約束・中

「コ、コユキーッ!」


「おっと!どうしたんだい、坊や」


それから子供のように飛びつく僕を難なく受け止め、小首を傾げるコユキ。


その仕草はやはり、あの時を思い起こさせた。


「窓の外に、あの化け物がいたんだ!僕を食おうと追いかけ回してきた、角あり狼が!」


「化け物・・・追いかけ回された?坊や、何か思い出したのかい?」


だからなのか、色々と敬語も説明も吹っ飛んでしまい、訳の分からない訴えをしてしまった。


案の定、コユキは困惑した様子で、僕に問いかけてくる。


僕は慌てて首を横に振り、必死に言葉を探した。


「そうじゃなくて・・・夢!夢に出てきた化け物が、すぐそこにいたんだ!」


「夢・・・?ああ、寝ぼけてたあれかい」


「寝ぼ・・・!?コユキ、信じてないでしょ!」


いきり立つ僕をよそに、コユキは得心したように何度も頷いた。


「ふむ、なるほどねえ・・・そういう事だったのかい」


「ねえ、話聞いてる!?・・・あっ、ちょっと!」


何かをぶつぶつと呟きながら、窓辺に向かって歩き出すコユキ。僕の声が一切聞こえていないようだ。


「ねえってば、コユキ!!」


「・・・そんな大声出さなくても、ちゃんと聞こえてるよ。それより、坊や」


窓枠に手をついた彼女は、ようやく振り返った。


「その化け物を見たのは、この窓からかい?」


「・・・へ?」


一瞬、何を言われたのか理解できなかった。今までの流れからして、『何を寝ぼけてるんだい』と言われてもおかしくなかったからだ。


「僅かだが、気配が残っている。とはいえ、この距離ならまだ大丈夫だろう」


「大丈夫って・・・何が?」


というより、何故信じられるのだ。気配とはなんだ。あれが何か知っているのか。


様々な疑問が、ぐるぐると頭の中で渦巻く。そんな僕の顔を見て、コユキはイタズラっぽく笑ってみせた。


「どうやら、まだ気付いていないみたいだね。はもう、常識の範囲外にあるんだよ」


謎かけのような言葉に、僕は顔をしかめた。ただでさえ混乱しているのに、質が悪い。


(まあ、夢の産物が実在するなんて、普通ありえないけどさ)


だけど、それだけではない気がする。だから僕は、じっと彼女の言葉を待った。


「坊やは本来、夢を見ない。もう眠る必要がないからねえ。だからこそ、意味があるんだ」


「眠る必要がないって・・・そんな事したら、流石にぶっ倒れるでしょ」


「ふふ、どうかな」


コユキは意味深に微笑み、そう告げた。


その笑みにざわつく胸を押さえ、僕は目を逸らす。それから、深くため息をついた。


どうやら彼女は、答えを教えるつもりはないようだ。だったら何故、ここに来たのだろう。


「あたしが来たのは、護衛の為さ。あんなのが彷徨いてたら、おちおち記憶巡りもできないだろう?」


「・・・」


気のせいだろうか。今、心を読まれたような。


じっとコユキを見るが、彼女はニコニコと笑うだけだった。


「・・・それで、どうすればいいんですか?」


「おや、敬語やめちまうのかい?距離ができたみたいで寂しいねえ」


もちろんそのつもりで、あとタイミングもあって戻しただけなのだが、お気に召さなかったようだ。


そのまま通そうとしたが、色々とうるさかったので、結局断念する。


「・・・で、どうするの」


「どうもこうもないよ。あたしの事は気にせず、存分に思い出しておくれよ」


「そうは言っても、ここがどこかも分かんないし・・・」


何せ真っ暗なのだ。せめて明かりが点けば、なんとかなるのだが。


「なんだい。自分の部屋も分かんないのかい」


「・・・は?待って。今なんて言った?」


ここが、僕の部屋?何かの間違いではないか。こんな散らかった場所が、そんな――。


「何をそんなに疑ってるんだい。ほれ」


そう言ってコユキが指を鳴らした途端、部屋の中央付近に炎が現れ、眩く室内を照らし出した。


「・・・・・・」


そしてそこは、間違いなく僕の自室だった。やけに散らかっていたのは、いつもは部屋の隅に積まれていた本が散乱していたようだ。


「なんで・・・なんで今に限って、こんな惨状に・・・」


「ん?いつもじゃないのかい?」


「そんなわけないでしょ!?違うからね!?」


咄嗟に言い返しながらも、先程の自身の言葉を思い出してしまう。


(いい加減、汚い部屋・・・)


いや、あれは真っ暗闇で、普段の部屋とは違っていたからだ。この惨状にも、何かきっと意味がある筈。


(そうだ!“追憶”を使えば!)


コユキが出現させた炎は、今も宙に浮いている。色も橙色なので、例のやつで間違いないだろう。


駆け足で近寄り、僕は早速、手をかざそうとした。


「ちょっと待った」


しかしコユキに制され、僕は少しだけムッとする。


「なんだよ?」


「・・・だんだん遠慮がなくなってきたねえ、坊や。それはさておき、少しだけそれの扱い方を伝授させておくれ」


『それ』とは、右手の魔法陣の事だろうか。放り出しておいて、今更な気もするが。


「・・・お願いします」


流石に色々と気になっていたので、黙って聞いておく事にする。


僕の言葉に頷くと、コユキは再び指を鳴らした。


「まず、この力は本来、あたしのものなんだ。これを見てごらん」


宙に現れた紙は、転移させられる前に見た、あの契約書だった。


「・・・あれ?これ、署名がない」


「あくまでこれは、仮契約だからねえ。訳あって、こうせざるを得なかったんだよ」


つまり、これが作られたのは、僕が記憶を失う要因に遭遇した時という訳か。


「それじゃあ、この契約書はコユキの力を借りる為の物って事?」


「まあ、間違いじゃあないんだけど・・・ふむ、今はそういう事にしておこうかねえ」


また誤魔化された。『今は』とはどういう意味なのだ。


(・・・ま、いっか)


そのうち分かる事なのだろう。もしくは、必要な時に説明するとか。


コユキの言葉に一々反応していては、疲れるだけだ。


「この力――“権能”とでも言おうか。“権能”とは則ち、イメージに直結するものなんだ」


「イ、イメージ??」


なんだか急に、ファンタジーみたいな話になってきた。魔法もそんな感じで使うんじゃなかっただろうか。


(いや、これも魔法みたいなものか?ひょっとして、コユキの正体は魔法使い?)


少しだけ思考がズレた僕には気付かず、コユキは説明を続ける。


「“転移”ならば、行き先を。“追憶”ならば、その場所にいる誰かの姿を。でなければ、力を扱い損ね、酷い目に合いかねない――あの道のように」


そう言って振り返ったコユキは、どこか遠い目をしていた。


スズマートから繋いだ“転移”の事だと理解し、僕も顔をひきつらせる。


(というかあれ、僕が原因だったんだ・・・)


それは、コユキに悪い事をしてしまった。


だけど、説明しなかった彼女も同罪ではないか。むしろ、だからこそ教えてくれているのやもしれない。


なんだか納得してしまう僕であった。

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