第14話 この恋が世界を変える

 それから1週間後の夜――

 エレナはアマンに呼ばれて、いつもの応接間を訪れた。


「おお、来たな。待ったぞ」


 先客のアマンが気軽に応じる。


「一人で何できあがってるんですか!? 待っていないですよね!?」


 不満気にエレナは呟く。アマンのローテーブルには飲みかけのワイングラスに、食べかけのチーズなども満載で、先にお楽しみしていたのは明らかだ。


「ははは、すまない。いろいろとあったから……我慢できなくて、つい」


 コンコンとアマンが指先でローテーブルを弾く。この真新しいものに変わっているローテーブルも『いろいろとあったこと』のひとつだ。

「たくさん食材は用意した。まだまだあるから許してくれ」


 そう言いつつ、アマンが赤ワインをからのグラスに注ぐ。

 少し唇をとんがらせながら椅子に座ったエレナは、そのグラスに口をつける。


(あ、おいしい!)


 その感情だけで許せてしまう。優しいというよりは、もともと本気で怒っていなかっただけだが。

 アマンと顔を合わせるのもまた、1週間ぶりだった。

 あの夜のことは、あそこにいた3人以外、誰も知らない。少なくとも、エレナの認識では。

 不思議なことに、部屋の騒ぎは外に漏れていなかった。

 アマンの仮説によると、顕現した大悪魔グロリニアによって、この部屋が異空間につながったのではないか、とのことだ。正誤いずれにせよ、部屋の外にいた人間は誰も気づかったなった。それが事実だ。

 おかげで、意識を失っていたエレナたちは全員が目を覚ますまで待ち、口裏を合わせる時間ができた。アマンたちは負傷を隠して普通に生活し、衰弱したエレナは病状が悪化したと言う理由で休養を延長した。


 真相は闇に葬られた。

 全ては、和平に水を差さないため。


 何事もなく、世は常に平和である――それだけをアマンは望んでいた。


「それに信じてもらえないだろう」


 ワインを飲んでから、少し酔った目でアマンが続ける。


「まさか大悪魔グロリニアが蘇ったなんて」


「本当なんですか、それ?」


 アミュレットの呪いが解かれた時点で気を失ったエレナは、いまだに信じられない。

 だが――記憶がなくても妙な感覚はあった。

 それは確かに蘇った、そんな確信が心の奥底にあるのも事実。それ以上に不可解なのが、それが死んだ、という確信もあることだ。


(なんなの、これ? 意味わかんないんだけど)


 1週間前に早口でまくしたてられた歴史偉人物語みたいな展開が、当時のぼうっとし頭に変な形で浸透して、妙な尾鰭背鰭を勝手につけてしまったのだろう、そんなふうに思っている。


「本当だよ。これでも必死に戦ったんだから」


「顛末ってどうなったんですか? 助かったってことは、アマン様が倒した?」


 1週間前は、グロリニアが出た、ということしか聞いていなかった。

 アマンは微妙な表情を作って首を振った。


「……わからん」


「は?」


「残念ながら、私はグロリニアに勝てなかった。顔を踏みつけられて、死んだ――そう思ったんだがな」


「……どうなったんです?」


「気づいたら、部屋を覆っていた闇が晴れていて、グロリニアの姿が消えていた」


「ううむ……」


 実にミステリー!


「どこかに逃げたとか?」


「私たちを殺す気満々だったからなあ……殺さずにどこか行くとは思えない」


「ですよね……」


 少し迷ってから、エレナが続ける。


「実はですね、なんか……こう……グロリニアは死んだ! って実感があるんですよ」


「気のせいだ」


「えええええええええええええええええ!?」


 綺麗に一蹴された。ひどい。


「そうなんですかねえ、なんか、すごくそんな気がするんですけど」


「気絶していただろ?」


「……実は薄目を開けて無意識に見ていたとか?」


「自分でも信じていないことを言うんじゃない」


 はい。


「……ただ、死んだ可能性は高い。角だ」


「角?」


 あの日、部屋を出るとき、アマンが見覚えのない角を回収していたことをエレナは思い出す。


「ああ……あれってなんなんですか?」


「グロリニアの角だ」


「ひえええええ!? そんなの、持っていて大丈夫なんですか!?」


「とはいえ、適当に置いておくわけにもいくまい」


「そりゃそうですけど」


「角とは悪魔にとって己のアイデンティティのようなものだ。退くにしても、角を放置していくとは思えない」


「なるほど、確かに」


 エレナはいくつかの偉人伝記を思い出す。そこ出てくる悪魔たちは、これ見よがしに角を誇示したり自慢していた。


「だから、死んだと考えるのが妥当だろう」


「私の直感が当たった!?」


「たまたまだ、たまたま」


 なかなかにアマンの評価は渋い。


「疑問は何も解決していない。グロリニアが倒されたとして――何者がそれを成したのか」


「……なにか、こう……気になることがあったりしますか?」


「気になること……?」


 アマンは遠くを眺めながら、しばし思案に暮れる。


「……そうだ。金色の光を見た」


「金色の光?」


「ああ、気を失う直前、まるで太陽のような輝きを見たような気がする」


「ふぅん……黄金の輝き……」


 記憶の海をフラフラと漂ってから、その言葉は自然とエレナの口からこぼれた。


「聖女ですか?」


 聖女とは、神に選ばれた女性がなる伝説的な存在。そんなわけで多くの逸話が残されているが、いずれも派手な黄金の輝きを纏っている。


「まあ、聖女なら……グロリニアを倒せたとしてもおかしくはないが……どこに聖女がいた?」


「あの場にいた女性は――」


 エレナは、あっと声をこぼして自分を指差す。


「私?」


「いや、ないだろ」


「ですよねー。私も違うと思いますよ。ただの小聖女ですからねー」


 自分でも、ないない、と思いながら、エレナは笑った。絶対にないから。歴史好きの変人令嬢が聖女とか、もう絶対に。あり得ないって。ないない。わかってるから。もうね、ほんと。パチモンの小さい聖女がお似合いですよ、ええ。


「大変だったけど、何事もなく終わって良かったですね」


「そうだな」


 応じつつ、ワインを口にした後、アマンが思い出したように続けた。


「ラフバーン伯爵が死んだよ」


「え?」


 ラフバーン伯爵――エレナが『セフォンの小聖女』などと言う小っ恥ずかしい二つ名を頂戴するきっかけを作ったやさぐれ貴族だ。

「突如、半狂乱のような状態になり、暴れ回った末に泡を吹いて死んだらしい」


「それって」


「呪い返しだな」


 ――呪いというものは無効化すると返るんだ。呪いを仕掛けた張本人のもとへと。

 そんなことを、アマンは言っていた。


「知らなかっただろうが、七罪の呪いだ。代償が死であっても驚きはない」


「……ううむ……綺麗事を言うと、何も死ななくても良かったんじゃないかと」


「本音は?」


「ざまあみろ! までは言いませんけど! セフォンでの尻拭いをしてあげた私にそこまでやるとかちょっと根性腐りすぎてませんかね!?」


「君には、それくらい言う権利はある」


 くすくすくす、とアマンが笑う。


「ただ、伯爵が亡くなったところで、問題は何も解決していない点は残念だ」


「そうなんですか?」


「目標は、私を害して和平への道を閉ざすこと。伯爵の器は主犯足り得ない。あなたから見て、それほどの男だと思うか?」


「いえ、全く」


 ためらいはなかった。ラフバーン伯爵がそれほどの器であれば、ナメクジでも世界征服できるだろう。


「その通り。しょせんは末端であり、使い捨てだ。何も問題は解決していない。和平を望まぬものはいて――宣戦布告はなされた。それだけだ」


 室内の空気の粘度がじわりと高まった気がした。

 和平への道の険しさ、遠さを改めて感じてしまう。


「不安か?」


 エレナの心中を慮ったかのような言葉だった。


「うーん……ないと言えば嘘になります。現に大変な目に遭いかけましたから」


「だったら、降りるか?」


 口元に冗談だよ、という笑みを閃かせているが――

(ああ、でも、たぶん冗談じゃないんだな)


 短い付き合いだけど、もうそんなこともわかってしまう。

 今回の件、アマンには負い目がある。もしも、エレナが「もう無理!」と言えば、きっと引き留めることなく家に帰してくれるだろう。

(昔は、それを願っていたのだけど)


 少しばかり気が変わった。

 怖さもあるけれど、なんとなく終わって欲しくない。そんなふうに思える。

 歴史の分岐点に立っているから?

 それもあるだろう。

 だけど、それだけじゃない。

 目の前に座っている、少し酔うと妙な色気のある男から目が離せなくなっている。

 だから、次の言葉を口にするのは、それほど勇気が必要なかった。


「乗りかかった船ですから、まだ降りるつもりはないですよ。あ、でも、大きな嵐が見えたら逃げますけど」


「うん」


 少しホッとした様子のアマンに向けて、エレナは言葉を続ける。


「あと……言い忘れていました。本当に、ありがとうございます」


 エレナは頭を下げた。


「うん?」


「呪いに襲われたとき、助けてもらって。グロリニアに襲われたときも、見捨てずに助けてくれて」


 それは当たり前のことではないのだ。

 わざわざ労を惜しまずに動き、命を賭けて助けてくれた。その行動の尊さは決して当然だと思ってはいけない。


「実に骨を折った甲斐がある。そうだ、なら褒美をもらえないか?」


「ほ、褒美……?」


 その言葉を聞いた瞬間、エレナは内心で感情を熱くさせた。英雄譚で男が女に望む褒美――といえば、キスだと相場が決まっている。

(いやいやいやいや、まだ早い! まだ早い!)


 アマンがニヤリと笑う。


「キスをねだられるかと思ったか?」


「思っていません!」


 実際は、むっちゃ思っていたけど。


「安心しろ。それはまだ望まない。それより敬語をやめにしないか?」


「ええええ……」


 ググッと心理的な負担が重みを増したのをエレナは自覚した。


「いや、無理ですよ。あなた殿下ですよ? あなたがいい、と言っても周りのみんながどう思うか……身分の差もわきまえない、調子に乗った女みたいに思われるの、嫌です。アマン様の格も下がります」



「ああ、なるほど……」


 少し考えてから、アマンが切り返す。


「であれば、この部屋で話している間だけなら、どうだ?」


「この部屋……?」


「他人の目はないが?」


「ううむ……」


 それならば、確かに懸念はない。心を落ち着かせて、すーはーすーはーと呼吸を整えてから、えいや! と覚悟を決めて言葉を発した。


「そ、それなら……別に……いいかも………………です」


「です、はいらないだろ?」


 大笑いしてから、アマンがこう言った。


「アマン、と呼んでみろ」


 ええい、どうにでもなれ! そんな気持ちになってきた。淑女にふさわしくない勢いでワインをあおる。酔いだ! アルコールの力を借りて! アルコールよ、力を貸して!


「……アマン」


「もう一度」


「アマン!」


「もう一度」


「アマァァァァァァァァァン!」


「よろしい。できるじゃないか?」


 本当に楽しそうな様子でアマンがへらへらと笑っている。絶対にこいつも酔っ払っているだろ、そんなことをエレナは思った。


「この部屋では、私たちは対等で、タメ口だ。わかったか?」


「ソレデ……ヨイ……」


「……カタコトになっているが?」


「仕方がないでしょ!? 本来なら敬語で喋らないとダメな相手なんだから!? 無理してるの!」


「やればできるじゃないか? わははははははは!」


 本当におかしそうに、アマンが笑う。圧倒的な酔っ払いである。


「ふむ、まず和平への第一歩か。ともに頑張ろう、エレナ」


 アマンが差し出したグラスに、エレナは自分のグラスをあてる。ちぃん、と美しい音色が響き渡った。


(和平への第一歩か……)


 悪魔とか貴族の陰謀とか出てきているが、そもそもエレナが引っ張り出された発端は『敵で王国民を食べるグプタ皇国民と仲良く暮らせることを証明するため、アットホームな家庭を作りましょう!』という無茶苦茶なものだった。

 ゴールは、二人のラブラブで幸せな結婚生活――

(頭が痛くなってきた……)


 ラブラブとか、歴史の書物に埋もれてエヘエヘ笑っていた自分にとっては遠い言葉だ。

 だけど、当面はそのゴールを目指すことになる。


(うええええ……経験値ゼロなんで、困るんですけどおお……)


 だけど、始まった頃よりも気構えできている自分がいるのも事実だ。

 目の前にいる男性を頼もしく思い――少しばかり、本当に少しだけだけど愛おしく思っている自分にも気づいている。

 それはきっとまだ恋ではないけれど、恋の種くらいなのは認めるしかない。

 育めば、いつかは大輪の花が咲くのだろうか。


(おじいちゃんおばあちゃんになって仲良く暮らしたましたとさ、か……)


 その先に、憎しみあった二国の和平があるのだろうか。

 エレナは思う。

 この恋が世界を変える――

 私たちの願う、明るい未来がつかめますように。





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6万字制限の「世界を変える運命の恋」中編コンテスト応募作品なので、ここで終了となります。


お読みいただき、ありがとうございました。



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和平のために結婚ですか? 〜意外と優しくて強い王子に気に入られています〜  三船十矢 @mtoya

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