第二章 出世の見込みのない女官はじめました


〈一〉


(まさかこんな形で訪れるとは思ってもみなかった……)


 いつになく緊張した面持ちで、げつこくようきんじようの門をくぐった。

 秘書庫の存在を聞かされたとき、夏月はどれほどあこがれをつのらせただろう。この世のありとあらゆる知識を書物にしたため納めた倉──それが秘書庫で、なかには夏月が一生かかっても読みきれないほどの書物が納められているのだという。


 秘書省──王家図書館というのは、琥珀国のなかには四カ所ある。


 歴史年鑑などの重要な書物は、四冊の同じ本を四つの文倉──秘書庫に納めて、万が一、どこかの図書館が火災にあった場合でも、内容が失われないように配慮されている。

 一般に公開することが目的ではなく、国のために知識を蓄えるのが秘書省の役割だ。

 そのくらい、書物というのは、黄金や珍かな薬と同じく貴重品扱いをされていた。

 王権は神から託されたものであり、だから国主が神事をとりしきる。

 知識というのは神から託された神秘であり、神秘をたくさん所持するからこそ、その王権は強いと見なされる。秘書庫に納められるのはその名が示すとおり、秘書──秘された書物なのだ。

 その貴重な四つの写本を作るために、王のお声がかりで秘書省付きの写本府という部署が作られた。王直属の機関という、大変ありがたいお墨付きをいただく一方で、国家機密をとりあつかう部署という秘匿性のため、外部の部署とのやりとりが制限され、人との関わりは少ないという問題があった。

 つまり、要職に就くお偉い方々に顔を覚えてもらえる機会はなく、刑部のように犯罪人をとりしまったり、兵部のように戦で手柄を挙げたりして、褒賞をもらうこともない。そういった現世御利益にあずかりにくいという理由から、写本府は人気がなかった。有能な官吏からは避けられ、女官が集まりにくい部署として悪名をはせている。

 そんなこととは知らずに、夏月は門衛からすいされ、手にしていた紹介状を見せた。


「秘書省写本府長官の紹介ですね」


「はい。これがれいはいです」


 紹介状とは別に手に収まるくらいの命令札を見せる。事前に渡された令牌は通行証代わりで、写本府長官から女官を拝命されたというあかしでもあった。偽造されないようにだろう、凝った細工が施されている。この令牌と一緒に女官服も送られてきた。

 先日、写本府長官のこうりよくすいと会ったとき、秘書庫の話をきっかけに『写本府に女官として勤めてみますか』と誘われたのは半ば社交辞令だと思っていたが、どうやら本気だったらしい。後日、らん家本家に代書の支払いとともに女官勤めの話が来て、夏月のほうが驚いてしまった。本家に呼びだされて話をよくよく聞けば、どうやら父親は早く結婚しろという説教のせいで夏月が自死したと思っていたようだ。


「死ぬほど結婚が嫌なら、おまえの好きにしなさい」


 などと泣きながら言われて驚いたが、夏月としては願ってもない。


「では、お父様。わたし、しばらく女官として黒曜禁城に勤めに上がります」


 そう宣言して、急な出仕が決まったのだった。父親の盛大な誤解はあまりにも夏月に都合がよく、うまく行きすぎて不安になるほどだったが、あとになって気づいた。


 ──『現世の城で調べたいことがあったのだ。おまえの運命に働きかけてやろう。城へ行き、私の手伝いをするというなら、地上へよみがえらせてやる』


 たいざんくんはそう言っていたのだ。


(これが運命をつかさどる泰山府君の力か……)


 つまり、この出仕した先に、あの神の調べたいことがあるのだろう。

 髪には泰山府君からもらったかんざしを挿して来た。華美な装飾品はよくないかもと迷ったが、いまのところ注意されていない。なにせ神からの贈り物だ。挿していても気に留められない術でもかかっているのかもしれないと気にしないことにした。

 はくこくの王城──黒曜禁城は、うんけいの中心となる大路の先、二重楼閣を持つ城門の奥に広がっていた。城壁に囲まれた城には巨大な城門だけでなく、見張り用のやぐらも無数に立ち、運京のあちこちから見えるが、庶民の大半は眺めるだけで用はない。けんのいる後宮はともかく、夏月も外廷の区画に入るのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

 幾人もの官吏が行きかう通路を通りぬけ、手紙で指図されたとおりに外廷の東側の門に向かう。新しい女官が来ると通達されていたのだろう。手紙と令牌を見せると、門衛は奥に人をやり、しばらくすると洪緑水と文官らしきほうまとった官吏がやってきた。


「ようこそ、藍夏月嬢。先日は急な頼みを聞いてもらい、助かりました。写本府長官の洪緑水です。うちはいつも人手不足なので、来てくれてよかった」


「そ、そうですか。こちらこそ、代書の代金と女官のお誘い、ありがとうございました」


 長官自ら迎えに来るという思わぬ歓迎ぶりに驚いた。心なしか、言葉遣いも丁寧だ。夏月はあわててゆうれい──立ったまま手に手を重ねて、軽く頭を下げた。

 あらためて見ると、洪緑水は官吏の袍がよく似合う。しく整った顔立ちにすらりとしたたいを際立たせて、そこに立つだけでまるで一幅の絵画のように人目を引いていた。もうひとりはそうこうようという名で、洪緑水の部下なのだと言う。しようひげを生やしているが、こちらも顔立ちは若い。如才ない笑みを浮かべた洪長官とは対照的に不機嫌そうな顔で夏月にあいさつした。


「正直に言いますと、藍家の令嬢に女官をやらないかなんて、藍たいじんから怒りの返信をいただいても仕方ないと思っておりましたので……詳しくは写本府に着いてから話しましょうか。こちらへどうぞ」


 洪長官はそう言って先に立ち、歩きはじめた。失礼ながら、役人というと縁故採用ばかりで実務に不安を感じさせる人が多いという先入観を夏月は抱いていた。しかし、目の前の青年はどうも違う雰囲気だ。整った顔立ちを温和に見せているが、その温和さに似合わぬ鋭いまなざしをする瞬間があるのを夏月は見逃さなかった。


(こんな美形がいるのなら、この人が『手伝ってください』とお願いすれば、いくらでも手を挙げる女性がいそうですけど……)


 ──どうして人手不足なのだろう。


 首を傾げながらも何度か角を曲がり、つい塀に囲まれた通路を進む。やがて、先を行く洪長官が、夏月を招くように屋根付きの門の前に立った。


「さぁ、着きましたよ」


「ここが……秘書省写本府……?」


~~~~~


増量試し読みは以上となります。

この続きは『後宮の宵に月華は輝く 琥珀国墨夜伝』(角川文庫刊)にてお楽しみください。

2023年10月24日頃発売予定です。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

後宮の宵に月華は輝く 琥珀国墨夜伝 紙屋ねこ/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ