第一章

友の言葉

友の言葉・上

「うわあああああ!?」


 僕はひたすら叫んだ。何も見えない闇の中を、延々と落下しながら。


 どうか情けないなどと言わないでくれ。


 掴まる場所もなく、出口すら見えない。そんな状況で叫ぶ以外、どうしろというのか。


「ぶふ!?」


 突然、弾力のある何かに顔から突っ込み、上手く息ができなくなった。そのまますっぽりと

 中に入り、黒い霧に包まれる。


(これ・・・雲の中か!?)


 あまりにも真っ黒なので確証は持てないが、今まで空に浮かぶ場所にいたのだ。何も不思議ではない。


 その線で行くと、雲を抜けた先は眼前に広がる街並み、という事になるが――。


(冗談じゃない!殺す気か!?)


 生身でダイビングするなど、ありえない。それが可能なのは漫画の世界であって、現実ではないのだ。


 ただの人間である僕は、ぺしゃんこになるのがオチである。


 そうでない事を願いつつ、霧の中を抜ける。――しかし現実は、もっと残酷だった。


「地面すぐそこじゃねえか!」


 目と鼻の先、とまではいかないものの、思ったより距離が近すぎた。心の準備すら間に合わない。


 不意に朗らかなコユキの笑顔が脳裏を過ぎり、僕は思った。


 彼女は一体、何がしたかったのか。助けられた筈なのに、何故僕は死にかけている。しかも、彼女自身の手で。


 あんまりではないか。理不尽な現実を前に、怒りが沸々と湧き上がってくる。


 せめてもと思い、僕はやけくそ気味に叫んだ。


「詐欺師!悪魔!人でなしぃー!!」


 言いたい事は言った。これで悔いはない。そう言い聞かせ、固く目を閉じる。


 地面はもう、目前だった――。


 ・・・・・・・・・。


(――あれ?)


 しかしいつまで経っても訪れない衝撃に、僕ははたと目を開けた。


 真下にはアスファルト、ひっくり返った景色。僕の体は逆さのままで、状況は特に変わらないように思えた。


 けれども、驚くほど体が軽い。さっきまでは、重力で身動きすらとれなかったのに。


(いや、なんで・・・?)


 訳が分からない。ひとまず体勢を立て直そうと、僕は体の向きを変えた。


「うわあ!?」


 が、突然重力が戻り、僕はそのまま地面に叩きつけられる。その拍子に後頭部を強打し、僕はしばらく痛みに悶絶した。


「くっそお・・・何なんだよ、まったく」


 ごろんと仰向けになり、悪態をつく。ぺしゃんこにならずに済んだのは嬉しいが、なんだか釈然としない。


(それもこれも、全部コユキのせいだ・・・)


 星の見えない夜空を、僕は恨めしげに睨む。


 だってそうだろう。落とされたのも、今助かったのだって、どう考えても普通ではありえない。


 となると、コユキが関係しているとしか思えなかった。


(記憶を取り戻すったって、そもそもどうするんだか)


 何も聞かされず、理不尽な目に合っているのだから、やさぐれない方がおかしい。


 不意に雲間から月明かりが差し込み、僕は目を細めた。


 その近くにある一番星を眺め、なんとなく思う。都会らしい、見慣れた空だと。


(そりゃそうだ。僕は育ちも生まれも都会なんだから)


 上体を起こし、ため息をつく。


 通っている高校だって、都心に近い場所にあるのだ。見慣れない方がおかしい。


 それから何気なく前を見て、僕は瞬きした。


 そこにあったのは、四角い建物。今じゃどこでも見かけるコンビニだ。


(ここは・・・)


 まさかと思い見上げると、寂れた看板が目に飛び込んできた。


 あまり見かけない、しかし僕にとっては馴染み深い店名に、思わず笑ってしまう。


「なんだ、ここか」


『スズマート』。僕の通う高校の近所に店を構える、個人経営のコンビニだ。


 そして僕ら柔道部がこよなく愛する、たまり場である。


(せっかく来たんだし、寄ってこうかな)


 そう思い立ち、土を払って立ち上がる。


 コユキがどういう意図でここに送り込んだのかは分からないが、そのくらいの寄り道はいいだろう。たとえ文句を言われたとしても、構うものか。


 有無言わさずに落とす方が悪い。むしろ僕は、被害者なのだから。


 そう考え、自動ドアの前に立つ。



 いつもの決まり文句を口にし、扉が開くと同時に、二人の店主が顔を出すーー筈だったのだが、今日はいつもと様子が違った。


 まず、自動ドアが開かない。かけ声はともかく、こうやって立てばいつも開くのに、今はうんともすんともしなかった。


 手を振っても、ジャンプしても、一向に反応しない。


(困ったな。それに、おじさん達も気付いてないみたいだし)


 あのバカげたかけ声は、中にいる老夫婦への合図でもある。そうすれば、僕らが来たとすぐに分かるから。


 本当は『おじさん、おばさん、来たよー』と言えばいいのだが、それではつまらない。ああだこうだと言い合って、結局、これに収まったのだ。


 当時の事を思い出し、僕は苦笑する。


(今思えば、くだらないなあ)


 それでもやってしまうのだから、もっとくだらない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る