第7話 復讐
「つまり、神隠しの事例の一部は彼が原因であり、ここ一ヵ月の事件も彼の仕業である、ということでしょうか」
「うーん。大体そんな感じ」
一連の説明を終えた縁は大きく伸びをする。
「触れたものを小さくする魔法か。それなら襲われた人間の痕跡が無かったのも頷ける。「空腹の魔法使い」が起こした事件がそうであるように、同じく失踪事件として処理されるだろう」
逆に、被害者痕跡が残らない事件だからこそ、神隠しの再発は「空腹の魔法使い」の生存に結び付いた。
「空腹の魔法使い」は襲った人間を残さず平らげる。犯行現場には死体も遺品も残らない。同じような状況を作り出すのは「空腹の魔法使い」以外には難しいだろう。
勿論、縁達の全く知らない、未知の魔法を扱う魔法使いがいれば話は違うのだろうが、その可能性まで考慮するのは―――そしてその可能性を否定するのは、正しく否定の証明だ。
存在しないことを証明するのは、例え確率が限りなく低いと分かる段階でも難しい。可能性の話をしても切りがない。よって可能性の高そうなものから順に、精査していくしかない。
今最も可能性として妥当なのは、未知の魔法使いよりも、犯行が確実に可能な「空腹の魔法使い」によるものだと考えること。だからこそ、本来なら早い段階で除外される死んだ者の生存に信憑性が生まれていた。菫も蕾も、縁すらも、その可能性を第一に考えなければならなかった。
だが実際はこの少年もまた、犯行が可能だった。未知の魔法使いの犯行が確認され、より可能性の高い―――ほぼほぼ断定出来る真相が形作られる。
死者の生存を信じることの妥当性は失われたのだ。
「がっかりしたの?」
仇が生きている。そう考えてボロボロになった身体に鞭打って、菫は動いてきた。彼女からすれば、肩透かしを食らった気分の筈だ。
「……いや、死んでいると分かっただけで十分だよ」
「そっか。あと、蕾も上着貸してくれてありがとう」
「別にお礼なんていりません。私が勝手に気になっただけですから」
縁は蕾の上着を着ていた。縁は別に良いと言ったのだが、看過できないとして蕾が押し付けてきたので、渋々袖を通すことになった。
とりあえず露出している肌を隠せということらしい。
「それにしても、触られたら終わりの相手に服を掴ませるなんて無茶をしますね」
「彼が魔法使いかの確証が欲しかったんだよ。勿論、少しでも彼が不審な動きをすれば直ぐに対応出来るように心構えもあったし。まあ、折角の一張羅がこんなになっちゃうのは、ちょっと予想外だったけど……」
血で真っ赤に染まったジャージの上を指でつまんでヒラヒラと見せる。
鼠がそうだったように、少年が死んだことで彼が掛けていた魔法は全て解けている。よって縁のジャージも当然、元のサイズに戻ったのだが、不幸なことにジャージが捨てられていた場所には鼠の血が飛び散っていた。それも、血だまりが出来るくらいにべっとりと、である。
「これじゃあ流石に、もう着ることは出来ないね」
血が付着した、どころではなく元々血の色であることが予定されているかの如き、正に血の染物。
「ん」
指先でつまんでいたそれを投げ捨て、魔術で起こした火球をぶつける。
ジャージはアスファルトの路上でパチパチと燃える。
「よし。じゃあ私は帰るよ。もう綾継さんには連絡してあるから、後の事は二人でしっかり、ね?」
縁は軽く手を振って、夜の闇へと消えていきった。
後の事、とは遺体の処理や戦いの痕跡を消すことではない。それは補佐官である綾継の役目である。
では、彼女は一体何を指して言ったのか?蕾は彼女の言わんとすることを直ぐに理解する。それは、これまでも彼女から繰り返されてきた問。
「空腹の魔法使い」は死んだ。
姉妹の復讐は為された。
復讐のために生きてきた姉。
それを追って来た妹。
二人の結末は、最高とまでは言わないまでも、それなりに良い形に収まった。
なら、その先は?
復讐に捧げてきた十数年。しかし彼女らの人生は、当然の事ながらその何倍も続いていくだろう。
これが御伽噺なら、結婚や黒幕の打倒という、分かりやすく記号付けられたハッピーエンドの地点を通過した所で、残された余白も無しに、切り良く物語は終わる。
しかし現実では、望んだ結果を掴みとった後も物語は終わらない。
達成感だけを得ることは許されず、そこには必ず喪失感も付きまとう。
姉妹は今、生きる目的を失った。
これからも否応なしに積み重なっていく生の中で、二人は何を目指して、何を為すのか。
決断しなくてはならない。
「……姉さんは、これからどうするの?」
「ん?」
縁はごく自然に、半ば反射的に問うた。
答えを求めて、姉に縋った。
聞かれた菫は、妹の言葉が分からない―――言葉として翻訳は出来ても共感出来ないという感じで、コテンと首を傾げる。
「どうする?勿論これからも魔法使いを罰するよ」
当たり前のことを、当たり前に。
淀みも間も無く、菫は答えた。
「私達の父と母は、魔法使いに殺された。例え仇本人がもう死んでいたとしても、まだ世界には多くの魔法使いが残っている。なら、全て殺し尽くすまで矯魔師として戦い続けるのが、私達のやるべきこと。そうじゃない?」
個人の魔法使いに対する復讐は終わった。
なら次は、魔法使いという種族そのものに対して、憎しみと殺意をぶつけるべきだ。
自分たちの境遇を鑑みれば、その選択することが自然である。逆にしない方が筋が通っていない。
菫の口ぶりが、そう現実に言葉にしなくとも暗に蕾に示している。
「だからさ。蕾も手伝ってくれるかな?」
今度は菫が蕾に問う。
それは、蕾が長い間望んでいた言葉だ。姉の後に続く為。姉の力になる為。蕾は矯魔師になった。一緒に肩を並べて魔法使いに復讐することが彼女が思い描いた理想の未来だった。
「勿論だよ」
だから蕾は、菫の問い掛けにすぐさま笑顔で応対する。
「そうか。良かった」
「はい。これからも、一緒にいましょう」
(そうだ。これこそが、私の望んだものだ)
作り物の笑顔を貼り付けて、言うべき言葉をただ機械的に吐き出す。
悲願が叶ったのなら本来は熱いものを覚えてもおかしくないのに、逆に頭は冷めていた。
(望んだ答えだった筈だ。なのに―――)
彼女の頭は冷静に、今の自分を客観的に分析する。
(どうして私は、引っ掛かっているのだろう?)
自分の中に疑問があることを肯定した瞬間、言葉に出来ない、したくない感情が蕾の脳内を支配する。
(―――やめろ。考えるな)
彼女はそうやって無理矢理思考を止める。
脳裏に付いて離れない感情の名前をはっきりと形にはせず、そっと胸の奥にしまい込む。
この都合の良い夢が覚めてしまわないことを、蕾はただただ願った。
※※※※
鼠の死骸と、少年の死体。
槍が突き刺さった跡のある、壁。
戦いの痕跡と言われれば、それくらいだった。
今日は早く処理が済みそうだ、と綾継は縁に呼ばれて駆け付けた現場を眺めていた。
「やあ、綾継さん」
まずは生ものから片付けようと、動き始めた時、背後から声を掛けられた。綾継慌てて振り向いて身構える。が、声の主の姿を捉えて、警戒を緩める。
「ああ。この姿じゃ分からないかな?」
全身のほぼ全てを包帯で巻かれ、顔の右半分と口元くらいしか見えない格好だが、それでも何となくの雰囲気と、何より特徴的な目元から、綾継は目の前の人物が宇津花菫だと判断する。
「いいえ。御井葉一等官には事情を聞いていましたから、問題無いです、宇津花菫一等官。ご無事で何よりです」
軽く頭を下げ、綾継は周りを見渡した。
今この場には、綾継と菫の二人しかいない。
「お一人ですか?御井葉一等官はともかく、宇津花蕾二等官は……」
「もう帰らせたよ。私は一月くらい死亡扱いだっただろ?だから挨拶くらいはしとこうかなと思ってさ」
「成程。それはどうも、ありがとうございます」
わざわざその為だけに待ってくれているとは、もう一人の一等官とは大違いで良く出来た人である。
(宇津花一等官はこういう方でしたね)
綾継は補佐官として、矯魔師である菫との交流もそれなりにあった。
そんな彼女から見ても、目の前の人物の口ぶり、性格は宇津花菫そのものだった。
「ねえ、少し聞きたいことがあるんだけど、私の生存を聞いたのは縁からだったんだね?」
「はい。それがどうかしましたか?」
「いや、縁ってそこらへんの報告はサボりがちでしょ?補佐官に報告義務がある訳でも無いし、委員会の方に一報入れて後はそこから情報が流れて来るまで、その内容が例え重要な事項であったとしても、こちら側から聞かない限りは答えようとはしない。縁のそういう性格に、私や綾継さんはいつも苦労させられて来た。だから珍しいなってさ」
「……」
綾継の過去の記憶にも心当たりは多くあった。
ついこの前だって、新しい矯魔師が配属された時に縁はその事について自分から綾継に伝えてはいなかった。
「それだけ、とりわけ大事な事柄だと判断したのではないでしょうか?」
本人は口には出さないだろうが、縁は死地で背中を預ける相手として菫のことを信頼していた、と綾継は考える。
菫の死は彼女にとっても衝撃的であり、だからこそ普段は聞かれないと答えないであろう事柄を、積極的に周りに報告した。
「だったら嬉しいけどね。じゃあ委員会側にも私のことは知られているのかな?この街の矯魔師は原則二人の筈で、蕾は私の後釜でしょ?なのに今矯魔師が三人で活動することが許されているのはおかしい。綾継さんもそっちから何か聞いてない?」
委員会としては、いつどこに矯魔師が現れても良いよう、欲を言えば世界中全てに矯魔師を常駐させて監視したいと考えている。
よって魔法使いの数が減っているとはいえ、矯魔師を余らせる程の余裕は委員会には無い。
「聞いていませんね。私から委員会に連絡してみましょうか?」
「……いや、ちょっと疑問に思っただけで、わざわざ綾継さんの手を煩わせることでもないよ」
縁は菫の生存については委員会に報告していない。その可能性が聞けただけで、彼女は満足だった。
「そうですか」
「うん。じゃあ私は先に帰るよ。お疲れ様」
彼女は綾継を置いて立ち去った。
彼女の生存が判明した段階で、縁は委員会にそのことを伝えなかった。あの場で縁の言葉を聞いていた彼女には分かっていたことである。だから綾継への質問は単なる確認作業に過ぎなかった。
『そりゃあ、困るでしょ。だって私のボーナスが無くなるし、それどころか虚偽報告で評価が落ちる。最悪、減給だよ。ほんと、困るよね』
あの炎を見て、縁は誰も生存者がいないだろうと確信していた。
宇津花菫の生存は、言い換えれば「空腹の魔法使い」の生存を示唆する事実である。
報告するだけで、縁の評価と報酬には傷がつく。縁が委員会に報告しなかったのはきっとその辺が関係しているのだろう。
縁の性格と信条を、彼女は良く知っていた。
縁と蕾の決裂の現場を、彼女はよく観察していた。
綾継とのやりとりは、ただのダメ押し。
残された時間が少ないことを自覚するための確認作業。
そこからは、自問自答である。
自分はこれから何をすべきか。
何が最善で、何が望まれているのか。
彼女は照明の少ない夜道歩きながら思考を巡らせる。
緑地公園の神隠し。
その元凶となる魔法使いは全て殺された。
よって残っている謎は、生き残った宇津花菫のみである。
※※※
この学校に通うようになってから、もう訪れて何度目かになる、屋上。
今迄と違うのはそこから広がる景色が明るい昼のものではなく、黒を主体にポツポツと人工的な光が照らす、夜景である点だ。
蕾は街一帯を見渡せる位置取りで、その夜景を眺めていた。
峯ヶ浜市は港が隣接した街である。水害が起こった際の避難場所に指定されていることから分かるように、学校の立つここら一帯はかなり隆起した土地で、標高が高い。だから街の全体像が蕾にはよく見ることが出来た。
(もう一ヵ月か)
蕾がこの街に配属されて、一月と数日。学校の生徒としても馴染み、友人と呼べる間柄の人物も多少はできるようになった。
ただの高校生のような生活で、蕾の一日の半分は染まっている。
今迄も見習いとして、一般人の生活の傍ら矯魔師になる為の訓練をして来たことはある。
だがその日々とこの一月決定的に違う、と蕾は回顧する。その原因は間違いなく、御井葉縁と出会ったことだ。
自分が一体何の為に矯魔師になったのか。
縁から問を投げかけられてからの生活は、魔法使いへの恨みと矯魔師への渇望で一杯だった蕾の視界を大きく広げた。
視野を広げる、と言えば聞こえはいいが、実際は蕾が必死に目を背けていた事柄に向き合わざるを得なくなったのだ。それは姉を道標にただ進んでいたこれまでとは明らかに違い、とても息苦しいものだった。
知りたくなかった現実を、無理矢理直視させられた。目が焼き切れようと脳が理解を拒絶しようと、縁は許さなかった。
本当に、地獄のような一ヵ月だった。
だから姉が生きていると分かったのは蕾にとっては吉報だった。地獄からの救いの手―――自分にとっての蜘蛛の糸だった。
……分かっている。
縁との決別は彼女に対して失望が、表向きな理由だ。けれど実際、その根底には別の感情があったことを蕾は否定できない。
失望しても残当である状況を利用して、体のいい言い訳として利用したのだ。
これ以上縁と一緒に行動をしたくない。一秒でも早く縁から離れたい。
そんな思いが、このような結末を生んだ。
「早いね。蕾」
「姉さん」
屋上に、宇津花菫が現れる。
蕾は姉と相対した。
どうして蕾がこのような時間に、このような場所にいるのか。それはこの姉の呼び出しがあったからである。
「また魔法使いの噂でもあったんですか?」
呼び出された理由までは蕾は知らなかった。
「ああ。そんなとこだよ」
姉の返答は曖昧模糊としていた。
「姉さん」
「何?」
「……いえ、何でもないです」
「どうした蕾?何か元気ないね」
「大丈夫ですよ」
「……そう?」
蕾は深くは追及しなかった。
これからも共に生きていくことを選んだのだから、敢えて聞く必要は無いと思った。
或いは、聞いてしまえば終わってしまうと思った。
蕾はそうして、また目を背ける。
姉から視線を外し、また夜景を見つめた。
(……分かっていた)
理屈で強引に信じていたが、実際違和感はあった。
直感が、否定していた。
なのに、ある筈の無い幻想に縋ってしまった。
夢が覚めないことを望んだ。
その夢が悪夢であったとしても、酔っていたかったのだ。
(私は結局逃げてばかりだ)
その報いを受ける。
何が起こるのか。
何を間違ったのか。
何を為せたのか。
何をしたかったのか。
全ての答えを放棄して、蕾は目を閉じる―――
「随分と夜遅い合流だね」
―――声が、静かな屋上に響く。
聞きなれた声音だった。
二人しかいない筈の屋上に、御井葉縁の姿があった。
「菫は何の目的で、蕾を呼んだんだい?」
いつもの調子で、縁は冷たく姉に問う。
彼女の言葉が、蕾に目を閉ざすことを許さなかった。
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