番外編
伯爵子息の回想〈1〉
母上には秘密が多い。
曰く、「秘密は淑女のたしなみなのよ」とのこと。なんでも、殿方は秘密をたくさん持っているご婦人にそそられるらしい。
そそられるってどういう意味ですかと訊いたら、母上はチェリーパイみたいにつやつやしたくちびるをにんまりたゆませてこう言った。
「ディートがもう少し大きくなったらわかりますよ」
ぼくはもう八歳になったというのに、世の中にはまだまだわからないことだらけだ。前よりもっと難しい計算も解けるようになったんですよと不服を訴えると、母上はきれいな金色の瞳を細めて頭を撫でてくれた。やっぱり母上には秘密が多い。
たとえばどんな秘密があるのかというと、まずぼくは母上がなんのお仕事をされているのか知らない。
母上は遠い公都に住んでいる。お母さまによると、そこで大公殿下とこの国のために働いているらしい。
母上はとても忙しいひとなので、ぼくたちが暮らす村には月に一度来られるか来られないか。来るときは必ずぼくと妹のミリア、それにお母さまへ馬車いっぱいのお土産を持ってきてくれる。
どうしていっしょに暮らせないのかというのも秘密のひとつだ。うんと小さいころに母上とお母さまに質問してみたけれど、ふたりともとても悲しそうな顔をするだけだった。
それ以来、ぼくは同じことを訊かないように気をつけている。だけどそのうち、妹のミリアが訊いてしまいそうでちょっと心配だ。
三つ違いのミリアは、秘密の多い母上とは反対に知りたがり屋だ。屋敷の中でも外でも目についたものを片っ端から「あれはなぁに?」「それはなぁに?」「どうして? どうして?」と質問してくる。あんまりにもうっとうしくてぼくは辟易しているし、お母さまもちょっと困っている。
優しいお母さまはひとつひとつ教えてあげるのだけれど、ミリアが次から次へと質問するからそのうち追いつけなくなってしまう。お母さまは手習い所の先生だから物知りだ。でも、教え方が丁寧すぎる。
ミリアの相手を完璧にこなせるのは母上だけだ。最初はミリアの質問攻撃にぽんぽん答え続け、そのうちさりげなくミリアの気を引く会話の流れへと持っていく。流れに乗ってしまえば、ミリアはもう母上が操る言葉の魔法のとりこだ。
母上は魔法使いなんですかと訊いてみたら、お母さまは真剣な顔で「……魔法使いっていうより魔女かしら」と呟いていた。
ぼくの母上は、王子さまをカエルに変えたり、お姫さまに毒入りのリンゴを食べさせたりする、あの悪い魔女の仲間らしい。なるほど、秘密にしなければいけないはずだ。
もしかしたら、お母さまは悪い魔女だった母上に捕まってしまったのだろうか。
母上はよくふざけてお母さまを「僕のシスター」と呼ぶ。
でも、会いにきてくれた母上を迎えるときのお母さまの顔はすごく嬉しそうだ。村の女の子みたいにほっぺたを真っ赤にしてかわいい。ぼくは母上といっしょにいるお母さまがいちばん好きだ。うん、そう、とっても幸せそうに見える。
お母さまは、すごく母上のことが好きなんだと思う。母上も負けないくらいお母さまのことが好きだ。だってお母さまが出迎えるたびに思いっきり抱きしめて、ついでに顔じゅうに口づけて、しばらくそこから動かないのだもの。まだまだ我慢できないミリアが「ミリアも! ミリアも!」とぴょんぴょんふたりの周りを飛び回って、ようやくぼくたちの存在を思い出してもらえる。
ぼくたちのお世話をしてくれるカレンおばさんによると、母上とお母さまは「いつまで経っても新婚みたいに仲睦まじい」そうだ。奥さま(お母さまのことだ。ちなみに母上は『ご主人さま』と呼ばれている)もお寂しいのでしょうねぇと、ちょっぴり悲しそうに言っていた。母上が公都に帰ってしまうときのお母さまの顔を思い出すと、ちくりと胸の奥に棘が刺さったみたいだった。
……本当は、ぼくも家族みんなでいっしょに暮らしたい。
ここでの生活が嫌いなわけではない。カレンおばさんや屋敷のみんなは優しくて働き者だし、村には仲のいい友達もいるし、好きな本を読んだり勉強することだってじゅうぶんできる。でも、やっぱり、ときどき鼻の奥がツンとして苦しくなってしまうときがある。
母上にはたくさん秘密があって、もしかしたら、お母さまや、ぼくとミリアのことも秘密なのかもしれない。母上はたびたび、ぼくたちを世界でいちばん大切な宝物だと言っている。宝物はだれも知らないとっておきの場所にそっと隠しておくものだ。
いつかぼくが大人になれば、母上の秘密をひとつひとつ教えてもらえるだろうか。その日のために、もっとたくさん勉強して、母上やお母さまの自慢の息子になれるようにがんばらないと。
とりあえず、最初の質問は決まっている。
――母上は、どうして男のひとなのに女のひとの格好をしているんですか? って。
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