第一章 万事、代書うけたまわります⑬

 ──昨年は不審死が多い年だった。


 王都・運京の近くでは川が干上がり、干ばつと暑さがひどかったせいだろう。昨日元気だったものが、翌朝、眠るようにして死んでいたとかで、次から次へと死体が道端に捨てられていた。ほかの国の呪いだとか、得体の知れない感染症だとも噂されていたが、真相は結局わかっていない。

 死の光景が日常となっていたのは、後宮も同じだったらしい。亡くなった女官の数があまりにも多く、死亡通知を書くのが間に合わないからと、代書屋を開いている夏月にまで臨時雇いの声がかかるほどだった。

 年が明けたころから運京は落ち着きをとりもどしたが、昨年の死の影はまだ町のあちこちに色濃く残っているのだろう。残された者は、自分も突然死ぬかもしれないとおびえ、その不安のために故郷に手紙を出したいと『灰塵庵』へ頼みに来たものだった。

 閉ざされた後宮に暮らす者たちは、より切実だったのだろう。死亡通知を弘頌殿の床に並べて乾かしているそばで、妃として後宮入りした姉が深いため息を吐いたのを、よく覚えている。


「本当に……こんなにたくさんの女官が亡くなった夏はなかったそうよ……夏月も体には気をつけなさい」


 姉からいたわる言葉を聞くかたわら、夏月が考えていたのは全然、別のことだった。


 ──『木を隠すなら森、人を隠すなら人混みのなかに』


(死体を隠すなら、死体のなかに……だ)


 書物の文言から連想された言葉が頭のなかで躍り、いつまでも離れなかった。

 後宮というと、一度なかに入れば二度と出られない、女たちを閉じこめる厳重な鳥籠。そんな印象があるが、琥珀国における後宮は、王族の私的な空間というだけで、妃も女官もそこまで厳重に出入りを禁じられているわけではない。官吏と同じく、冠婚葬祭のための里下がりも比較的自由に許されている。

 それでも、庶民にとっては不可侵の、なにがあるのかわからない場所ということに変わりはなく、厳重な城壁の奥の奥──後宮に入ったら殺されるか、あるいは死ぬまで出られないような、そんな怖ろしさをどうしても抱いてしまう。そのへいそくかんのために悪い噂はまたたくまに女官たちの間で広まるのだ。




(あの幽鬼がもし、後宮の妃なら……彼女は暑さや病で死んだのではなく、後宮で殺されたのだろうか?)


 夏月が幽鬼の代書をしていることは姉も知っているのだから、数日前の出来事を素直に話せばいい。そう思うのに、後宮で亡くなった人の話題をするのははばかられる気がして、はっきりとたずねることができなかった。しかしそれは、夏月のゆうだったようだ。


「ええ、そうね。香を瑞側妃に差しあげたのは、だいぶ前の話だけど……夏月、よくわかったわね」


 紫賢妃の答えに夏月はどきりした。自分の推測が確信に近づいてきたのを感じて、心がいた。焦りが滲まないように、あえてゆったりと質問を返す。


「ええ、お姉様はよく気に入った方に香をわけていたので、もしかしてと思っただけでございます……その、大変失礼なことをおうかがいしますが……その瑞側妃はいまも後宮においでの方なのですか?」


 まさか『去年、亡くなったのですか?』とは聞けずに、夏月は遠回しに訊ねた。


(もし姉の知り合いなら、もう一通の手紙のあてさきも、すぐにわかるかもしれない)


 しかし、その期待はすぐに裏切られることになった。


「さきほど近くを通ったおりにしよくめいきゆうから琵琶の音色が聞こえていたから、いると思うけど……そういえば、最近お会いしてないわね。ホウはどう?」


 今度は紫賢妃から話しかけたからだろう。袍子と呼ばれた少年宦官はほっとした顔で返事をした。


「私は昨日お話ししました。同郷のよしみでよく気にかけていただいており……今日も宮におられると思います。もし必要とあれば、声をかけてまいりましょうか?」


「同郷というのは……もしかして、楽鳴省護鼓村?」


 琵琶を弾いていたという話を聞いて、思わず質問を重ねていた。


 ──『みんな芸を仕込まれたあとは村を出されるんです』


 幽鬼の言葉がふっと耳の奥によみがえる。


「はい。よくおわかりですね」


「ええ、楽器の演奏で有名ですし、それで琵琶柄の襦裙を好まれているのですね……」


 どきどきと嫌な冷たさを伴って、鼓動が速まっていく。


(そんな偶然があるのだろうか。しかし、瑞側妃という人は生きている……つまりあの幽鬼とは別人ということ? でも……)


 名の知られた妃が死んだなら、ねたみと死の恐怖を紛らわせるのとを兼ねて、後宮では虚実入りまじった噂がささやかれたはずだ。古来、処刑を公開してきた国が絶えないのは、刑の見せしめとともに一種の見世物だったからだ。嫌な話だが、人の死というのは、いつの世でも生者にとっては娯楽に等しいところがある。

 一方で、存在すら公に知られず、ひっそりと生きてきた者の死は、やはり静かなものだ。ひんたちでさえ、下級の妃ともなれば同じだ。国王から望まれたのか、政治的な目的かの違いがあっても、入宮してそのまま忘れられた妃など無数にいるはずだ。忘れられ、後宮からいなくなっても誰の口の端にものぼらないような妃が。

 死のけがれを嫌がるからだろう。ひそやかな死というのは、後宮のような場所では外に伝わりにくい。だから昨年のように死者が多いときには、帳面からこぼれた死者がきっといるはずだ。普段からあまり人と会わない生活をしており、そのまま死んでいても気づかれないような死者が。


(あの幽鬼はそんな妃のひとりだったと思っていたのに……)


 違ったのだろうか。それとも、知られていないだけで、同じように琵琶柄の襦裙をまとい、同じ楽鳴省護鼓村出身の妃がもうひとりいるのだろうか。それとも──。

 夏月がしばらく死んでいたうちに、宛先がわかっているほうの手紙は可不可が藍家ゆかりの商人に頼んで出してくれていた。楽鳴省護鼓村は運京との行き来が多いらしく、手紙はすぐに届くはずだと聞かされている。


(宛先のひとつ──莫容雲のほうから幽鬼のことを探ってみようか……しかし、相手がわからないもうひとつの宛先は黒曜禁城なのだし、まったく後宮と関わりのない人間が宣紙を使って手紙を出してほしいなどと言うだろうか?)


 さまざまな推測が夏月の頭のなかで形になっては泡のように消え、また頭の片隅にこびりつく。いつまでも消えないそれは、最後には、


 ──幽鬼の客はやはり後宮の人間ではないだろうか。


 そんな考えに帰結する。真相はわからないし、そもそも代書屋としての本分を超えている。しかし、袍子の返事に衝撃を受けつつも、夏月は自分の推測を捨てきれずにいた。


「夏月? 瑞側妃に用があるのなら、呼んでもいいのよ?」


 そう言われても、瑞側妃が生きているなら、会ったところで夏月のことを知らないはずだ。まさか殺された幽鬼と知り合いですかとも聞けない。いくら夏月が外聞を気にしないと言っても、さすがに正気を疑われるだろう。


「いいえ、お気遣いに感謝します、紫賢妃。それより、ほかに代書のご用はございませんか? わたしが代書をした手紙に、『必ず届く』なんて力はありませんが」


 くぎを刺すように夏月が言ったのがおかしかったのだろう。姉は扇で口元を隠して笑う。


「まぁ、夏月……もちろん、わかっていますとも。では、陛下にお手紙を書いていただこうかしら……この間の、春の詩と絡めた手紙をとても褒めていただいたのよ」


 ようやく本来の目的だった姉との歓談ができたものの、夏月の頭のなかは、幽鬼の謎と秘書庫が見たいという欲望とが渦巻いて、いつまでも落ち着かなかった。

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