親愛なる先生へ⑤
通院のときにあの人を見かけた後、その姿を見ることはありませんでした。たまたま会う確率のほうが低いことだって、わかっていました。
それでも彼のことを想うだけで幸せでした。彼を好きだという気持ちこそが、自分を揺るぎないものにしてくれているように感じていました。
休みがちだった学校は、前よりも出席日数がずっと増えました。余命宣告の後、あの人に会ってからのわたしは、信じられないくらい体調が安定していました。学校に通うというほかの子にとって当たり前の日々が、わたしにも日常のようにとけこんでいました。
そんな日常を過ごすうちに、あの人に再び会うことはきっともうないだろうと感じていました。名前も知らない、どうして病院にいたのかも知らない彼と、もしもまた会えることがあるのなら、それは奇跡だろうと思いました。
あの人との再会を果たしたのは、思いがけない場所でした。わたしは本当に、奇跡だと思った。先生が否定したとしても、奇跡という言葉以外、ふさわしい言葉があるとは思えません。
あの人はある日、私の前に現れました。休職した数学の先生の代わりだと教壇に立った彼を見て、わたしは目を疑いました。だって、そんなことがあると信じられますか? ずっと会いたかった人がこんな形で目の前に現れるなんて。
その上、彼はあのときのあの人とはまるで雰囲気が違っていました。似ているだけの別人なんじゃないかとさえ思いました。
だけど、間違いなくあの人だった。先生、間違いなくあなただった。まわりの女の子たちは先生が若くてイケメンだと色めきだっていたけれど、わたしはただ、先生があの人だというたったひとつの事実にふるえていました。
先生はもちろんあの日のことなんて、少しも覚えていなかった。たとえ覚えていたとしても、顔には一切出さなかったと思いますが。だって先生はずっと「教師」で、少しの隙もなく
最初は騒いでいた女の子たちも、少しも気安さをのぞかせない先生に距離を置くようになりました。
わたしは大嫌いな数学の勉強をはじめました。それこそ中学の復習から。あんなに勉強をしたことはありませんでした。
好きなだけでよかったはずでした。恋をすることだけで十分だと思っていました。でも、あなたと再会して、いつの間にかよくばりになってしまっていました。
先生の視界に入りたい。話したい。生徒の名前を識別する記号くらいにしか思っていない先生に、小松菜緒という個人を認識してほしい。
わたしはがんばってがんばってがんばって、テストで上位になるくらい成績をあげました。たくさん質問に行きました。それでも先生は、わずらわしささえも垣間見せないくらい大人でした。
先生に告白する前から、わたしを認識してくれていたと思うのはうぬぼれですか? 明らかな好意をしめすわたしを、わずらわしい生徒だと、小松菜緒という存在を認識していませんでしたか?
無関心なんて悲しすぎる。なんとも思われないくらいなら、どんな形でも、どんな感情でもよかった。
だから告白なんて少しもするつもりはなかったけど、あの日からわたしは今まで以上にうれしかった。先生の感情が垣間見えるとき、困らせたいわけではなかったけど、わずらわしいと思っているのがわかるとき、先生はわたしに無関心じゃなかった。
だからごめんなさい。わたしは自分のしたことを少しも後悔していません。だから先生も、後悔しないでください。
先生がわたしに冷たく接したことには、傷ついたこともあったけど、同情やうわべの優しさよりはずっとよかった。告白への対応だけはひどかったなと思っているけれど。
先生が信じないと、言葉だけが乱用されていると言った奇跡を、少しは信じられますか?
わたしが高校を卒業できたこと、今生きて、この手紙を書いていること、すべてが奇跡でした。先生に出会って起きた奇跡。先生にあの日出会えたことさえ奇跡でした。
あの日からわたしは、ずっとあなたを追いかけてきました。どこの誰かも知らないまま、あなたに恋をしました。今だって、先生がどんな人なのかほとんど知らない。
それでも、わたしはずっと変わらず、あなたに恋をしています。むしろ先生を想う気持ちは大きくなるばかりです。
先生は、絶対に公私混同しない人。一切、学校でプライベートをもらさない人。先生の授業は少しも雑談をまじえず、でもその代わり、わかりやすくせいぜんとしたじゅぎょうをしてくれる。
少しもすきを見せず、学校での先生の笑顔は、教師の顔でしかない。先生の、先生じゃないかおは何を考えているのか、少しも見えない。
だけどあなたは、とてもやさしい人。少しも知らない、とおりすがりの女の子に、そっと手をかしてくれるような。だからそれだけで、あなたを信じられた。
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