第4話 再発

「今回も派手にやってくれましたね」


 大穴の空いた死体を中心に、血がそこら中に飛び散っている部屋を眺めながら、女性はそう感想を溢した。


 女性は黒いスーツ姿で片目を黒髪で隠した出で立ちをしている。


「不可抗力だよ」


 縁は女性に悪びれもせず答える。


「空腹の魔法使いについては、まあ良いでしょう。それだけの手合いだったと納得できます。ですが昨夜に関しては、貴女ならもっと穏便に済ます方法だってあったのでは?」


「……社会勉強の為だよ」


「また意味の分からないことを……これでは先日配属された新しい矯魔師の方も大変ですね」


「何で?どこからどう見ても面倒見の良い先輩でしょ?」


「……それで、そんな素晴らしい先輩である御井葉一等官にお聞きしたいたいのですが、宇津花蕾二等官は今どちらに?」


「もう帰らせた」


「……」


「いや、仕事が終わったんだから帰らせるのは当然でしょ?むしろホワイトな職場だと褒めて欲しいね」


 女性は胸を張る縁に対して白い目を向ける。その視線に居たたまれなくなり、「な、何さ?綾継さんは蕾に何か用事でもあったの?」と、開き直って反論した。


「別に。これから一緒に動いていく以上、一言挨拶を、と思っていただけですよ。まあ、補佐官のこたなど、貴女方にとってはどうでも良いのかも知れませんが……」


 委員会に所属する人間は、「魔法狩り」において実力行使を担当する矯魔師と、戦闘能力の低さ故にそのサポートに回る補佐官の二つのどちらかに大別され、基本的に魔法使いへの直接の対抗手段となる矯魔師の方が委員会内での地位は高くなる。


 彼女言葉は自虐や被害妄想ではなく、正しく事実だった。


「軽視してる訳じゃないよ。君らがいなけりゃ私達は立ち行かない。今日だってそうだよ」


 魔法使いとの戦闘は特に相手がどのような魔法を使ってくるか、どのようにして対策するかが勝敗を左右する。


 先程の戦闘からも分かるように、正確な情報が多ければ多いほどはそのまま生存率に直結するのだ。


「こーんなになった部屋が世間に見つかれば、面倒くさいことになるでしょ?」


 補佐官の役割は主に「魔法狩り」の為の情報収集と、事後処理。


 例え魔法使いを殺せたとしても、その痕跡が公になれば面倒なことになる。死体をそのまま放置などもっての他だ。


 円滑な「魔法狩り」において、補佐官の存在は不可欠だった。


「それに、矯魔師が死んだ時に情報を持ち帰れるのは君達しかいないからね。いなくなって貰ったら困る」


「……」


(笑えない冗談……いや、この人は本気で言っているのか)


 例え挑んだ矯魔師が死んでも、情報さえあれば打開策が生まれる。


 縁の言葉は極めて合理的なものだったが、綾継は自分よりも年下の少女が平気で自身の死を勘定に入れて死闘に身を投じている事実に少しばかりの恐怖を覚えた。


「それで、どうして綾継さんがこんなに早く現場に来てるの?いつもはもう少し遅いよね?」


「はい、御井葉一等官。一つ気になる情報があったので、伝えておこうと思ったんです」


「何?」


「昨夜、緑地公園付近で一人、行方不明者が出ました」


「……魔法使いの仕業?」


「そこまではまだ分かりません」


 原因不明の行方不明者。


 誘拐かもしれないし、家出かもしれない。だが断定できない以上、全ての可能性は考慮すべきだ。


「……はあ。まだ一日も経ってないってのに、どうなってるんだ。やってられないよね」


 空腹の魔法使いは死んだ。


 緑地公園の神隠しは終わった筈だった。


 しかしその平穏は、どうやら長くは続かないらしい。


「ある意味で、ただの失踪事件であってくれた方がマシだなあ」


 今はそう、愚痴ることしか出来なかった。





 ※※※※





 空腹の魔法使いの死から1ヶ月。


 この時点で、行方不明者の数はちょうど10人の大台に乗っていた。流石にこれ以上一般人である警察に任せておくのも限界だ。


 縁と蕾はまた屋上に来ていた。


 矯魔師であることを隠すため、なるべく二人に接点があることが知られないようにする以上、人の出入りが無い屋上は密会の場として打って付けなのだ。


「失踪事件は毎回夜に起こるらしい。だから今夜。緑地公園に行くよ。もし魔法使いの仕業だったら殺すから、そのつもりで」


 簡潔に用件だけ伝える。


「はい。分かりました。先輩」


 蕾もまた、そう簡潔に答える。


 両者の間に無駄な言葉は無かった。必要最低限の会話である。


 返答を聞いた縁は立ち去ろうとしたが、話は済んだにもかかわらず蕾は黙って上目遣いに縁の方を見ていた。


「……」


「何?言いたいことがあるならはっきり言って」


「いや、その……魔法使い、ですかね?」


「さあ?まだ魔法使いだと決まった訳じゃないけど、ただ、用心しておくに越したことは無いだろうね」


「そうですか……何だか久しぶりですね」


 二人が矯魔師として仕事をするのは、実に一カ月ぶり……一月前に魔法使いの男を殺して以来だった。


 その間、勿論二人は学校でも敢えて接点を持っていない。


「まあ、最近は魔法使いなんて早々いないからね。連日で出会う方が珍しい」


「空腹の魔法使い」から、さらに次の日に委員会からの要請。そうやって立て続けに「魔法狩り」を行うことは、長年矯魔師をやって来た縁にもここ数年記憶にない。


 魔法使いに関する用件の絶対数自体が近年減ってきているのだ。


「どうしてですか?」


「さあ?何百年も殺し合いを続けてきて、しかも魔法使いは大してその数を増やしていないんだ。殺し尽くしちゃってるんじゃない?」


 投げやりな回答のように聞こえるが、それは縁の本心でもあった。


 自信の経験則から判断しても、魔法使いの減る速度よりも遥かに高い頻度で委員会は魔法使いを殺している。


 そもそも魔法狩りの本場はヨーロッパが中心だ。極東の島国では事例が少ないのは仕方がない。


「それでも、ここら辺はまだ多い方だよ。ここら一帯は収束地だからね」


 ここで言う収束地とは、須くが集まる土地のことである。とは委員会が勝手に定義したもので、所謂魔に近しいもの達のことである。


 例えば魔法使い。


 或いは霊。


 或いは魔獣。


 或いは神。


 そういったもの達が、理由は不明だがよく集まる、つまりは惹かれる場所が存在することは、昔から知られている。


 例えば心霊スポットや、神社仏閣の一部も、その収束地の一種だ。


「菫がここに来たのも、今思えばその為だったのかな?」


 縁がそうであるように、菫もまた優秀な矯魔師だった。


 矯魔師としての実力が確かなら、ある程度仕事の融通をつけられるのである。


 自分を殺した魔法使いに出会える確率を少しでも上げる為、敢えて魔法使いが引き寄せられるこの土地に居つき、復讐の機会を待っていたのだろう。


「先輩はどうしてこの土地に?」


「稼ぐため」


「……」


 集束地には魔法使いが多く集まる分、成果を上げやすい。そしてその結果が委員会から評価されれば固定給は増えるし、運良く名付きを殺せればボーナスも貰える。


 御井葉縁はどこまでもブレず、守銭奴だった。


「君は?」


「私は―――」


 姉がいたから、同じ場所に行きたかった。


 直ぐに答えは浮かんだが、言い淀んでしまう。


 理由を明白。ではその理由が無くなった―――姉が死んだ今、私はどうしてここにいる?


『自分で決めなくてはならない』


 あの「魔法狩り」が終わってからずっと、あの時縁に掛けられた言葉は蕾の心に深く突き刺さり、じわじわと彼女を蝕んでいた。


 彼女はまだ、その問に対する解答を持っていない。


「どう……でしょうね」


 曖昧で意味がない、言葉にすらならない音を返すしか出来なかった。


「そう」


 縁はさして興味無さげに、蕾と目も合わせずに応答した。


 まただ、と蕾は心の中で呟く。


 縁はあの日から、こんな風に答えを見つけ出せない蕾を決して咎めること無く、たまに思い出しかのように同じ問い掛けをし、また時間が経てば問い直すことを繰り返していた。


 最初の問から、既に1月が経過している。


 縁の態度は、蕾からすればまるで優柔不断な自分を責ているようで、悔しさと同時に情けなさも覚えていた。


 しかしどれだけ反骨精神を刺激されて考えたところで、納得のいく解は見付からない。


 理屈を尽くして、言葉を紡ぎ、感情を並べても、どこか足りないようで、また全く違うもののようで、しっくりこなかった。


「どうでもいいけど。今日の仕事、忘れないでね」


 どうでもいいなら、最初から言わないでくれ。


 蕾はすぐそこまで出かかった悪態を、寸前で引っ込めた。


(そうだ。先輩にとって、私がどんな答えを見付けようが、どうでもいいんだ)


 何故なら、これは蕾自身の問題で、縁は全くの部外者だからだ。


 彼女はこれまでも、何か一つの解答を強制したりはしなかった。


 ただ、誰かのもの真似であることを否定しただけ。


 どれだけ幼稚で、曖昧で、汚いものでも、自分が決断したものであれば、縁はきっと文句言わず、いつものように淡泊に「そっか」と答えてくれるだろう。


(つまるところ、どこまでいっても私だけの問題って訳だ)


 そうやってうだうだと考えている内にいつの間にか、縁は屋上から立ち去っていた。





 ※※※※





 緑地公園は広大な敷地を有する。


「二手に分かれないと、朝になっちゃうね。私は東側から回るから、蕾は西をお願い」


「はい」


 簡潔に指示だけ飛ばすと、縁はそそくさとその場を後にした。


 蕾は言われた通り、西入り口から中へと入る。一歩踏み入れば、そこには見渡す限りの木々が生い茂っていた。


 備え付けられた灯りだけでは心許ないので、蕾は魔術で光を生み出し、それを懐中電灯代わりにして人工的に舗装された道を辿る。


「魔術」は魔法使いの扱う「魔法」と異なり、その力は弱く、また単純な現象である。よって魔術を戦闘で役立てる機会は少なく、このように補助的な役割を担う場合が常である。


 戦闘における矯魔師の得物は専ら、魔法を打ち消す力を持つ聖槍だ。蕾は最も信頼できる武器である槍を両手で握りしめて、歩を進める。


(……あっ)


 そうして30分ほど経過した頃だろうか。代わり映えしない雑木林の景色の中で、蕾はそれを捉えた。


 道から外れた、林の奥。そこには不自然に木々が殆ど生えていない、枯れ葉や土から一部顔を出した太い木の根などの有機物が大半を占める一帯がある。


 その範囲は蕾のいる位置からでは端から端まで視界に収まらない程には大きく、所々に中途半端な高さの黒ずんだ木のようなものたちが生えている。


 焼けた木々の痕跡だ。


 ああ、あれがそうなのだ。と蕾は確信する。


 蕾はその場面を実際に見ていたわけではない。


 ただ話には聞いていた。


「空腹の魔法使い」との死闘の場こそが、あの一帯だった。


 仇の討たれた場所であり、姉が終わった場所。


 蕾は誰に言われたわけでもなく、ただ無意識に道から外れ、その場所に向かった。一度だけでも、直で見るべきだと思ったからだ。


(……すごい)


 焼け野原というのは、正にこういった情景を指すのだろう。緑地公園の約4分の1を焼失させた、文字通り地形を変えた戦いの跡地。


 眺めるだけでも、そこでどれだけ凄惨な戦いがあったのか分かる。


(私は……)


 ふと、そんな意味の無い疑問が頭に浮かぶ。


(もし、この場にいたとして、本当に何か出来たのだろうか)


 蕾が矯魔師となる道を選んだのは、姉が矯魔師であったから。そして姉が矯魔師になったのは、復讐の為。


 姉の復讐の一助になりたいという気持ちが、確かに蕾にはあった。


 妹として。そして同じ両親を殺された立場として、姉と同じ道を歩むべきだと信じて疑わなかった。


 だがこうして現実を見せ付けられると、否応なしに思ってしまう。


 自分のやったことに意味があるのか、と。


 成り行きで、理由を他に押し付けて選んだ道。その道すら間違っていたのだとしたら、一体自分には何が残ったというのか。



 蕾が呆然と立ち尽くしていた時、視界の端で何かが動いた。



 獣や植物ではない。


 人影だった。


 蕾は意識を現実に戻し、咄嗟に槍を構える。


 深夜の緑地公園。しかも火災の跡地。


 その真ん中に人影は佇んでいた。


 こんな場所をわざわざ訪れる人間は、自分と同じく普通ではない、訳有りに違いない。


 槍を突き出しながらジリジリと、人影との距離を詰める。


 魔術による明かりと、月明かりが木々が燃え落ちた荒地と、そこに立つ人影を照らす。その人物は背を向けていた。蕾より少し高い身長で、フードを深く被ったパーカー姿である。


 顔が見れる距離まで近づいたところで、蕾は止まった。


「誰ですか」


 声を張って、問う。


 その人物がこちらを振り向いて、蕾は思わずぎょっとしてしまう。


 顔の半分以上を包帯で覆い、服の中までは見えないが、腕も足も、本来肌が覗いて見えるであろう場所は例外なく、白い包帯で巻かれている。空気に晒しているのは右目と口元だけ。あまりにも痛々しい姿だった。


「君は―――」


 片目で蕾を射抜き、口を小さく開く。


 か細いその声音を、蕾の耳は確かに拾った。


 像を捉えた。


 声を聞いた。


 そして、唯一覗く右目―――特徴的な垂れ目を確認した。


 それらの知覚情報から、蕾はある一つの想定が頭を過った。


(あり得ない)


 蕾は直ぐに脳内で否定する。


 その想定は、世界の理から反するものだ。これまで人類が一度として実現したことのない悲願であり、醜い願望だ。


 魔法でさえ実現し得ない現象を、どうして目の前にあると思えるのだろうか?


 馬鹿馬鹿しい。


 意地汚い。


 諦めが悪い。


 その想定を少しでも考えてしまった自分自身を、言葉を尽くして罵倒する。


 必死に自己暗示をかける。


 なのに―――


「ああ―――」


 また、口を開いた。


 高い、女性的な音色。


 今度はよりはっきりと声を捉える。


 そして、蕾は確信する。


 必死に並べた否定が、その一言で一瞬の内に氷解した。


「―――なんだ。蕾か」


 名前を呼ばれる。


 どうして知ってる、とは聞けない。


 彼女が知っているのは、至極当然だ。


 あり得ない現実が、今目の前にあるのだ。


 誰かを示す、身体的特徴は尽く欠落していたが、蕾はが誰のものか、はっきりと分かった。


 分からない訳が無かった。


「びっくりしたよ。蕾がここにいるなんて、思わなかった」


 最も信頼する人物。


 人生の指標。


 親代わりであり、唯一の肉親。


「姉さん……?」


「どうした、その驚いた顔は?まるで、死人が化けて出たみたいじゃないか」


 宇津花菫。


 先の魔法狩り命を落とした筈の彼女が、そこには立っていた。

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