教師の後悔と邂逅⑤

 小松のいとこに連絡を取ろうかと考えたが、覚悟がなかった。結局できずに、恩師に連絡をした。

 待ち合わせをした昔ながらの喫茶店で、彼は穏やかながらも沈痛さを滲ませながら話してくれた。


 小松菜緒の一年のときの担任をしていた恩師は、一年が終わってからの春休み、彼女の余命宣告について聞かされたという。これまで通りに学校に通いたいこと、病気や余命については伏せてほしいという意向が伝えられた。彼は意向に添えるよう学校側に働きかけ、彼女の余命について知っていた関係者は限られたという。


「二年では担任は外れたけど、学校に出てきた小松さんの雰囲気が少し変わっていて。それまでの彼女はとてもおとなしくて、いつも諦めたような顔をしていて。顔色も悪かったしね。

 でも、見かけた彼女はどことなく明るく見えてね。声をかけたんだ。そしたら、好きな人ができて、どこの誰かもわからないけどって。彼女は幸せそうに微笑んだけど、こっちは、胸が詰まるような気持ちだったよ。


 休むことも少なくなって。彼女に死がつきまとっていることには変わりなかったようだけど、それでも少しでも彼女が幸せでいられれば、生きてくれればと願うしかなかった。


 それで、君が赴任してきたらまた一段と彼女は生き生きして、随分勉強頑張って、君を慕ってたでしょう。僕、結構びっくりしたんだよ。好きな人できたって言ってたけど気持ちが君に移ったのかなって。まあ、誰かも知らない人を想うより不毛じゃないし、彼女に気力をもたらすならそれでいいし、でも移り気だなあとも思っちゃったけどね。


 それで彼女に、気持ちが移ったの?て聞いたことがあって、どこの誰かも知らなかった人が先生だった、と言うわけ。だから先生だけには言わないで、病気のこと、絶対に知られたくないって。同情や憐れみで態度が変わるのは悲しかったんだろうね。幸い、君は知ることはなかった」


「でも、知っていたら何かできたんじゃないか、とそう思ってしまいます」


「どんなに知らないふりをしても、それはもう、違うものだからね。彼女の望むものじゃなかったでしょう。僕も一人の生徒として接したつもりだけど、どうしたって知っているからね。変えないよう気をつけたって、同情はあったし、隠していても伝わっていたと思う。

 教師と生徒という壁はつらく思ったこともあるだろうけど、いつも越えない線を君が守っていたことは、彼女の救いでもあったと思うよ」


 理解はしている。でも、受け止めきれなかった。後悔は消えない。


「卒業まで生きられないと言われた彼女は、余命を過ぎてもニ年以上生きた。それは君と出会った奇跡だと、彼女は思っていたし僕もそう思う」


「余命宣告後、それ以上に生きる人はたくさんいると言います。あくまでそれは目安だから。奇跡ではなく、彼女ががんばったのでしょう」


「それでも。君に出会って彼女が変わったのは事実だから。奇跡と呼んでもよいんじゃないかな。ご両親が言っていたよ。彼女が最後、諦めることなく前向きに過ごせたことがよかった、と。君に感謝していた。余命より長く生きたことよりも、彼女の中に光があったことに意味があって、それはきっと、君に出会ったことが関係していたんでしょう。僕にはそう見えた。


 それにね、学校でたまたま再会するなんて随分運命的じゃない。それこそ奇跡と言っていいと思うけどねえ」


 ふふふと恩師は笑う。この顔を、かつて見たことがあった。


「先生は、小松を見て、愛は偉大だねえとおっしゃったのを覚えていますか?」


 揶揄されたと思ったのだ、恩師に。恋心で勉強のやる気を出させているのだと皮肉っているのだと。


「ああ、誰かを好きになることで小松さんがあんなふうに元気に過ごせるなんて。愛は偉大だとしみじみ思ってたよ」


 生徒に向けるような穏やかな眼差しを恩師から向けられる。途端に自分が学生に戻ったかのように感じた。


 それから先生は、小松菜緒が最後は病院で過ごし、六月に亡くなったこと、大学は入学できたけれど、二十歳の誕生日も、成人式も迎えることは叶わなかったことを話してくれた。


「彼とは彼女の葬儀でも会ったんだけどね。最近学校に来て、君の連絡先を教えてほしいと。勝手に教えるわけにもいかないから断ったけど、小松さんの手紙を渡したいと言われてね。僕が預かって君に渡すというのも違う気がして、今の学校を教えたんだ。会えなかったら僕に連絡してほしいと伝えて。事前に説明していなかったから驚いただろう。悪かったね」


 いえ、と小さく否定することしかできなかった。先生がしてくれたことが最善だった。きっと彼女のいとこは、手紙を預けるようなことはできなかっただろう。

 小松の手紙には、手紙をいとこに託すと書いてあった。彼は手紙の内容を知っている。知っていて、俺に届けた。彼女の死から俺のもとに手紙が届くまでの時間が、彼の悲しみと迷いの時間であったのだろう。

 彼にも連絡すべきだと思いながら、結局俺はそのままにしてしまっていた。


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