近衛騎士の恋文〈2〉
「シスター、どこかにお怪我を?」
青年は優雅に片膝を折ると、研ぎ澄まされた殺気が嘘のようにやわらかい口調で尋ねてきた。
「い、いえ、大丈夫です。あ、安心したら腰が抜けちゃって……」
答えているうちにじわじわと羞恥がこみ上げてくる。赤面して俯いたマーニャに青年は恭しく手を差しのべた。
「お手をどうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
おそるおそる青年の手を取ると、彼は淑女をダンスに誘うように立ち上がらせてくれた。マーニャの顔はますます熱を増した。
間近で見ると、青年は思いがけず少年らしさの残る顔立ちをしていた。短く整えた赤錆色の髪にきつい目元、しかし微笑んだ顔は温厚さと快活さを併せ持つ好ましいものだった。
「さぞ怖い思いをなされたでしょう。このあたりは東区寄りとはいえ、たまにあのような輩がうろついているのです。あなたのような妙齢のご婦人がおひとりでお歩きになるには、いささか不用心かと」
「すみません……あの、助けてくださって本当にありがとうございました!」
慌てて頭を下げると、青年は「騎士として当然のことをしたまでです」と穏やかに答えた。
(なんていいひとなんだろう)
本物の騎士に出会ったのははじめてだが、彼はまるで物語に出てくる理想の騎士そのものだ。正義と礼節を重んじ、か弱い女性を守る頼もしい存在。マーニャはすっかり感動してしまった。
「ところで、どこかへお出かけの途中とお見受けしますが……」
「はい、おつか……ええっと、迎春祭の準備で注文に」
そのまま『おつかい』と答えると小さな子どものようで、それらしく言い直す。青年は思案するようにゆっくり瞬いた。
「それでは、僭越ながら私がご案内いたしましょう」
「……えっ!?」
マーニャはぎょっと目を剥いた。
「先ほども申し上げたとおり、東区はご婦人がひとり歩きをなさるには少々難がございます。祭も近いこの時期、浮かれて無礼をはたらく者もおりましょう」
青年の意見はもっともだ。しかし、おそらく職務中である彼にたかだか見習い修道女の護衛を押しつけるのは申し訳ない。
「あの、でも、お仕事の途中なんじゃ……」
「ご心配なさらず、すでに所用は済ませてあります。それにお困りになっていらっしゃる女性を捨て置いて宮城へ戻っては、我が君からお叱りを受けてしまいます」
「我が君……って?」
「我が剣を捧げたる大公殿下にございます。そういえば、私としたことが名乗り上げることを失念しておりました」
青年は堂に入った騎士の礼を見せた。
「たいへん失礼いたしました。近衛騎士隊第二小隊所属、グリフィス・ローイ・エンデルと申します」
(近衛騎士隊って、大公家直属の精鋭部隊!?)
近衛騎士といえば騎士のなかの騎士、大公家の方々の身辺警護を任された選りすぐりの強者だ。そしてエンデルという家名が聞き間違えでなければ、おそらく〈ファルスの霜剣〉と名高いエンデル伯爵家の出身ということになる。
建国のころより君主たるファルス家に忠誠を誓い、その類い希なる剣の才を以て公国の危機を退けてきた騎士の一族。二十年前の内乱の折にも、現大公シュトラール殿下のよき助けになったという。
(確か、リデルの二番目のお姉さまが今の伯爵さまにお輿入れなさったって聞いたけど……)
ということは、目の前の青年――グリフィスは血のつながりはないがフレデリケの親戚に当たる。それがわかるとわずかに親近感を覚えた。
「あの、あたしは聖ベルティアナ修道院の見習い修道女でマーニャといいます。お言葉に甘えて案内してもらってもいいですか?」
グリフィスは驚きの表情を浮かべた。
「聖ベルティアナ修道院――ですか?」
「え? あ、はい。そうですけど……」
「……失礼ですが、シスター・マーニャはグリーンヒル伯爵令嬢をご存じですか?」
注意深い猫のような目がじっと覗きこんでくる。一瞬、冷たく張り詰めた空気がマーニャの首筋を舐めた。
「し、知ってます、けど」
震えそうになりながら答えると、グリフィスは双眸を細めた。永遠のような沈黙のあと、不意に微笑んでみせる。
「『彼女』は変わりありませんか?」
心臓が狂ったように踊っている。マーニャは呼吸を整えながら、なんとか平静を装った。
「……はい、とても。騎士さまは、リデ……シスター・フレデリケの……ええっと、お友達なんですか?」
歳の近い親戚の同性との関係をなんと言い表せばいいのだろう。グリフィスは目を丸くすると、ぷっと噴き出した。
「私とフレデリケ嬢が『お友達』、ですか」
「あ、あの、違いましたか?」
「いえ……あながち外れでもないかもしれません。私の兄に彼女の姉君が嫁いでこられたのですが、もともとフレデリケ嬢とは幼なじみなんですよ。子どものころは、よく一緒に走り回ったものです」
彼はしみじみとした口調で語った。
「彼女ときたら外見は人形のようなくせに、中身はたちの悪いいたずら好きで……何度尻拭いをする羽目になったことか」
「……わかるような気がします」
さぞ愛らしく、手のかかる『おてんば』だったに違いない小さなフレデリケを思い浮かべ、マーニャは大きく頷いた。
しかし、幼なじみということはフレデリケの本来の性別を知っているのだろうか。大公殿下をはじめ、一部の近しい人間は秘密を知っているとフレデリケは言っていたが、グリフィスがその範疇に入るのかどうかはわからない。
思わずまじまじと凝視していると、グリフィスはふっと笑みの色を深めた。
「フレデリケ嬢はなかなか個性的な人物ですから修道院でうまくやっていけるのか心配していたのですが……どうやら、杞憂で済んだようですね」
「え?」
「いえ、あなたを見ているとなんだかそう思えて」
いったいどういう意味を含んでいるのか、彼の言葉にマーニャは疑問符を浮かべることしかできない。
グリフィスは「ところで」と話題を変えた。
「実は、シスターに折り入ってお願いしたいことがあるんですが……」
「……あたしに、ですか?」
きょとんとするマーニャに、若き騎士は大仰に頷いてみせた。
「ええ、フレデリケ嬢に届けていただきたいのです。――私からの『恋文』を」
内緒話をするようにささやく表情は、まさにいたずらを持ちかける悪童そのものだった。
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