第5話 決別

「一体全体、どういうことなんだろうね」


 蕾が亡き姉と衝撃的な再開を果たしてからすぐに、三人は一度合流していた。


 死んだと思っていた人物が、実は生きている。


 その事を聞かされた時、流石の縁の顔にも動揺の色が見てとれた。


「どうもこうも、事実を言ったまでさ」


 菫の言う、ここに至るまでの経緯はこうだ。


 空腹の魔法使いと炎の中で心中したあの日。彼女は火災を見た近隣住民から通報を受け、出動した消防隊によって救出された。


 その後辛うじて息のあった彼女はそのまま病院に緊急搬送され、数週間に及ぶ治療の結果、奇跡的に一命を取り留めた。


 そして晴れて退院して、今に至る。


「連絡が遅れたのは、悪かったと思ってる。私も見て分かる通り、余裕がなかったんだよ」


 菫は袖を捲って包帯の巻かれた右腕を晒す。そして包帯を少しずらし、痛々しい火傷の跡を見せ付けた。


 縁と蕾は思わず顔をしかめる。


「それでも、今はこうして出てこれている。どうして今まで姿を見せなかったの?」


「退院を許されたのが昨日の今日だったんだよ。この格好じゃ、学校には通えないだろう?」


 単なる女子高生で通っている彼女が、日常生活では決して負わないであろう、大火傷の跡をつけて登校すれば当然、学校側から説明を求められるに違いない。


 勿論、魔法使いやら矯魔師やらの本当の事情は言えない。そんな中で事の経緯を矛盾無く説明するのは難しいと彼女は判断したのだ。


 確かに。一応の筋は通っているように思える。


「分かった。じゃあ、どうしてここにいるの?」


 緑地公園。それも焼け野原となった一帯。そのような場所に何の目的があって来たのかと、縁は問う。


「緑地公園の神隠し。その噂を聞いていても立ってもいられなかったんだよ」


 緑地公園付近で発生する行方不明事件の数々は、「空腹の魔法使い」によって引き起こされたものだった。


 よって「空腹の魔法使い」が死んだ今、その噂は過去のものとなり、新しい行方不明者は今後出ないことが道理である。


 だが、現実では今も尚、原因不明の行方不明者が増え続けている。その事実が、一体何を示すのか。


「「空腹の魔法使い」が、生きているかもしれない」


 殿を務めてまで討ちたかった仇が、今ものうのうと生きている。


 それは可能性としての話で、実際に証拠がある訳ではない。だが可能性があるというだけで、彼女が動く動機には十分だ。


「許せないだろ?罰したかった奴が、まだ生きているかもしれない。死んでも死にきれない」


 彼女の十数年は抱え込んでいた憎しみはそれだけ深く、強いものなのだ。


「だなら私は、ここに来た」


「あの炎から、アイツらが生き延びたって言うの?」


 直に眺めていた縁からすれば、信じ難いことだ。


「ただの人間である私だって、こうやって無事なんだ。魔法使いなら十分あり得る話だろ?」


「……かもね」


 その言葉を縁は否定出来なかった。


 魔法使いとは、とどのつまりは人間の理解を越えた存在である。


 完全な否定を言い切るには、魔法使いはあまりにも多くの可能性に満ち溢れ過ぎている。


「納得して貰えた?」


 正直なところ、縁は彼女のことを疑っている。


 確かに声や仕草、目元や身長などの身体的特徴は、記憶にある以前の宇津花菫のものと一致しているが、それでも目の前の彼女を宇津花菫本人だとは信じられなかった。


 理由は第一に、あの場を生き残れるとは思えないから。


 そしてこれまでのやり取りとこの状況に、僅かに引っ掛かりを憶えているから。言葉では言い表せない違和感が、拭えない。


 どれも根拠の薄い、縁の主観である。菫の説明の方がよっぽど筋が通っている。


 しかし彼女は自身の直感を信じて、疑問を呈した。


「……聖槍は、どこにあるの?」


 聖槍は魔法使いに対しての必殺の武器であると同時に、矯魔師であることを示す証明書だ。十字架を持っているか否かで、彼女が本物の宇津花菫かが判断できる。


「ん、ああ―――はい」


 彼女は懐からそれを取り出して、縁たちに見せた。掌に収まるほどの十字架。矯魔師であることを示す身分証。その中心にはしっかり『Ⅰ』の文字が施されている。


 その十字架は間違いなく、宇津花菫のものだった。


「これでいいかな?」


「…………」


「……あの、ちょっといいですか?」


「何?」


 黙って二人のやり取りを見ていた蕾は縁の手を引いて菫から距離を取り、あちら側に聞こえないくらいの音量で、少々の苛立ちを覚えながら問い掛ける。


「この人は姉さんで間違いありません。声も、仕草も、姉さんそのものです。先輩も分かっているでしょう?」


「……」


「それに十字架も持っています。死んだと思っていた人間が生きていたと、信じられないのは分かります。けれど、むしろ信じない方がおかしいと思います。何を根拠にそこまで疑っているんですか?」


「根拠、か……」


 そう聞かれると縁は答えに窮してしまう。何故なら彼女の疑問は直感的なもので、理屈に基づいたものではないからだ。


 縁の筋の通っていない懐疑的な振る舞いが、蕾に不信感を募らせる。


「これではまるで、先輩は姉さんに生きていて欲しくないみたいじゃないですか」


 暗に、今は死亡したと断ぜられていた姉の帰還を素直に喜ぶべきだと蕾は主張する。


 血の繋がりがある自分と、究極的にはただの同僚でしかない縁との間で、姉の生還に対する心の機微に差異があることは蕾もよく分かっているつもりだ。


 共に過ごした時間の量も、思い出の数も。けた違いだからこそ、それは仕方ないことだと認めなくてはならないと、納得もしている。


 しかし、先程のやり取りや今も訝しんでいる縁の態度は、姉妹間の感動の再会に横やりを入れているようなものであり、そんな縁の無神経さと不合理な対応が蕾を苛つかせる。


「姉さんが生きていて、何か困ることでもあるんですか?」


 ある筈がない。


 だから、もう疑ってかかるのはやめて欲しい。


 もっと踏み込んでものを言うなら、私たちの間に踏み込まないで欲しい。


 ―――部外者が、邪魔をしないで欲しい。


 もろもろの感情も込めて、そう反語の言い回しで、縁に問う。


「そりゃあ、困るでしょ」


 けれど、縁の解答は非常に端的なものだった。


 予想していなかった返答に、蕾は固まる。


 姉が生きていて、困る?


 同じ矯魔師の縁がどうして?


 蕾は理解が追い付かなかった。


「だって私のボーナスが無くなるし、それどころか虚偽報告で評価が落ちる。最悪、減給だよ。ほんと、困るよね」


 なんてことのない風に、当然だと言わんばかりの態度で、縁は言い放った。


(ああ、そうか―――)


 縁の言葉は思いの他すんなりと、本人も驚くくらいにすうっと蕾の頭の中に入って来る。


 憑き物が取れたように、これまで有耶無耶にして目を背けていた違和感に折り合いが付けられ、わだかまりが一気に晴れた感覚を、蕾は覚えた。


「この期に及んでも、なんですか?」


「ん?」


 つまるところ、蕾は諦めたのだ。


 憧れの対象を信じることを。


 そして、理解し合うことを。


「先輩が信用できないなら、そうすればいいですよ。だけど、私は姉さんを信じます」


「……どういう意味かな?」


「姉さんが生きているなら、姉さんは今でも矯魔師ですよね?」


「まあ、そういうことになるね。本物なら、の話だけど」


「だったら、私は姉さんに付いて行きます。姉さんと一緒に、「空腹の魔法使い」を罰します」


 菫の言葉を信じる。それはつまり、「空腹の魔法使い」の生存の可能性も信じるということでもある。もし仇が生きているなら菫の言っていたように、彼等を殺す為に行動するのが道理だ、と蕾は考える。


(私は、姉さんを手伝いたくて矯魔師になったんだ)


 蕾は目的を得た。いや、思い出した。


 解は見出せたのだから、あとはそれに従うだけだ。


「姉さんと、二人でやります」


 決別の言葉を、蕾は告げる。


「勝手な行動だね。先輩としては、許せないよ」


(……この期に及んで、先輩面か)


 今迄必死に動かし、熱を帯びていた頭が急速に冷えていくのを蕾は感じた。


(私は、こんな人に期待していたんだ)


 憧れは無関心に、そして最後には軽蔑へと行き着く。


「なら委員会に連絡すればいいじゃないですか。けれど今出ている状況証拠を並べれば、姉さんは本物であるという見方の方が強くなる筈です。おかしいのは先輩だと判断されます、そうなれば、お金と評価が大事な先輩くらいしか不利を被りませんよね。それでも良ければ、どうぞご勝手に」


 蕾は言いながら、散々守銭奴であることを公言していた人間に出来る筈がないと、高をくくった。


 皮肉を言い残して、蕾は姉の元へと向かう。


「行きましょう。姉さん」


「縁は良いの?」


「別行動を取ることになりました。だから、もう話すことはありません」


「……そっか」


 じゃあまたね、と菫たちは雑木林の中へと消えていく。


 蕾は振り返らない。


 縁は黙って彼女たちの後ろ姿を見送った。




 ※※※※




「……生意気な後輩だなあ」


 焼野原に残された縁は、独り言を零した。


(ま、私のせいか。出来て早々後輩に嫌われちゃったか~)


 誰に聞かせるでもない、軽口を頭の中で叩きながら、彼女は携帯を取り出して電話を掛けた。


「あ、綾継さん?……いやいや、今日は後処理はいらないよ。別の要件。すぐに調べて欲しいことがあるんだけど―――」


 短く用件だけを伝える。


「―――そう、遅くにありがとね。それじゃあ」


 電話を切って、ふう、と一息ついた。


「……しかしこのままじゃボーナス無しか。本当、どうしようかなあ」


 後輩に責められ。見限られようが、彼女の本質は変わらない。


 御井葉縁はブレずに守銭奴であった。

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