見習い修道女の受難〈2〉
時は、公都が雪のドレスを纏っていた
その日、朝の祈りを終えたマーニャは、朝食のあとに院長室まで来るよう呼び出しを受けていた。
春に控えている正式な修道女になるための終生誓願についての話かと考えたが、先輩修道女たちは「違う違う」と訳知り顔で首を横に振った。
「きっと例のお方のことよ」
「今この修道院にいる見習い修道女はあなただけだもの。もうすぐ終生誓願を迎えるほどの経験者なら、新入りのお目付役にはぴったりでしょう?」
聖ベルティアナ修道院にグリーンヒル伯爵家の末の令嬢がやって来たのは、つい先日のことだった。
絶世の美姫の噂は修道女たちの間でも持ちきりだ。しかし当の令嬢は院長の許に隔離され、の美貌を拝した者はいない。彼女の存在を公にするということは見習い修道女としての受け容れが決まったのだ。
先輩たちのなんとも厄介な予言に憂鬱になりながら、マーニャは院長室の扉を叩いた。
「どうぞ、お入りなさい」
「失礼します」
厳格そうな院長の声に招かれるまま扉を開けると、ほのかな花の香りが鼻をくすぐった。
マーニャは目を瞬かせた。
院長室は執務用の大きな書き物机と椅子、整然と書物が並んだ書架ほどしか調度品のない、殺風景な部屋である。院長は書きもの机に就いており、その前にひとりの少女が立っていた。
――まるで、光り輝く花がふわりと咲いたような。
ほっそりとした体を薄い青のドレスに包んだ少女は、見たこともない金色の瞳をそっと細めて笑った。
(ああ……懐かしい、朝焼けの空の色だ)
「シスター・マーニャ、どうぞ入ってらっしゃい」
言葉を忘れて立ち尽くすマーニャに、院長の静かな呼びかけが我を取り戻させた。
「す、すみません!」
慌てて部屋の中に入ったものの、少女のそばに行くことがひどく不謹慎なように感じられて、マーニャは扉の前から進めなかった。
院長の眉間に険しい皺が寄ったが、叱責が飛ぶよりも早く少女が動いていた。
「シスター・マーニャ?」
窺うような声音は、少女にしては低く、しかし澄みきっていた。
ドレスよりも濃い色のリボンで高く結い上げた金翠の髪が頬を撫で、マーニャは息を呑んだ。
「はじめまして、わたくしはフレデリケ・エリアス・グリーンヒルと申します。あなたと同じ見習い修道女としてお世話になることになりました。……どうぞよろしくね、マーニャ」
「あ、の……こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
少女――フレデリケのどこまでも美しい微笑みに、マーニャは熱を出したように頬が火照っていくのを感じた。
立ちふるまいは楚々としていながら、フレデリケは溢れるような色気を纏っていた。くらくらとめまいがする艶やかさは、確かに国じゅうの男たちが恋い焦がれずにはいられないはずである。
「……あなたも噂は存じているでしょう。こちらのレディ・フレデリケは我が修道院に入ることを望まれ、見習いとして修行していただくことになりました。シスター・マーニャは彼女と同室になって、ここでの暮らしを助けてあげなさい」
「えっ、あ、ど、同室ですか!?」
「何か問題でも?」
「いえ……」
修道女たちのほとんどはふたり部屋で寝起きしている。見習い修道女はマーニャだけだったため、今までひとりで部屋を使っていたが、そこに新しくフレデリケが入ることは妥当だろう。
しかし、こんな美少女と朝から晩まで過ごしていたら、心静かにしていられる自信などまったくない。
いやとは言えず、しかし快く歓迎することもできず、マーニャはもごもごと意味もなく口を動かした。すると、驚くほど白くすべらかな手に両手を包みこまれる。
「マーニャは、わたくしのことがお嫌い?」
「ぅ、えっ!?」
「わたくしの顔など見たくない? わたくしはあなたのそばにいてはいけないのかしら」
「そっ、そんなことはっ」
「けれど、わたくしと同じ部屋で暮らすことはいやなのでしょう?」
「いやとかじゃなくて! あ、あなたがすごくきれいだから、ど、どうしようって」
しどろもどろになりながら必死に説明すると、フレデリケはひとつ瞬き、ふっ――と吐息のような笑みを洩らした。
「……あなたはとてもかわいらしい方ね、シスター・マーニャ」
いちだん低いささやきに、マーニャは思わず口をつぐんだ。
「わたくし、あなたのことが好きになれそう」
なぜだろう、笑みの色を深める金の眸はとても美しいのに――まるで舌なめずりする獣の前に差し出されたようで、ぞくりと背筋が粟立つ。
目を逸らせずにいると、「お話はまとまったようですね」という院長の声にハッと我に返る。
「シスター・マーニャは、レディ――シスター・フレデリケを部屋まで案内してあげなさい。用意ができたら聖堂のほうまで来るように。そこで改めて皆にあなたのことを紹介いたします。よろしいですね、シスター・フレデリケ」
「はい、ありがとうございます。
フレデリケはにっこりと微笑み、院長に向かって優雅な一礼を返した。院長はしばしフレデリケを見つめていたが、どこか呆れたような口調で言った。
「あなたはシスター・マーニャとはまた違った意味で素直な方のようですが、あまり行きすぎた振舞いはしないように。特にシスター・マーニャは、この修道院で最も修道女らしい修道女ですから」
いったい何を指しての忠告なのかマーニャにはわからなかったが、フレデリケはくっと口端を持ち上げてみせた。
「……肝に銘じておきますわ」
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