第26話 理解不能すぎる
帰宅した後、もやもやした気持ちが収まらず、一人でふさぎ込んでいた。
持っていたカバンを適当に放り投げ、お風呂に入ることも夕飯を取ることも出来ずに、床に座り込んでぼうっとしている。ああ、化粧落とさなきゃ、干しておいた洗濯畳まなきゃ。そんなことを頭では思っても、体はまるで動かない。
ちらりとスマホを見る。ここ最近、透哉さんとは連絡を取っていなかった。会社で顔を見ることは出来ても、業務事項しか話せていない。
「声……聞きたいな」
好きだと自覚してしまえば、そんな風に思ってしまう。私から電話を掛けたことは一度もなかったし、大した用もないから迷惑だろう。でも今、一人はどうしても厳しい。
一言だけでも、会話が交わせたら。
そんな風に思った自分は、耐えきれず彼に電話を掛けてしまった。出なかったらあきらめもつくので、それでいい、と思いながら。
でも、相手はすぐに出た。そして驚いた声を上げた。
『もしもし? どうしたの』
その声を聞いた途端、言葉に詰まった。また泣いてしまいそうな感覚になる。
彼の背後からは車が通る音がしていて、外にいるようだった。
「あ、すみません、大した用もないんですが……今大丈夫でしたか?」
『うん、取引先の酒好きなおじさんに付き合わされて、飲んでたところ。やっと解放されたんだ』
「そうだったんですか! 遅くまでお疲れ様です」
『伊織は家?』
「はい、私もさっきまで残業してて、帰宅したばかりで……」
ふと、三田さんとのやり取りを思い出してしまう。そっと唇を噛んだ。
「大した用事はないんです。えっと、今度またお弁当作ってもいいか聞こうと思って……たまにそうしないと、不仲とか噂されても困るし」
『なんかあった?』
彼は唐突にそう聞いてきた。驚きですぐに返事を出せない。
『誤魔化さなくていいよ。伊織が俺に電話してくるなんて、何かあったとしか思えない。言って』
真剣な声色に、ぐらりと心が揺れる。何も言わず適当なことだけ話して声を聞く、と思っていたのに、彼に寄りかかってしまいたくなる。
でも……
上手く全部説明できる自信がない。私が透哉さんのことを好きだってばれたら、彼に引かれるのなんて目に見えてる。だって、恋愛事がしたくないから私とこの関係を築いているのに、そんな私から惚れられてしまうだなんて、迷惑この上ないだろう。
秘めていなくてはならないんだ。
「えっと……三田さんと森さんが、別れそう? みたいなことを聞いて」
『誰から聞いたの?』
「三田さんです。残業してて」
『二人で?』
「トラブルがあったみたいで、仕事を手伝ってたんです」
私がそう言うと、電話の向こうから盛大なため息が聞こえてきた。
『ああ……まあ、伊織なら手伝うっていうだろうけど……そうか』
「それであの、最近は森さん、すごく透哉さんに話しかけてるじゃないですか。仕事の事ですが……あの……透哉さんは、今は彼女とか作るつもりないんですよね?」
上手く話がまとまっていない。これじゃあ、私が透哉さんと森さんに何かあるのか心配してるがばれてしまう。彼への気持ちが、抑えきれていない。
そんな私に、彼は優しい声で答えた。
『大丈夫。俺は今そんなつもり一切ないから』
私を安心させるような言い方で、ほっと気持ちが落ち着いた。だが同時にひどく胸が痛んだ。
つまりは私だって、可能性がゼロだということ。やっぱり彼は、今恋愛なんて興味がない人なんだ。
『だから安心してほしい。これで俺が森さんと付き合いだしたら、それこそ伊織の立場が無くなるだろう』
「……はい、そうですね」
『元々あの子は全然好みじゃないし、むしろ一番苦手な部類だし』
「すみません、突然電話して変なことを聞いて」
『全然。何かあればいつでも電話していいんだよ』
彼はそう私に言ったが、その優しさが辛かった。いくら私に優しくても、それは決して特別なものなんかじゃない。彼の隣の席に座ることはないのだ。
私は電話を切った。誰にもとられる可能性がない喜びと、自分の物にはならない悲しさで、心が引き裂かれそうだった。
するとその時、握っていたスマホが鳴る。透哉さんかと思い覗き込むと、三田さんからのメッセージだったので固まった。誕生日の予定をキャンセルしたあの文章の下に届いたのは、謝罪と、私には理解できない文字の羅列だった。
『今日は突然あんなことしてごめん
でも俺の本当の気持ちだから
さっきさわことは終わりだって電話した
これで俺の気持ちは分かってくれたはず
俺たちは元々結ばれる運命だった、邪魔が入っただけ
元々の形に戻るべきだよ
よく考えて、きっと岩坂は分かってくれるはず
だから今日だって困ってる俺を手伝ってくれたんだから
ちゃんと自分に正直になった方がいいよ』
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