夢か現か・下

「ここを創ってから、どれくらい経ったかな。それすらも覚えていられない程、長生きなんだよ」


 ゆったりとソファーに腰かけ、目を閉じる女性。その横顔は若々しく、二十代後半にしか見えない。


(・・・冗談、だよな)


 ならば笑えばいい。けれども僕には、それができずにいた。


 それだけの説得力が、彼女にはあったのだ。外見にそぐわぬ口調に、悠然とした姿。


 それに先程の言葉が本当ならば、このひとは人間ではないのかもしれない。窓の外に目を向け、僕はそう思った。


 外に見えるのは、星空。見える景色はそれだけで、地面なんてどこにもない。


 空の上にある店なんて、普通ならありえないだろう。しかし、彼女には可能なのだ。


 意を決して、僕は問いかけた。


「貴女は、何者なんですか?それに、ここは一体・・・」


「・・・そうさねえ」


 女性はゆるりと目を開け、何かを考え込んだ。


「まず、一つ目の質問から答えようか。あたしの名はコユキだ。今はただのコユキと認識しておくれ」


「コユキ・・・」


 名前まで日本らしいとは思わなかった。けれども、不思議と違和感を覚えない。


「古い友人からもらった名さ。似合わないだろう?」


 カップをテーブルに置き、彼女――コユキは苦笑いする。本心からそう思っているらしく、僕は慌てて否定した。


「そんな事ないです、すごくしっくりきます!」


「日本の子らしいねえ。さて、二つ目の問いだけど・・・ここは“揺り籠”――人の子らを護る為に、あたしが創った世界さ」


「“揺り籠”・・・あの、護るって何から?」


 すると女性――コユキは曖昧な笑みを浮かべた。どう答えるか、迷っているように。


「それを答える前に、一ついいかい?」


「はい」


「お前さんはここに来る前の事を、どれだけ覚えているんだい?」


「え・・・」


 予想外の問いかけに、僕は目を見開いた。


 言われてみれば、僕はいつからここにいたのだろう。しかしいくら考えても、答えが見つからない。


(何かに追われていたような・・・いや、それは夢の話で)


 不意に頭痛がして、僕は頭を押さえた。まるで思い出すなと訴えるように。


「その痛みは言わば、お前さんの防衛本能だ。忘れる事で、自分を守っているんだよ」


 防衛本能。ならば僕は、何か恐ろしい目にあったというのか。


(しかも拒絶反応が出るって、どんだけだよ!?)


 次第に思い出すのが嫌になってくる。けれども僕は、頭を振って自分に言い聞かせた。


「それでも、思い出すんだ」


「――どうしてだい?」


 そう問いかけられ、僕は顔をあげた。いつの間にかコユキが目の前にいて、こちらを見下ろしている。


「嫌な記憶に蓋をして、逃げたっていいんだよ。なのに、何故そうしないんだい?」


「決まってるだろ、大切な人達の為だ!」


 どこか試すような声色で問う彼女に向かって、僕はそう怒鳴った。


 頭痛は相変わらずで、しかもどんどん強くなっている。お陰で声は震えるし、格好悪くて仕方ない。


 それでも僕は、知らなければならないのだ。


 さっきコユキは、この空間を『人の子らを護る為に』創ったと告げた。しかしここには僕と彼女しかおらず、他には誰もいない。


 何らかの理由で連れてこられなかったのか、意図的に僕だけが選ばれたのだろう。


(家族が・・・莉緒が、危ないかもしれないんだ)


 その何かが記憶に関係しているのなら、僕は意地でも思い出してみせる。それで大切な存在を守れるのなら、安いものだ。


 僕は痛みを堪え、コユキを睨みつけた。


「都合の悪い現実から逃げたって、何も解決しないだろ!だったら意地でも思い出して、足掻いてみせるんだ!」


「・・・なるほどねえ。大切な人の為、かい」


 僕の言葉に、コユキは頷いた。不意にエメラルドの瞳が青く煌めき、僕は目を奪われる。



「その言葉を決して忘れるんじゃないよ、坊や。いや――くん」



 唐突に名前を呼ばれ、僕はギョッとした。まだ名乗ってもいないのに、何故彼女が知っているのか。


「何を驚いてるんだい?契約を交わしたんだから、当然だろう」


 二カッと笑うコユキを見て、僕の頬が引きつった。まさかとは思うが、あの夢は現実だったのか。


「さてと、それじゃあ記憶を取り戻すとしようか!」


 呆然とする僕をよそに、彼女は笑顔のまま手を叩く。それと同時に足元に紋様が現れ、青く光輝き始めた。もしかしなくとも、これは魔法陣だろうか。


「えっ、ちょ」


 猛烈に嫌な予感を覚え、僕は後ずさりする。そんな僕を見つめ、コユキは朗らかに笑った。


「さあ、行っておいで!」


「いや、どこに・・・うわあっ!?」


 急激に浮遊感を覚え、僕は悲鳴をあげた。足元にぽっかりと穴が開き、そこに落ちたのだ。


「あたしも後から行くからねー!」


「ふざけんなああああ!!」


 本日何度目かの怒声が響き渡ったのは、言うまでもない。

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