親愛なる先生へ③
落雷みたいだったと、雷が落ちるみたいに一瞬で恋をしたと言ったけれど、それが学校じゃなかったと言ったら、信じてくれますか? 先生のことを、もっと前から好きだったと言ったら、この恋は錯覚じゃなくなりますか?
学校で再会したことを奇跡と呼んだら、笑いますか?
先生と出逢った日のことを、わたしは鮮明に覚えています。高校二年生になる、春休みのことでした。
春を感じさせるひなたのあたたかさ。だけど同時に、午後からときおり、強い風が吹いていました。わたしは陽のあたるベンチに座って、ぼんやりとしていました。
その前日、わたしは高校卒業まで生きられないだろう、と余命宣告されたばかりでした。
幼い頃から入退院をくり返していて、ずっと病気とともに生きてきました。病院はいつも身近にあって、わたしにとって死は遠いものではなかった。一緒に入院している子がいなくなったとき、その理由が退院だけじゃないことも、子どもの頃から気づいていました。
たまたま自分じゃなかっただけで、自分だったかもしれない。次は自分かもしれない。だってあの子は、わたしと同じ病気だった。治らない病気であることも、わたしの命がいつも死ととなりあわせであったことも、わかっていました。
だから、わかっていたから、平気だと思っていました。だけどいざ自分の命があと一年ほどだと告げられると、何も考えられませんでした。
わたしが医師(先生と呼びたいのですが、わかりにくくなるのでこう書くことにします)から説明をされるとき、両親からは押し隠せない悲哀がにじんでいました。両親はすでに内容を知っていて、なおかつ、よくない話なのだと思いました。
検査の結果が思っていたより悪く、余命は一年ほどだということでした。余命一年と言われても、もっと長く生きた人もたくさんいる、というなぐさめのような話も聞きました。
両親と医師は、やりたいことはないかとわたしに問いました。それは、残された時間を好きに過ごせるようにする、という意味でしょう。いつも病気とともにあったわたしには、我慢しなければならないことがたくさんあったので、最期くらいはやりたいようにさせたいと思っていたのだと思います。
たとえば北海道に行きたいとか、山に登りたいなどと行ったなら、きっと叶えてくれたと思います。わたしは、病院で過ごすのではなく、普通の生活がしたい、と言いました。ほかの、普通の高校生がするような日常を過ごしたい。それはわたしが諦めていたことでもあり、両親が望んでいたことのように感じたからです。
体調が落ち着いたら、退院することになっていました。わたしは散歩もかねて外の空気を吸いに出て、病院の中庭にある、桜の木の近くのベンチでひなたぼっこをしていました。
普通の生活がしたい、とわたしは言ったけれど、本当はやりたいことが少しも思いつかなかったのです。あきらめることに慣れて、何かを望むということに不慣れでした。
だって、病気を治したい、生きたいという以上の望みなど、あるでしょうか。その望みのために、ほかの子がやっているたくさんの普通のことをあきらめてきたのに。その一番の望みが叶わないとわかった今、したいことなど少しもわかりませんでした。
それならばせめて、両親の望みをくみたかった。心配ばかりかけて、少しも普通の子のようにはなれなかった。だから、少しでもごく普通の高校生に近い日常をおくって、その姿を見せたかった。わたしが生きていて楽しいと思っているように伝わればいいと思いました。
このベンチはもうすぐ日陰になる。風もときおり強く吹いている。風は少し冷たい。このままでは看護師さんが心配して探しに来てしまう。そろそろ戻らなければ。そう思うのに、動けずにいました。
冷えてきた体をあたためようとストールをはおり直そうと広げたとき、強い風が吹きました。思わず手を離してしまい、ストールは風にあおられて宙を舞いました。風に飛ばされたストールは、思いのほか遠くに落ちました。
拾おうと立ち上がりかけたとき、誰かがわたしを制するように、そっとわたしの肩に触れました。
「待ってて」
その声は低く、男性のものでした。落ち着いた、優しい声でした。声の主はストールのほうへと歩いていきました。背が高く、若い男性のように見えました。
その人はストールを拾うと、大きく広げてごみをはらうようにばさっと一度はためかせました。こちらに戻りながらもストールをぱたぱたと振っていました。
わたしの前で止まったその人は、ふわりとわたしの肩にストールをかけてくれました。そのままひざまずくようにしゃがみ、わたしの顔をのぞきこみました。
「大丈夫?」
心の底から心配してくれるようなあたたかい声。その人の顔を見た瞬間、わたしは一瞬前とは変わっていました。
その人――あなた――に、恋をしていました。
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