真実はいつも冷たいものです!

 メガラが愛の逃避行に至るよりもずっと前、家出をしてニアに惚れた日にキノは早速アルゲンターヴィス伯に相談に行っていた。


「旦那様、大変です。メグお嬢様が」

「ああ、またデートの誘いでも断ったか? 全く、つまらない小説ばかり読みおって」

「現実の男に懸想いたしました」

「何だって!?」


 急遽、午後の予定を全てキャンセルしたアルゲンターヴィス伯はキノを伴って、例の男の元を訪れた。メガラにとっては突然現れた完璧な美青年であったが、キノとアルゲンターヴィス伯からすれば多少見てくれだけがいい軽薄な男であった。


「あの、伯爵様直々に一体どういうことでしょう……?」


 急に現れたアルゲンターヴィス伯に驚いた男に、キノがことのあらましを説明した。


「なるほど、それは確かに困りましたね……」


 伯爵令嬢に一目惚れされたと聞いて、男はまず困惑した。


「そうなんだ。我々はメグに対しては普通に社交の場に出てほしいだけで、無理な縁談も望んだりはしていない。それをあいつは『女が男に会うなんて不潔だ、政略結婚だ』と早合点するものだから……」


 事の発端は、メガラの上の姉の愚痴だった。メガラのごとく恋愛小説に夢中だった上の姉は、小説のように王太子に見初められ華々しい結婚をした。しかし、恋愛しか夢見ていなかった上の姉は王太子夫人としての振るまいに疲れ、更に王太子夫人になればもっとちやほやされるという目論見もはずれてすっかり「この結婚は失敗だった」と思い込んでしまった。


「下のお姉さんは……?」

「あいつは上の姉とはあまり仲が良くなかった。夢みたいなことばかり言っている姉が気に食わなかったのだろうな。堅実な相手を見つけて堅実な結婚をして、それなりにやっている。それが余計面白くなかったのだろう」


 上の姉は実家に来るたびに、まだ幼いメガラに事あるごとに「結婚なんてろくなものじゃない」「貴族になんて生まれるんじゃなかった」「どうせ私は道具なのよ」と吹き込んだ。伯爵夫妻がメガラの様子の変化に気がついたのは、茶会の知らせを破り捨てるメガラを見たときだった。


『こんなもの、私を権力の奴隷の見本にするつもりなんでしょう!!』


 驚いた伯爵夫妻は上の姉を問い糾した。上の姉のあることないことを含めた愚痴を散々に聞かされた伯爵夫妻は更に驚いて、すぐに王太子たちと家族会を開いた。その結果、ただ上の姉が寂しかっただけという結論になり家族会はなんとか平和的に幕を閉じた。この件はそれ以降、特に問題にはなっていなかった。


 しかし、メガラの心には上の姉の愚痴が吹き込まれたままだった。更にそれを煽るような小説ばかりメガラは読んでしまい、誰に対しても頑なになってしまっていた。


「それで、お嬢さんは小説の世界に閉じこもったのですね……」

「親として情けないが、このままでは結婚どころか人としてどうにかなってしまう」


 アルゲンターヴィス伯とキノはため息をついた。夢見がちなことが悪いことではないが、そのせいで周囲を見下して拒絶するような態度は一刻も早く改めてやらなければと思っていたのだった。


「それで、僕は一体何をすれば……?」

「そういうわけで、出来ればこっぴどく娘をふってやってくれないか。悪役を頼む形になって申し訳ないと思っている。それなりの礼も考えているから、是非」


 アルゲンターヴィス伯の申し出に、男は少し考えてからにやりと笑った。


「いえ、そういうことでしたら、一度徹底的に彼女を恋愛小説の世界に落としましょう。それから、徹底的に落とすところまで落とし込んで二度と小説の世界に戻りたいと思わせないようにしましょう」

「つまり、それは一度君が娘と恋仲になるということか!?」


 アルゲンターヴィス伯の声が上ずった。


「いえいえ、その気にさせるだけです。指1本触れない……とまでは行きませんが、娘さんの純潔については保証します」

「しかし、本当にその気にさせてしまってはこの後が面倒になりませんか……?」


 キノの疑問に、男は名刺を差し出した。


「それには及ばないと思われます。申し遅れました、僕はこういう者です」


 その素性を知るとキノは苦笑いを浮かべ、アルゲンターヴィス伯は咳払いをした。


「なるほど、これならお嬢様の百年の恋も一発で冷めますね」

「そういうことなら……しかし、本当に大丈夫なのか……?」


 アルゲンターヴィス伯は男をじっくりと見た。そして何故このような軽薄な男に娘が引っかかったのか理解できずにいた。


「お任せください……一応、プロですし、見てくれだけなら自信があるので」


 こうしてニアにより、メガラに本気の失恋をさせる即興の筋書きが作られた。男は素性を隠すためにニアという偽名を用いること。メガラがニアの元へ通いやすいようにすること。メガラの夜遊びには監視が同行すること。そしてメガラによからぬことをしないよう、店にはアルゲンターヴィス伯とキノがついてニアを見張ることが決まった。


 早速、うっかり変装用の服をキノがしまい忘れたことにして物語は始まった。最初は数か月ほどの時間がかかると思われていたが、思った以上にメガラがその気になっていたのでニアは物語の進行を早めた。


 あとはあれよあれよと駆け落ちの段階に進み、使用人たちに見張られながらニアはメガラを森の小屋まで運んだ。そこで待機していたアルゲンターヴィス伯とキノが姿を現してメガラに事の次第を説明した。


 こうして数日間に及ぶメガラの初恋は幕を閉じることになった。


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