約束
約束・上
荒れ狂う風を抜け、僕はどこかに放り出された。
「いってえ・・・」
強打した顔をさすり、上体を起こす。顔面から落ちるなど、漫画か。
いったいどんな落ち方をすれば、そうなるのだろう。
「それにここ・・・どこだよ?」
真っ暗で何も見えない。少し離れた場所から月明かりが差し込んでいるが、あれは窓か。
(って事は、室内?うーん・・・暗すぎて何も分かんないな)
ひとまず、あの明るい場所を目指そう。そう考え、一歩を踏み出す。――が。
「うわあっ!?」
何かに躓いたのか、盛大に転んでしまった。視界が悪いのも考えものである。
(ちゃんと片付けとけよな・・・ととっ)
何度かよろけながらも、なんとか前に進んでいく。
それにしても、どれだけ散らかっているのだろう。一歩踏み出す度に、転びかけている気がする。
明かりを点けられればいいのだが、こう暗くては、肝心なスイッチの場所が分からない。
「はあ・・・やっと着いた」
窓際の壁に手をつき、がっくりとうなだれる。
何も見えない中を歩く事が、こんなに大変だとは思わなかった。
不意にそよ風が頬を撫で、顔のほてりを冷ましていく。
「あー・・・気持ちいい」
お陰で気分が楽になったが、この風はどこから入り込んだのだろう。
(・・・あ、窓が開けっ放しだ)
この部屋の持ち主は、どれだけいい加減な性格なのだ。
部屋は散らかっているし、夜なのに窓も開けっ放し。これでは泥棒に入られても、文句は言えないだろう。
(けどまあ、気持ちは分かるかな)
口元を緩ませ、窓から頭上を見上げる。そこには、まん丸に輝くお月様があった。
(夜風に当たりながら、月を見る・・・最高だろ)
しかも今晩は満月。気温も過ごしやすく、月見には最適だった。
ここの家主も、それを理解して開け放っているのかもしれない。
(やっぱ、分かる人には分かるんだな)
一人で納得し、それからぼうっと空を眺める。
「・・・なんか、平和だな」
ふと、僕はポツリと呟いた。
本当に穏やかだ。自分が何の為にここに来たのか、分からなくなる程に。
(おじさん達も、元気そうだったしな)
気付いてもらえなかったのは悲しかったが、何も異変がないようでホッとした。
僕がこうして送り出されたのは、大切な人達を護る為だったから。
(・・・それで合ってるよな?何も起こらないから、だんだん自信がなくなってきたよ)
窓枠に額をぶつけ、ため息をつく。
それはそれとして、ここは結局、どこなのだろう。
(今までを踏まえると、ここも僕に縁がある場所なのかな)
とはいえ、僕の自室ではないだろう。
こう見えて、僕は綺麗好きなのだ。こんな物が散乱した部屋で過ごすなんて、とてもじゃないができたものではない。
(だとしたら、どこだろう?うーん・・・ん?)
不意に視線を感じ、僕は目線を落とした。
建ち並ぶ住宅街を照らす、素朴なデザインの街灯。その物陰から、何かがこちらを見ていた気がしたのだ。
しかしいくら目を凝らしても、何も見えない。気のせいだったのだろうか。
それでもなんとなく気になったので、僕は窓から身を乗り出し――そして、ソイツと目が合ってしまった。
「・・・ッ!!」
悲鳴をあげたつもりが、声にすらならなかった。恐怖が喉に突っかかったせいで、心臓が暴れ出しそうだ。
(なんで)
ソイツは今も、こちらを見つめている。僕も恐ろしさのあまり、逸らす事さえ叶わない。
暗がりで光る、二対の目。鋭いそれは、今にも襲いかからんとばかりに、爛々と煌めいている。
――否、間違いなくあれは、僕を狙っている。
(なんで、アイツがここにいるんだよ!?)
だって僕は、悟ってしまったのだから。あの獣が夢の中の怪物そのものであると。
滑稽無糖だと思う。夢の産物が現実にいるなど、有り得ない。
けれども、本能的に分かるのだ。アレは同じ存在だと。
(とにかく、早く逃げないと・・・)
でないと、今度こそ殺される。頭では分かっていても、体は言う事を聞いてくれなかった。
不意に、獣の目が妖しく煌めく。もう駄目だと、僕はギュッと目を瞑った。
その時だった。
背後から突風が沸き起こり、僕は体勢を崩した。
危うく窓から放り出されそうになり、慌てて窓枠を掴む。
(・・・っ!この、風は)
荒れ狂う海を思わせる、激しいそれ。間違いない、これは“転移”の――。
「――ふう。やっと追いついた」
唐突に暗がりに響いた、のんびりとした声音。僕は思わず息を呑み、背後を振り返った。
「なかなか難儀な道のりだったねえ。やっぱり、力の扱い方は教えるべきだったか」
天を仰ぎ、ため息をつくその姿は、先程とは打って変わって、質素なもの。長い銀髪を一つに束ね、黒いフードを纏っている。
それでも、一目で彼女だと分かった。
そこでようやく、女性はこちらに気付いたようだ。
「待たせたねえ、坊や。思ったより、時間がかかっちまったよ」
そう言って、女性――コユキはニカッと笑ってみせた。
そのあっけらかんとした笑顔は、夢に出てきた彼女とよく似ていて。僕はたまらず、泣きたくなった。
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