第一章 万事、代書うけたまわります④
郷里に恋人でもいて、迎えに来てくれるのを待っていたのだろうか。恨みを持って死んだ者は幽鬼になって現世を
(言葉に表した以上に……)
そうでなければ、世の
手紙の相手は家族だと言っていたが、本当のことを代書屋に話したがらない客もいるから、当てにはならないだろう。素直に心の
夏月がぶつぶつ言いながら、手紙の文面を考えている間も、可不可は細々とした仕事をしていたらしい。表から『万事、代書うけたまわります』の看板をしまって、店内に戻ってきた。その手には、看板と一緒に飾っていた
幽鬼を呼ぶと言われている鬼灯だが、朝の光のなかで見ると、ひときわ鮮やかな朱色をしている。まるで昨夜の幽鬼の願いを聞いてやってくれと言わんばかりだ。
「……とりあえず、
宛先不明の手紙はどうしようもないと、夏月はため息をついた。書きあげた手紙を折りたたみ、宛名を書いた
「幽鬼の手紙を出してやるんですか? 冥銭は実際には使えないし、やめましょう。受取人も亡くなっているかもしれませんよ」
「可不可、おまえはわかってませんね。男のほうも亡くなっていたら、冥界で会えるんだから、手紙を書く必要はないではありませんか」
「あ……なるほど、言われてみれば確かに」
言い負かされたことを恨みに思うでもなく、可不可は妙に納得している。
夏月としても自分の言葉が妙に
──この手紙にこめられた……最後の想いを届けてやりたい。
死して冥界へ落ちてもなお、忘れられなかった想いを伝えてやりたい。それは夏月の心に芽生えた
簡単な数字の読み書きはできても、手紙のように長い文章となると、また別だという人は多いから、代書屋という商売が成りたつ。しかし、その代書屋でさえ一方通行の想いしか伝えることはできない。死者からの手紙を受けとった相手が、その内容をどう受けとめ、どんな思いを抱くのか知る
それでも、伝えたい人の想いを届けるために、代書を引き受ける。
それが代書屋『灰塵庵』のささやかな
(わたしは字を書くことしかできないから……せめて手紙を届けるだけでも……)
夏月は宛先のわからないもう一通の手紙を眺めて、幽鬼の言葉をくりかえした。
「宣紙で、宛先は……黒曜禁城の……あの方に……」
後宮という言葉に反応したからには、『黒曜禁城のあの方』というのは身分の高い方なのかもしれない。そこまで考えて、夏月は渇いたのどにごくりと
宣紙というのは高級な紙で、一般庶民は高くて手が出ないだけではなく、使うことができない。夏月の店でも滅多に宣紙を使うことはないから、在庫がなかった。
(お父様から怒られたばかりだけど、本家の店に行って紙を調達してこないと……)
夏月のそんな思考は、すでに見透かされていたのだろう。
「頼みの秀曲お嬢様は後宮、店の収支は悪いとなれば……奥様がお嬢をすぐに嫁に出しましょうと言えば、旦那様は断れないでしょうねぇ……」
追い打ちをかけるように、可不可から
「それは……困る……」
「でしたらもう少し、書物を購入する額を抑え、実入りを増やしていただかないと! いいですね」
「……は、はい」
小言が耳に痛い。夏月のほうが主人のはずなのに、金銭にまつわることに関しては可不可に頭が上がらない。その可不可は父親の藍思影には逆らえない。本家から独り立ちできる日は来るのだろうかと、夏月は頭を抱えた。
「そういえば、お嬢。今日は紫賢妃に呼ばれているんでしょう? 表には休業中の札を出しておきますね」
「ええ、お願い。この本も今日お届けできそうでよかった」
昨夜遅くまで書いていた紙を揃え、針と糸を使い、慣れた手つきで
夏月を気にかけてくれていた姉は後宮入りしてしまい、いまは気軽に会うことはできない。だから、姉から呼ばれて訪問できる日を、夏月は楽しみにしていた。
店仕舞いをしているうちに、朝餉の支度がととのっていたのだろう。
「夏月お嬢様、可不可さん。朝餉ですよ。店は閉めて、こちらにいらしてください」
「はーい、いま行きます」
夏月は大きな声で答えて、
「深夜の幽鬼を相手にしてばかりでは、代書屋はまた赤字ですよ。それに、後宮に行く用事があるのに幽鬼が来るなんて不吉な……」
まだぶつぶつ言う可不可の言葉を、夏月は聞こえないふりをした。
「可不可、後宮へ行く前に
夏月はそう言って朝食を食べてすぐ、出かけることにした。
代書屋『灰塵庵』からすぐ近くに、泰山府君を
長い黒髪と白い衣に見覚えがある気がして、先日の酒楼で、
「お嬢!?」
可不可の驚いた声と、朱色の門檻が眼前に迫ったのと──視界の隅で青空にたなびく五色の吹き流しがぐるりとさかしまになる。
(どうして、今日にかぎって……)
そんなどうでもいい考えが頭をよぎる。琥珀国の門や建物の入口には大きな横木があり、門檻などという。それは敷地の境界を示す
(何度も何度もお参りしたはずの泰廟で、門檻に足をかけて転ぶなんて……)
──いったい今日はなんの厄日だというのだろう。
がっ、という不吉な音を聞いたのを最後に、夏月の意識は途切れたのだった。
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