第3話 社会勉強

 人も出歩かなくなった夜更け。


 二人の矯魔師は目的地であるアパートの前まで来ていた。


「もう標的は目と鼻の先だし、槍は出しておこうか」


「分かりました」


 彼女達は身軽な服装で、両手は空手である。だが懐からそれぞれ十字架を取り出すと、その十字架はそれ自体が拡大されるように大きくなり、やがて二人の身長を越える長さの槍となって、二人の手に握られる。


 その槍は矯魔師のみ持つことが許された武器。名は聖槍と言う。


 勿論武器として、それ自体も頑強で鋭く、殺傷能力が高いものになっている。しかし何より特筆すべきは、槍の穂の部分では魔法を無力化出来ることである。


 一度穂に触れてしまえば、それがどれだけ強力な魔法―――例え名有りの魔法使いのものであっても、関係なく打ち消してしまう。


 正に人間が魔法使いに対抗するために生まれたような槍。矯魔師の得物として、これほど相応しいものはないだろう。


「標的はこのアパートの二階にいる、短髪で男の魔法使いだ。これがそいつの写真。くれぐれも間違えないように」


 写真を蕾にも一瞥させた後、縁は魔術で火を付けて写真を燃やした。


 そうして誤って一般人を殺してしまわないよう、改めて標的の正確な場所と特徴を共有する。


 目の前のアパートは、見た目築数十年は経っているであろう、年季の入った建物だった。委員会の情報によると、長年何人もの矯魔師の追跡を退けて来た魔法使いの一人がこのアパートで暮らしているらしい。その魔法使いを殺すことが今回二人に課せられた仕事の内容だった。


「私、実は先輩に憧れていたんです。私と大して年は変わらないのに、名有りの魔法使いを幾人も罰した一等官。一緒に制裁に来れるなんて感激です」


 蕾は初めての仕事に対しても緊張する素振りもなく、はっきり言えば浮かれていた。


 縁はそんな蕾を咎めることはせず、


「そう。じゃあ無駄話はこのくらいにして、さっさと仕事を済ませようか。相手は逃げ足が速いようだし、作戦通りに行くよ」


「はい」


 二人は魔法使いの住む部屋に向かって、歩みを進めた。




 ※※※※




 男は浅い眠りから覚醒した。


 ここ数年―――矯魔師に追われるようになってから、男は熟睡することが出来ずにいた。常に追われている恐怖心故に、心休まる時間などなかったからだ。


(何か―――嫌な予感がする)


 男は飛び起き玄関まで行き、覗き穴から周囲を見る。右に左に、下に、視線を動かす。だが扉の周りには人影らしきものはなかった。


(……気のせいか)


 でも、楽観視は出来ない。この嫌な予感も百回に一回くらいは当たる。そしてその一回は自分の命を救うことになるのだ。例え1パーセントの可能性出会っても、無視することは出来ない。


 覗き穴から離れ、男は疲れた様子で壁にもたれかかる。事実、男は心身とも疲弊していた。


 毎日命が狙われている恐怖。周りの人間全てが敵に見える錯覚。


 そんな環境で平常通り生活出来る人間のほうがどうかしている。


(いつまで、こんな生活をしなければならないだ)


 男は魔法使いを祖父に持つ、ただの一般人だった。ただ少し、祖父の魔法が使えたというだけで、それ以外は普通の人間と何ら変わらないと男は自認している。


 魔法使いの血を持つ者は、魔法の力を発現しやすい。男は運悪く魔法使いとしての素養があった結果、その人生は大きく狂うことになってしまったのだ。


 どれだけ力が弱かろうと、魔法が使えれば「魔法狩り」の対象となる。


(くそっ。俺が何したっていうんだよ。誰でもいいから助けてくれよ)


 祖父はとうの昔に矯魔師に殺されている。


 両親は魔法使いの素養はなかったが、もし魔法使いを庇えば巻き添えをくらい兼ねないので、男とは縁を切っている。


 男は一人孤独に、これまで逃げ続けてきた。男の精神は心の中で宛もなく救いの手を求めるほどに、限界が近かった。


 その時。パリン、とガラスが割れる音が男の耳に入る。


 音は男のいる玄関とは間取り的に丁度反対側から発せられた。そこにはベランダへと繋がる、大きな窓が備え付けられている。


 パキッ、パリッ、と床に飛び散ったガラスの破片を踏み敷くような音も聞こえてきた。


(誰かが、入ってきた!)


 窓から訪ねてくる人物が、まともな訪問者な訳がない。


 男は直ぐに、自分の周りに煙幕を出した。


 この煙幕は彼が魔法で作り出したものだ。男はこれまでこの魔法を使うことで、何とか矯魔師の襲撃から生き残って来た。


 煙の目眩ましを盾に、男は扉を開けて外に出ようとする。


 しかし、出来なかった。扉を開けるとそこには長髪の冷たい目をした少女が立っていたのだ。


「な、なん―――」


(誘われたのか?!)


 一人が窓から侵入して自分の逃げ道を限定し、もう一人がそこで待ち伏せる。


 煙幕で行方を分からなくする男にとって、どこに向かうかが知られるのは致命的だった。


 男自身に、戦う力は無い。相手が自分よりも体格の小さい女であったとしても、戦闘に秀でた矯魔師に万に一つも勝てる見込みはない。


「ぐっ!」


 男は避ける間も無く、石突で鳩尾を打たれる。そしてよろめいた所に、槍はそのまま容赦なく男の身体を薙ぎ払い、男は成す統べなく壁に全身を打ち付けた。


「がはっ」


 一瞬の内に男は押さえられた。


 首元には長髪の槍の穂先が添えられている。


「流石ですね、先輩」


 奥からもう一人の矯魔師が歩いてくる。


「こんなに早く無力化するなんて」


「委員会からの情報が無ければ、こんなに、上手くはいかなかったよ」


 縁は誇るでもなく、冷たく言い放つ。


「……でも、どうして罰さないんですか?生かしておく必要はないでしょう」


 その一言に、男の肩がピクリと反応した。


 自身の死が近づいているという事実が、男の身体を震えさした。


「ちょっとした社会勉強だよ」


「はあ……?」


 縁は説明をする気は無いようで、急に自分よりも重い男の首根っこを片手で掴むと、男を軽々と部屋の奥に向かって投げた。


「なっ?!」


 驚愕の声を上げながら大窓の近くに転がって行った男は、何が起こったのか分からず、ただその場で身体で起こして二人の矯魔師を警戒する。


(何を、考えている?)


「ちょっ!何やってるんですか!?逃げられますよ!?」


 蕾の言うように、男は拘束などはされておらずまた、深手を負っているとは言っても動けない程ではなかった。


 また煙幕を出し、割れた窓から逃走することは十分に可能だった。


「……」


 縁は無言で槍を肩より上に構え、投擲の姿勢に入るが、その穂先は見て分かるくらいに狙いがズレていた。このままでは軌道は僅かに逸れて、壁に突き刺さるだろう。


「どうせ煙を出すなら、厳密に狙う必要はないでしょ?私の槍は岩だって砕ける。多少ズレても掠めるだけで致命傷になる」


 縁は男に言い聞かせるかの如く、大きな声で語った。


 それは男を逃がさない宣言にも聞こえるが、そうだとしても縁の言動はおかしかった。


(何だ?どうしてさっき殺さなかった?どうして見逃す隙を与えるような真似をする?)


 縁は冷たく男を見つめるのみで、彼女の考えがまるで読み取れない。


 男が固まっている内に、縁は槍を後方に引いて握る腕に力を込め、胸を張った。


 その槍は今にも放たれようとしている。男に残されている時間は少ない、生き残る為には、直ぐに魔法を使って回避を行わなくてはならない。


(…………ああ、そうか)


 ギリギリまで考えて、目の前の矯魔師が何を考えているのか、男はようやく理解出来た。


 それでも、どうしてこんな回りくどいことを、という疑問は出てくるが、少なくとも彼女が《《何を狙っているかは》分かる。


(この槍は、躱せない)


 槍が縁の手から離れる。一直線に壁に向かって飛翔する。


「悪魔が」


 男はポツリと呟き、急いで前に身体を動かした。


 槍の軌道に被るよう、そこに立った男はそのまま身体を貫かれた。





 ※※※※





 飛び散る鮮血が壁を赤く染めている。


 男は既に事切れ、二人の矯魔師だけがその場には残っている。


「ど、どうして―――」


 蕾は目の前で起きた事実に理解が追い付いていなかった。


 彼女の視点では追い詰めた魔法使いを先輩が何故か逃がし、その後、それまで逃走を続けていた魔法使いが何故か自ら槍を受けたのだ。混乱するのも無理はないだろう。


「この壁の先には住人がいるんだよ。あのまま彼が躱していたら、隣の部屋の住人もただでは済まない。最悪死んでいた」


「魔法使いが……人を庇った?」


「そう。赤の他人を庇って死ぬなんて、お人好しも良いところだよね」


 縁は男の亡骸を冷たく見下ろし、刺さっている槍を感慨もなく引き抜いた。


「……こうなるって分かってたんですか?」


「分かってなかったらこんな無茶はしないでしょ」


(岩を砕くとかはハッタリだけど)


 その気になれば勿論可能だが、室内で被害の大きい投擲をするつもりはさらさら無かった。


 先程の一撃は精々が壁に突き刺さるくらいで、貫通とまではいかないだろう。それでも、人を殺すのには十分な威力だった。


「委員会からこの男の情報はある程度貰ってたからね。そこから推察すれば、彼の行動は読みやすかった」


「情報ですか?」


「彼の魔法は、大気中に含まれる粒子の濃度を操作する魔法だ。例えばさっきの煙幕は、大気中の水分を濃縮したことで発生させた、濃霧と同じ原理で生み出したものだ。使いようによっては天候すら操れる、大魔法だよ。彼の祖父は名有り一歩手前の実力者だったらしい。多くの矯魔師がその魔法で殺された」


「そ、そんな危険な魔法使いだったのは知りませんでしたけど……それは祖父の話で、男の力はそこまで強いとは感じませんでした」


「そうだね。祖父に比べれば彼の力は弱い。それでも彼の魔法は矯魔師を撒けるくらいには広範囲に影響を及ぼすことは出来る。彼が本気で私達を返り討ちにしようと思えば、もっと手こずった筈だよ。部屋の空気の酸素を薄くしたり、或いは酸素とか二酸化炭素とか、それらの濃度を濃くすれば私達は部屋に入ることすら出来なかった」


 酸素も二酸化炭素、他にも単一の気体の濃度を上げれば、それだけで人体においては有害だ。彼は煙を部屋中に充満するさせることが出来たのだから、煙ではなく毒で満たすこともまた可能だった筈である。


「どれだけ反応が遅れても、取り押さえられたタイミングで魔法を上手く使えば、相討ちには持って行けただろうね。槍で魔法を無効化出来たとしてもそれは槍の周囲だけだし、私達も無事じゃあ済まない。死ぬか、良くても重症だ」


「じゃ、じゃあどうしてこの男はそれをやらなかったんですか?」


「殺したくなかったからでしょ。難しいことでも何でもない。彼はこれまでも他の矯魔師の追跡に対して同じように、迎え撃つのではなく逃げの一手に徹していた。その気になれば殺すことだって出来るのに、あえてその方法を取らなかった。つまり彼は、自分を殺そうとする矯魔師すら殺せなかったんだよ」


 生き残る為に他者を殺すことが出来ない人間。そんな人間が、自分の身可愛さに他者を見捨てるわけが無い。


 自分のせいで誰かが命の危機に瀕するのなら、それが赤の他人だったとしても庇おうとするだろうという確信が、縁にはあった。


 予想通り、彼はどが付くほどのお人好しだった。


 そして、縁に殺されることになったのだ。


「馬鹿だよね。私には、彼の気持ちは理解出来ないな」


 縁は生きる為にこれまで魔法使いを何人も殺してきた。


 そんな彼女には男の価値観を把握し、利用することは出来ても理解し共感することは出来なった。


「あ……あり得ません……だって……」


 そして、理解出来ていないのは蕾も同様だった。しかしその理由は、縁のものとは少し違う。


「魔法使いが、これまで多くの人間を殺してきたから?」


 蕾が最初に出会った魔法使いは、両親を手にかけた「空腹の魔法使い」だ。


 それから今日まで蕾は矯魔師になる為に多くの魔法使いに関する話を聞いて来たが、どのでも魔法使いの悪辣さ、非人道さが際立って感じられるものだった。


 魔法使いとは人を人とは思わない残虐性を持ち、事実として歴史上多くの人間を殺してきた、決して許してはならない種族である。


 蕾は自身の持つ、自身の経験と他者の伝聞に基づいて構築された魔法使い像に絶対の信頼を置いていた。だが自身の信じる常識を覆す現実が、今日彼女の目の前では起きている。


 魔法使いが自分の両親を嬉々として殺し、姉の命も奪ったのは紛れもない事実だ。


 だがそんな人間の命を何とも思っていない筈の魔法使いが、人間の命を守ったのもまた、否定しようのない事実なのだ。


「人間と一緒だよ。人を殺すような奴もいれば、優しい奴もいる。でもそれも当然だよね、だって彼等は魔法を使えるだけの、ただのなんだから」


「人間……でも……」


 委員会は魔法使いを人と扱ってはいない。だから委員会は魔法使いを殺す時には「制裁」や「罰する」などの言い回しを使う。


 委員会から教育を受けた蕾も、魔法使いを自分と同じ人間とは思っていなかった。


 何より、彼女の知る最も印象深い魔法使いは、「空腹の魔女」である。誰だって、人を食う生き物が同種だとは思いたくないだろう。


「もう一度聞くよ。どうしてツボミは矯魔師になったの?」


 昼にされたものと同じ問。


 これまで信じていたものが、生きて来た世界が、必ずしも真実ではないと知った今、蕾はその問に対して直ぐには答えられなかった。


「分からない?分からなくても当然だよ。だって君が矯魔師になったのは―――」


 黙りこくる蕾を冷たく見据え、縁は淡々と言葉を続ける。


「成り行きなんだから」


「っ……」


「両親が殺されたから、魔法使いを殺すべきだと考えた。姉が矯魔師だったから、自分も矯魔師になりたいと思った。君は境遇に流されてここまで来た。そこに自分の意思なんて無い。だから、今何故自分がその状況にいるのか、説明することが出来ない」


「……両親も姉も、魔法使いに殺されました」


 そう、理由付けをどうにか捻り出す。


 何度も何度も口にして来た、家族を殺されたという理由。


 縁はうんざりした様子で、「そうだね。でも、君の両親と姉を殺した魔法使いはこの世にいないよ」と返した。


「空腹の魔法使い」は既に討たれている。蕾の復讐は、姉によって果たされている。


「まだ魔法使いが憎い?」


「そりゃ……そうでしょ。今までどれだけの人間が、魔法使いに殺されたと思っているんですか」


「歴史上、魔法使いが殺した数は精々が合わせて数百万人から数千万人ってところだ。同じ人間の方が、よっぽど人を殺してる。人を殺すから許せないと言うのなら、君は全ての人類を恨まなくてはいけない。種族で括ってしまうとキリがないよ。どこかで折り合いをつけるべき―――ここで言うなら「空腹の魔法使い」が死んだことで、君は復讐心を満たすべきだ」


 全ての魔法使いを憎むことは、全ての人類を憎むくらい理不尽で、非現実的だと縁は言う。


「矯魔師は正義の味方じゃない。魔法使いを殺す、ただそれだけの殺戮者だ。聖人でも何でもない。逆に魔法使いだって、さっきの男みたいなお人好しもいる。絶対悪って訳でもない」


 縁は魔法使いを「人」と言うし、自身を「人殺し」と呼ぶ。


 生きるために人を殺す。その意味で自分の本質は「空腹の魔法使い」と変わらないと、縁は自認している。


 魔法使いを悪とは思わない。


 自分を正義だとは錯覚しない。


 つまるところ、人殺しを決して正当化しない。


 それは彼女が矯魔師を続けていく中での、唯一の矜持だった。


「君の復讐心は姉を模倣しているもので、今の生き方は両親の死を言い訳に使っているだけだ。今の君は自分が決めた結果じゃなくて、境遇に身を任せた成り行きだ」


 そこに蕾の判断は介在しない。だから理由を聞かれても答えられない。


 自分の考えが無いことを蕾は突き付けられた。


「……じゃあ、先輩はどうして矯魔師になったんですか?」


 答えられないから、逆に蕾は問う。


 意趣返しの意味も込めて。


 いや、それ以上に他人の解答を求めて、問うた。


 縁は蕾の内心を見透かしている。


 見透かして尚、彼女は素直に答えることにした。


 が、蕾にとって飲み込めるものではないと、知っていたから。


「名有りを倒すとね、委員会から特別手当が貰えるんだよ。固定給とは別で、それは結構な額になる。だからよね」


「……はい?」


「私が矯魔師になったのは、の為だよ」


 復讐でも、正義感でも無い。


 人を殺せば金が手に入る。だから彼女は殺した。


 生きる為。


 お金の為。


 縁は矯魔師になった。


 尊敬していた矯魔師の俗物的な動機を聞いて、蕾は言葉が出なかった。


「今日はもう遅いから、そろそろ帰った方が良い」


 縁の言いたいことは、大体言い切ってしまった。


 これ以上蕾と話す必要は無いと、彼女は冷たく突き放すように言葉を掛ける。


「これから矯魔師を続けるのか、続けるなら何故魔法使いを殺すのか―――君は自分自身で選ぶ必要があるんだよ」


 蕾の未来を左右する問。


 彼女はそれを容赦なく彼女に突きつけた。

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