを向けた。


「蕾にとって、菫はどんな奴だった?」


「えっ……」


「私に味方しなくても良い。いや、誰かの道をなぞるのはもうやめろ。最初に言ったでしょ?お前は自分で選んで、進まなくちゃならない」


 もう何度目になるだろう、蕾への問い。


 蕾の心情を察して、縁は直ぐに逃げ道を塞いだ。


「これはその前哨戦だ。予行練習みたいなもの。ここで答えを言うんだ。もう逃げることは出来ないよ」


 蕾は悩む。本当は悩む余地が無い位に答えは出ていたが、それでも悩んだ。時間が欲しかった。


 けれど猶予は長くは無い。この沈黙はいずれ終わる。


「私は……」


 蕾は一言漏らすだけで肺の中の酸素をすべて使い切ってしまったかのように、その先の言葉が続かなった。


 もう一度大きく深呼吸して今度はゆっくり、一音一音確かめながら話す。


「姉さんは、私と一緒に戦ってくれと言いました。傍にいてくれって、言ってくれました。それはとても嬉しいことで、やっと夢がかなったような感覚になりました」


 懺悔とも取れるその言葉に、縁は黙って耳を傾ける。


「でも、やっぱりおかしいんです。姉さんは、私が矯魔師になることを―――魔法使いと関わることを望んでいなかった。私には普通の生活が送れるよう、敢えてそういった世界から遠ざけていた。今思い返せば、姉さんの態度からは姉さんの優しさと、魔法使いに対してどういう感情を持っていたかが分かる気がします」


 過去の蕾は信頼されていないと思い、悲しんだ。


 しかし矯魔師となり、魔法狩りの実情を知った知った今、蕾は別の解釈をすることが出来た。


「姉さんは、私に人殺しなんかして欲しくなかったんです。そして自分の姉が人殺しであることを知って、形としてでも私が姉に人殺しを押し付けているような状況に、負い目を感じて欲しくなかったんです」


 復讐に菫の個人的な感情が無かった訳では無いだろう。


 けれどその感情と同時に、妹に平穏に暮らして欲しい気持ちも勿論あっに違いないい。


 当たり前のごとく人殺しが行われている世界を見れば、人生は大きく歪むことになる。況してや唯一の肉親がその世界の住人であると知れば普通の生活に戻ることだって難しくなる。


 他の何よりも妹の為に、菫は見せたくなかったのだ。


「そんな姉さんが、貴女のようなことを言うことは決してありません」


 感じていた違和感を、やっと口にする。


 それは、答えを導く、と言うにはあまりにも簡単な行為だった。


 元々気付いていた事柄を告げるだけ。そこには問題ですら無かったのかもしれない。


 姉は死んだ。


 姉は人殺しだ。


 自分もまた、人殺しの道を歩んでいる。


 姉が必死に遠ざけた道を、歩んでしまっている。


 観察や思考はいらず、本来なら反射的に答えて、数舜で決着が着くような小学生にだって答えられる単純な帰結。


 けれど蕾にとって、それは確かに重要な一歩だった。


 都合の良い幻想を見ることはもうやめた。


 姉の形をした偽物を睨みつけて、決別の言葉を突きつける。


「貴女は一体、何者なんですか?」


 言ってやった。


 夢から覚めた気持ちだ。


 確かな達成感と、喪失感で胸が一杯になる。


「だ、そうだ。妹にまでこう言われたら形無しだね。分かっただろ?これが、証明だ」


「どうして信じてくれないんだ」


 悲しげな表情で、彼女は訴える。


「やめて下さい」


 止めたのは、他ならぬ蕾だった。蕾もまた、縁と同様に姉の姿をした存在に槍を向ける。


「姉さんの姿で、声で、これ以上姉さんを汚さないで下さい!」


「……蕾」


 彼女は訴えを続けることはなかった。


 蕾の一言でストン、と感情が抜け落ちたような真顔で二人と相対する。


「じゃあ、最後にチャンスをあげる。槍を出してみなよ」


「槍……これのことかな?」


 沈黙を破り思わぬ助け船を出したのは、ここまで彼女を追い詰めていた縁だった。


 何を考えているのか。


 ともかく言われた通りに十字架を取り出した。


「違う違う。私がやって欲しいのは、それを槍に変えることだよ」


 十字架は矯魔師の身分証明書であると同時に、武器でもある。


 もう一つの機能を見せてみろと縁は言う。


 言葉の意味を暫し考え、彼女は自身の犯した最大の失敗に気付く。


「その十字架が菫の物であることは事実だろうね。だけどそれを持っているお前が、菫だという証明にはならない。証明したければ、その十字架を使ってみろ。槍を実体化させられるのは本人だけだ」


 槍が掌に収まる十字架に縮小されている理由は主に二つ。


 一つは利便性。


 長槍はその大きさから分かるように嵩張る。それに現代社会でそんな物を持ち運んでいたらどうやったって目立つし、警察に見つかれば一発で現行犯逮捕だ。


 どこにでも持ち込め、いつでも携帯が可能なあの姿は矯魔師の武器としては都合が良い。


 そしてもう一つは、万が一武器を奪われても委員会の不利に働かないようにするため。


 聖槍は魔法を無効化する効果に加え、単純な殺傷能力も高い武器だ。槍を扱う技量は必要だが、効果は元々槍に備わっている。使うだけなら一般人だって可能なのだ。


 銃やナイフのように、使い方の知識さえあれば素人でもそれなりの結果を出すことが出来る。


 ある程度訓練すれば誰でも扱えて強力な武器というものは戦力増強を早く、安価で実現してくれる

 。しかし裏を返せば、奪われると容易に敵の戦力になってしまうし、自分達の首を絞めることに繋がる。


 よって委員会は槍を与える人間は訓練を受けた精鋭のみに留めるし、もし万が一槍が敵に渡っても問題の無いよう保険を掛けている。


 その保険こそが、認められた本人のみが実体化を可能とする制限だ。


 所有者以外の―――単にどこかで拾って来たような人間には、決して槍を持つことは出来ない。


「どう?これ以上ない証明でしょ?」


「……成る程」


 彼女は手に持った十字架を見下ろし、最も確かな証明となるそれを床に放り投げた。


 カンカン、と重たい金属音が屋上に響く。十字架は何度か床を跳ね、縁の足元まで転がって来る。


 証明の放棄。


 その行為が何を示すのか。彼女は言葉では語らず、あくまでも態度で以て示した。


「聞かせて欲しいな。こんなに分かりやすい証拠があったのに、どうして回りくどいことをしたんだ?」


「言う必要は無い。多分、言ってもお前には理解できない」


「そう言うなよ。どうせゆっくり話せるのはこれが最後なんだ」


 彼女はそう言って肩を竦めた。


 いや、彼女なのかどうかすら不明だ。


 宇津花菫を演じることを止めたその人物は、先程までとは全く違う口調、所作で喋り、動く。


 姿と声は変わらない。しかし一目で別の人間であることが分かる、むしろそのことを見せつけるようでさえある。


「……第一に、言い逃れされるのが面倒だったから。この証明は効果的ではあるけれど、結局はお前依存になってしまう。この場で、こんな状況じゃなければお前はきっと何かと理由を付けてはぐらかしただろ?或いは、言われて直ぐ本性を出して暴れたか?どっちにしろ、情報が揃うまでは様子見がしたかった」


「それだけか?どんな風に言い逃れたって怪しまれるし、正体を表すにしたって今とさほど状況は変わらない。追及しなかった理由としては弱いだろ?他に目的があった筈だ」


 縁の解答に納得いかず、再び問う。


「……ううん。やっぱりお前に話すことは無い」


 縁は一瞬、用意していたもう一つの理由を言い掛けたが、実際に言葉にはせずに飲み込んだ。


「分からないんだろ?それが答えだ。今の出揃った情報から理解出来ないなら、どうせ私から聞いた所で理解することは出来ないよ。時間の無駄だ」


「?」


 首を傾げるそれに向かって、縁は深くため息をついた。


「やっぱり。情報としては知ってる筈だけど、所詮人間を食料としか思ってないには分からないだろうな。うん、それでいいよ。私だって、お前らのことは札束くらいにしか認識していない。記号として、種族として、一まとめにしか認知できない。それと同じだ。悪なんかじゃない。当然の結果だ」


「せ、先輩?何を言ってるんですか?」縁の言葉遣いに、蕾は引っ掛かりを覚える。


 縁は複数形で語り掛けた。


 食料という単語を使った。


(まさか)


 一度は除外した、恐るべき想定が蕾の脳内に浮かぶ。


「それではまるで―――」


「私も、最後に一つ聞いていい?」


 答え合わせは、時を待たずして行われた。


「君たち、どっちなの?」


 訊かれて、は「「くくっ」」と笑った。


 音色が変わった。


 同じ音が、重なりあって聞こえた。


「「くははははははは―――」」


 その重音は、音の波がお互いに強めあう訳ではなく、ただただ不快に、微妙にズレて交じりあっている。


 とても不気味な不協和音だった。


「「どっちか、なんてどうでもいいんだよ。だ!」」


「まさか生きていたとはね。空腹の魔法使い」


 縁の言葉に呼応して、まるで薄膜が張られていたように、それの肌と服はドロリと溶けた。

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