もうすぐ夏休み

 本日は七月第三週の火曜日。

 今週末から夏休みに突入するとあって誰もが浮き足だっている校舎内。

 当然ながら俺のクラスである一年三組もその例に漏れない。


 俺の当初の懸念通り異常が日常に溶け込みきった結果、教室内で現在飛び交っている会話は今年の夏についての話題一色で、魔法について話す人は殆どいない。

 恋人、プール、海、旅行、祭り、花火、肝試し、そういう青春の夏そのものみたいな話題ばっかりだ。

 朝から皆キラキラと瞳を輝かせている。

 

 ふっ、凡人どもはこれだから困るぜ。

 それに比べて俺は三百万人に一人の固有魔法持ちで、しかもその中でも超激レアらしい能力をこの身に宿している。

 そんな特別な俺と違って凡人には修行に使う時間が無いんだから気楽なもんだ。羨ましい。


 この俺には夏にうつつを抜かしている余裕なんて…………あります。超あります。

 ごめんなさい。カッコつけてました。

 

 うおっしゃあ!夏休み!海!ビキニ!祭り!浴衣!

 いいね!夏!夏とはいいものだ!何より女の子たちが薄着なのがいいんだよ!

 もっと暑くなれよ!もっと脱がせろよ太陽!お前の本気はそんなもんじゃねぇだろ!!


 実際は今日一日中、俺はそんな感じでずーっとウキウキしていた。

 そのお陰で時間の流れが非常に早く感じて、気付いたら放課後になっていた。


 よーし今日も修行に励むぞーっと椅子からガタンッ!と勢い良く立ち上がり、早歩きで教室から出ようとしたその時、


「高月」


 と、後ろから名前を呼ばれた。

 凄みのある声だった。息苦しさすら覚えるぐらいに。


「はいっ!」


 俺は即座に姿勢をキリッと正して振り返る。

 回れ右の世界大会で好成績を残せるぐらいのスピードだった。


 腰まで伸びた黒い髪に、タイトなブラックスーツで身を固めた大人の女性が、そこにはやはり立っていた。

 そのお方は日本刀のように研ぎ澄まされたオーラを漂わせていて、身長174センチの俺よりも背が高い。

 その正体は今時珍しい……というか昨今の風潮的に許されていいのかコレ?と思ってしまう程度には教育の為なら鉄拳制裁も辞さないタイプの過激派教師、篠山しのやまのどか先生。

 

 お察しの通り我がクラスの担任です。

 社会の先生で担当科目は地理歴史。


 抜群のプロポーションで顔立ち自体もとても綺麗でかなりの美人さんなのに目付きは連続殺人犯のソレと同じで、この俺をしても篠山先生を前にすると蛇に睨まれたカエルだ。

 一説には、篠山の本当の漢字は死山らしい。

 和に至っては全くの偽名に違いない。だって真逆だもん。


「ついてこい」

「はいっ!」


 一切の反論すらもせずに、というかする勇気も俺には無いので、ただただ軍人ばりに元気な返答。

 上官の命令には絶対なんだよ。サーイエッサー。

 

 てなわけで大人しく俺は篠山先生についていく。

 完全にパブロフの犬状態だ。

 けどこの三ヶ月で骨の髄まで恐怖を叩き込まれたんだ、それも仕方ないだろ。

 

 俺がレジスタンスの時に一番怖かったのはこの人。

 いつ家に乗り込まれるものかとビクビクしていた。

 でも案外その辺の良識はあるらしく、繊細な部分にまではズカズカと踏み込んではこなかった。

 篠山先生の中では生徒への接し方に対し、線引きがしっかりとされてあるんだろう。

 

 ま、とても良い先生ではあるんだ。

 優しいとは口が裂けても言えないけど、これっぽっちも悪い先生じゃない。

 手が出るのが早いのが玉にきずだが、それも含めて篠山先生の魅力なんだろう。

 あの馬鹿たちはわざと鉄拳制裁を受けたがってる節があるしな。鉄拳褒美になってんだよ、逞しいヤツらだぜ。


「失礼します!」


 篠山先生に続いて職員室へと入る。

 他の先生たちの注目が集まるが俺には慣れたものだ。

 職員室に入る難易度も教室と何ら変わらない。


「まあ、楽にしろ」

「はいっ!」


 篠山先生は自分の机に辿り着くと、椅子にドカッと雑に座った。

 当然俺には座る場所は無いので立ったままだが、カチカチに強張らせていた姿勢を崩せるというだけで、肉体的にも精神的にも物凄く楽になる。


「一つ聞こう。八月の予定は?」

「え、デートのお誘いですか?」


 指の関節を鳴らす音が鮮明に聞こえた。

 ポキポキじゃないよ、ゴッギゴッギだよ。

 格闘家とかがゴング前にやる挑発行為よりも、断然エグい音が鳴ってんだよ。


「少し空けておけ。押し付……頼みたい事がある」


 この人は今押し付けって言おうとしてなかった?


「今回の期末テストで赤点を取った生徒に対し、夏季休暇中に当然ながら当校は補修を実施する予定だ」

「それはそうですよね」


 そりゃ当たり前だわな。誰も留年なんてしたくないだろうし。

 でも、別に俺には関係のない話だ。

 自慢じゃないが赤点なんてのは、生まれてこの方一度も取ったことが無い。

 こう見えて俺は頭が良いんだ。学年でもトップクラスでね。

 中間は三位、今回の期末も三位です。

 はっはっは、銅メダリストと呼んでくれ。


「お前にも少し手伝って貰いたい。いや手伝え」

「えっと、……話が見えてこないんですけど」

「簡単な話、教師の真似事をしてくれって話だ」


 いや、何でだよ。

 無理とかの前にまずやらせていいの?そういうのって。

 法律には詳しくないけど教育関連の何かに触れないの?


「今回は異様に対象の生徒が多いんだ」

「ああ、魔法のせいですね」

「その通り。あんなものに現を抜かして……まったく……不甲斐ない話だ」


 あの馬鹿三人も赤点取ってたな。そういや。

 いやアイツらは魔法以前に中間も爆死してたか。


「なに、タダとは言わない」

「え、デートですか?」


 篠山先生が肩を回している。固く拳を握り締めている。

 滅殺の右ストレートを繰り出すつもりなのかもしれない。

 その前準備アップなのかもしれない。てか絶対そうだ。

 

「冗談ですよ」


 なのですぐ訂正。

 危険察知能力は長生きするのに不可欠だ。

 少しでも遅れてたら職員室が殺人現場になってたに違いない。


「二週間の無断欠席に日常生活での態度。成績は良いとはいえ目に余る」

「なるほど、内申点を餌にって……ことですね」

「それは私の口からは言えないな」


 まあ……悪い話……ではないか……?

 補習つってもそんなに長い期間あるわけじゃないだろうし、一日にやることも限られてるだろうし。


「私としても複雑なんだがね」

「優秀な生徒の貴重な夏休みを奪うわけですもんね」

「そこに対する罪悪感は欠片も無いな。ただただお前が補修を受ける側であって欲しかった」


 おい、どういうことだ。


「高月……お前のようなタイプは頭が悪くあるべきだろ」

「担任がそれ言います?」

「教師としては嬉しいが、一個人としては喜べないな」


 教師が生徒に対して、そんな苦虫を噛み締めたような顔で言う台詞か?


 ったく、俺は必死こいて頑張ってんのに……

 アホの陽咲が今回も赤点回避出来てんのは、俺の努力あってこそなんだからな。

 昔から陽咲は何故か分からないことを先生じゃなくて俺に聞いてくるから、アイツにカッコ付けるために俺が勉強する羽目になってんだ。

 聞かれて答えられなかったらカッコ悪いと思って、テスト期間中なんて俺がどれほど勉強してることか。

 褒めて貰いたいぜ、ヨシヨシ偉いねっ……て、大人のお姉さんにさぁ……!膝枕されてさぁ……!


「この辺りを空けておいてくれ。なぁにたったの三日だ。それにお前に請け負って貰う生徒は、気心の知れた奴等だけにしておく」


 篠山先生が卓上カレンダーを手に取って、印の付けられている指定日を指差した。

 たったの三日で内申点を貰えるんだから特段不満は無い。


 それに篠山先生の言葉を聞く限りでは、俺が教えるヤツらはどうせあの馬鹿たちだと思われるので……適当に教えればいいや。

 正直留年されても問題は無い。アイツら腐ったみかんだもん。


「高月、お前も食うか?」

「いただきます」


 篠山先生が机の下にある小型冷蔵庫からリンゴを二つ取り出した。

 一つを俺に差し出してきたので、遠慮せずに受け取った。


 この人本当にリンゴ好きだよな。

 たまに授業中に食ってるけど、アレっていいのかな?

 昭和の頃はタバコ吸いながら授業してる先生もいたらしいが、リンゴを食いながら授業する先生は後にも先にもこの人だけだろ。


「リンゴはいい……」


 シャクッと聴き心地の良い爽やかな音を立てて、篠山先生がリンゴを食べている。

 この時だけは普段の険しい目付きが少し緩むので、シャッターチャンスはここしかないぞ、皆。


「おお、周一!ここにおったか!全く探したんだぞ!いつまで経っても来ないから何事かと心配したぞ!」


 俺もリンゴを齧ろうとした途端、聞き慣れた声が聞こえた。

 初見時の風格は見る影も無くなっていて、俺の中では既に陽咲と同等のアホ枠にカテゴライズされている真帆の声だった。

 駆け寄ってきた真帆に右手を取られ、グイグイと引っ張られては急かされる。


「ほれ、はよう行くぞ!」

「ああ、じゃあ篠山先生これで失礼します。また」


 タイミングはバッチリだ。

 ちょうど話が終わったところで良かった。

 そんじゃま今日も今日とて学校の疲れを癒しに……ごほん、修行に行くとしますかね。

 いやー大変、大変。怖いなー、修行は。


「待て、高月。まだ話が残っている」


 篠山先生に呼び止められた。

 振り返るとまた恐ろしい目付きに戻っていた。

 

 何でだ。補習の話はもう終わったよな。

 ん……まさかこれは……嫉妬か?俺のことが好きなのか?


「安心してください。左手、空いてますよ」

「そうだな。お前は黙れ」

「いだだだだだだっ!?」


 ポケットにリンゴを入れてから手を差し伸べる。

 手を握っては貰えたけど、力を込めて思いっきりだった。

 今の世論的にこれを言うのも何だけど、女の人がしちゃいけない握力をしていた。

 骨が軋む音がして、激痛が俺を襲う。たちまち立っていられなくなった。


「おい、貴様!我の周一に何をするか!」

「魔竺先生、高月は高月です。誰のものでもありませんよ。自分で考えて自分で生きていく、立派な一人の人間なんです」

「ひぅ……っ!」


 よわっ!?三千年の歴史が一切感じられねぇ!!

 あと教育者っぽい台詞言いながら生徒の手を破壊しにかかっている矛盾に早く気づいてくれ!

 折れる、砕ける!回復魔法で大体治せるようになってるっつっても、痛いもんは痛いから!

 痛みにだけは慣れないから!慣れちゃいけないから!


「と……いうわけで、少し席を外して頂いても宜しいですね?」

「う、うむ……よろしいです……!周一、我は気長に待っておるぞ!」


 おい、逃げんな!俺に尽くすんじゃねぇのかよ!


「高月、私は別に誰かと付き合うなとは言わない。だが、不純な行為がいつまでも許されると思わない事だな」

「いや……あれは、立派な魔法の練習でありまして……」

「ほう」

「今後のために必要なことでありまして……」

「へぇ」


 絶対に信じてない顔してる。相槌が適当すぎる。

 てか見られてたのかよ……人払いの魔法も頼りになんねぇな。

 マジッ◯ミラー号の方がまだ信頼できるんじゃねーの?


「まったく。なぜあんな事をしていて成績を下げないのかが不思議だ」

「先生の喜ぶ顔が見たくて」

「それなら簡単だ。不埒な言動を正し、清く正しく穏やかに日々を過ごせ。そうすればお前はすぐに人から尊敬される人間になれるだろう」


 それもう俺じゃないな。

 パイナップルの無い酢豚だな。


「それは難しいですね。先生がリンゴを食わずに生きろって言われるようなもんですから」

「それは死ぬな」


 死ぬのかよ。そんなにかよ。


「私には魔法が使えないからお前の気持ちは分かってやれないが、外れた道には進むなよ」

「それは大丈夫だと思いますよ。その時は先生が拳で止めてくれると信じてますから」

「なんだ、分かってるじゃないか」


 篠山先生は単に生徒が心の底から心配なだけなんだろう。

 魔法なんて特別な力を子どもだけが手に入れたんだ、何か変な事に巻き込まれてはしまわないかと、真っ当な大人であればそれは不安にもなる。


 って、あ、そういや言ってなかったっけ?

 今の世界では魔法は成人未満の若者しか使えないんだよ。

 

 魔力は成熟している大人には入れられないらしく、仮に注入自体に成功したとしても身体に馴染みはしないらしい。友希先生がそう言っていた。

 なので後天的に魔力を手に入れられるのは子どもだけということになるので、この世界には大人の魔法使いは原則いない。


 真帆とか友希先生は別枠だ。

 直接聞こうとは別に思わないが、二人は異世界から来てるんじゃないかと俺は考えている。


 んで、篠山先生も……そろそろ二十代も終盤にさしかか


「高月。何か変な事を考えていたか?」


 りんごが割れた、じゃなくて、砕けた。

 弾け飛んだ汁が俺の頬にべちゃりと付着し、顎まで伝って床に垂れる。


「いえ、何も考えていません!」


 俺は慌てて背筋を伸ばし、綺麗な気を付けの姿勢をとった。


 幻視した。幻を見たんだ。

 篠山先生が人間の頭を粉々に砕いたようにしか見えなかったのだ。

 それはまるで次はお前の番だぞって言われてるみたいで……あの、俺の頬についてる汁って赤じゃないよね?


「そうか……ならいいんだがな」


 こえーよ。目元が良く見えないぐらいに暗い影になってんだよ。

 歴戦のスナイパーじゃなきゃ出来ない目してんだよ。

 一介の社会科教師という職業に縛り付けるには惜しい人材なんだよ。

 

「平穏に生きろ」

「はいっ!」


 死山……じゃなくて、篠山先生の言葉を胸に大切にしまい込んで俺は生きることにする。

 痛くて怖いのは絶対に嫌だし……平穏に、自分に素直に生きよう。

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どうやら俺の思い描いていた最高に素晴らしい高校生活に必要不可欠なものは魔法だったらしい。 〜触れていないと使えない魔法って、ソレ最高じゃないっすか〜 よいち @yo1ds

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