第13話 そこに光が顕現す

「――惜しかったなあ……」


 グロリニアが笑い声をこぼす。

 その首は半ばを断ち切られていたが、それだけだった。貫くべき逆鱗は寸毫の差で届いていない。

 瞳と髪の色が急速に黒へと戻っていく。真紅の刃が砕け散り、普通の短剣へと戻る。


「くっ!?」


 逃れようとするよりも早く、グロリニアがアマンの腕をつかんだ。力を出し尽くしたアマンに以前ほどの機敏さは残されていなかった。


「捕まえたぁっ! あっはっはっはっは!」


 グロリニアが顔を前ににゅっと突き出し、アマンの目を覗き込む。


「面白い……ああ、お前は血の力が使えるのか……ラグージャの末裔どもか。くくく、残念だったな、もう少しで仕留めきれたのに。喰らっている血の量がもう少し多ければ、逆鱗を貫くことができたかもなあ……」


 ひひひはははは、と笑ってから、グロリニアが続ける。


「だが、届かなかった……お前の勝機は潰えた」


 直後、アマンの体が無重力感を覚えた。

 あっと思った瞬間、視界の下にグロリニアが立っていた。まるで折れた木の枝でも振り上げるかのような気軽さでグロリニアがアマンを振り回したのだ。


「終わりだ」


 床が近づく。

 ごっ、と音がしてアマンの体が激突した。


「……ぐあっ!?」


 叩きつけられた衝撃で肺から空気が逆流し、激しい痛みを覚える。それだけではない。まるで全身がバラバラになるかのような衝撃が走った。


「うぐ、あ……」


 もう限界だった。

 そもそも、グロリニアが現れる前に行っていた呪具の解除作業に膨大な魔力を使っていた。その上で、最後の大勝負まで神経をすり減らす接戦を挑み、最後の最後に死力を尽くした一撃を放った――

 肉体にも精神にもひとかけらの活力すら残っていない。

 意識が、急速に闇へと落ち始める。


(……ここまでか……)


 視界の端に、ソファで横たわるエレナの姿が見えた。


「……すまない、どうにも情けない有様だ……」


 小声でつぶやく。

 アマンの顔に大きな影が差した。グロリニアの足だ。


「我が足底の染みとなる栄誉をくれてやろう。死ね――」


 足を上げて、下ろす。

 急速に迫る死の気配を感じながら、アマンは意識の手綱を手放した。刹那、黄金の何かが見えた気がしたが、それだけだった。

 その光景は、決して死の前の幻視ではなかった。

 まさに踏み潰さんと振り下ろされたグロリニアの足元に黄金の盾が出現した。


「うおおお!?」


 黄金の盾に遮られて、踏み込みを弾かれたグロリニアは大きく体勢を崩す。


「な、なんだ、何が起こった!?」


 部屋を見まわしたグロリニアが異変に気づく。

 さっきまでソファで倒れていた女性――エレナが上半身を起こしていたのだ。桃色だった髪を黄金の色に輝かせて。緑色だった瞳も黄金に輝き、じっとグロリニアを見ている。

 その小さな口が動いた。


「……暗黒の淵に生きる哀れで穢れた生物か。どうりで空気が臭うと思えば」


 その声は平面で、感情が希薄だった。声だけではない。表情もどこか遠くを見ているかのようだ。


「なんだ、お前は!?」


 イラついたグロリニアが敵意をエレナに向ける。最初に殺すのはアマン――そんな己の言葉など忘れたようだった。

 グロリニアは、切断された腕の断面をエレナに向ける。


「消えるがいい!」


 怒りの声とともに、切断面が刃のように尖り、まるで放たれた大砲のような速度で腕が伸びる。

 エレナはこともなげに、先端の刃を光り輝く手でつかんだ。刃は鋭く、万物を切り裂くほどなのに、むしろエレナの指は刃に食い込んでいる――否、灼いている。耳障りな音とともに白い煙を立てて。

 悲鳴が響き渡った。


「ひ、ひぎいいいいいえええええあああ!? こ、これは、この力は――!?」


「誰に口をきいている? 地を這いずり空を見上げるだけの獣が太陽に唾を吐くか?」


 エレナがぶん、と伸びた腕を引っ張り寄せる。

 耐える余裕すらなく、グロリニアは転がるようにエレナの前に崩れ落ちた。

 その顔には、大悪魔であれば経験することのない感情――

 恐怖がこびりついていた。


「あ、あ、あ、お、お前は――」


 エレナはグロリニアを無視して、鼻先から伸びている角をつかむ。


「お前たちは角がご自慢だったか。身に合わぬ虚栄など捨ててしまえ」


 べきり。


「イギエアアアアアアアアアアアアアアア!」


 鼻を手で抑え、グロリニアが床を転がる。


「お、お前は、ま、ま、さか……黄金の髪、黄金の目――間違いない! 聖女、聖女なのか!? 狂人に仕えるイカれた売女!」


「我らが主人あるじへの侮辱――万死に値する。どれほどの罪を重ねるつもりだ? お前は息をするだけで、声を発するだけで摂理に背いているというのに。ああ、穢らわしい。ああ、赦しがたい。不愉快な醜態を私の網膜に映すな。もういい――」


 エレナが角を投げ捨てる。

 その瞬間、エレナの周囲に無数の『光点』が現れた。


「静かに消えろ、下郎」


 言葉と同時、光点から連続して光線が射出される。

 光線が当たるたびにグロリニアの体は消滅した。まるでそこに何もなかったかのように、ぽっかりと穴があく。

 存在がかき消えていく恐怖から逃げるように、グロリニアが絶叫した。


「はっ、はっ、はあああああああ!? うぎゃあああああ! 死にたくないいいいいいいいい!」


 膨大な光に飲まれて、あるいは食いつぶされて、七罪グロリニアは消え去った。

 無音。

 直後、闇が急速に晴れていく。

 元に戻った部屋で、己の周りの光を閉じたエレナは倒れているアマンに気がついた。

 エレナの瞳に宿るのは――

 深海の最果てを思わせるほどの、暗く沈んだ嫌悪感だった。


「……ああ……ここにも腐臭を放つ生き物がいたか……」


 一歩、二歩と近づいていく。

 意識を失ったアマンは微動だにしない。

 アマンのかたわらにエレナは膝を落とした。その右手に光が灯る。


「お前たちもまた存在そのものが不快であり、主人への冒涜。是非もなく、慈悲もない。今すぐ消えてしまえ」


 光をアマンの顔に近づけ――

 その手が止まった。

 ぶるぶると震えて動かない。まるで、別の意思がそれを遮っているかのように。


「なぜ動かぬ? なぜ拒否する?」


 理解できないようにエレナがつぶやくと、その光が消えた。ぐらりと上半身が大きく揺れる。


「……ここまでか。次はより多くの掃除をしよう。全ては光ある我らが主人のために」


 エレナの体が力を失って床に崩れ落ちた。

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