第12話 そこに闇が顕現す
部屋の中には、新たな存在が出現していた。
身長は2メートルを超えていて、ボロボロの黒いローブを羽織っている。剥き出しの首から上はトカゲ――いや、ドラゴンのそれだった。長く突き出た口の上に大きな角が生えている。
その周囲はさらに暗く濃く、まるで闇に浮かび上がっているようだ。
アマンはエレナの言葉を思い出す。
――ドラゴンの姿をもつ大悪魔グロリニアがこの地に呪いを振り撒き……。
「まさか、グロリニア……なのか?」
「その通りだ、愚かなるものたちよ。お前たちのおかげで、長い長い封印から解き放たれた」
「封印……どういうことだ……?」
「我は封印されていたのだ。その蛇のアミュレットにな。お前が力を無効にしてくれたおかげで、封印を解くことができた。素晴らしい、誇っていいぞ。この我を甦らせた名誉と――古代の叡智の結晶を無力化した己の技術の高さを」
「封印されていた……? あそこに……? どういうことだ!?」
「ははははは、教えてやろう。我は憎っくきロクサーヌに敗北し、あのアミュレットに封印された。精神に干渉し、我を無力化する魔道具――内側から破壊することができない。ゆえに我は一計を案じた。内側の我を抑圧する力を反転させ、他者の精神に干渉する呪具とした。その力を嫌い、破壊するものが現れることを期待してな」
そう言って、グロリニアの目が細まる。その視線の先にいるアマンを嘲笑うかのように。
「だが、このアミュレットを破壊できる使い手がいなかった。我をも封じる力を持つほどの魔道具――あまりにも高度ゆえに、凡愚にとっては解くこと能わぬ謎解き。だが、それをお前は看破してやり遂げた。実に素晴らしい技量だ! 愚か者ではあるが、天賦の才であることは認めよう!」
ふふふ、と小さくアマンは笑ってしまう。昔の物語の曖昧さには困ってしまう限りだ。
(エレナの語っていたし実と違うじゃないか。グロリニアを倒した、なんて書かないでくれ!)
アミュレットに封印したと正確に書いておいてくれれば、もう少し警戒しただろうに。
(だが、物語の大筋は事実だった。もっと注意深くあれば……やれやれ、我が婚約者の知識は無碍にしてはならないな)
ソファで気を失っている女性に視線をやり、アマンはそんなことを思った。
「私は見事に踊らされたと言うわけか。……何か報酬をもらえたりするのか?」
「この私に殺される栄誉をくれてやろう」
グロリニアから発せられる圧が数倍に膨らむ。
それを切り裂くような声が響いた。
「黙れ、痴れ者が!」
ムクタカだ。
腰の剣を抜き放ち、グロリニアへと飛び掛かる。裂帛の気合いとの気合いとともに繰り出された斬撃がグロリニアの肩に直撃する。
耳が痛くなるような金属音が響いた。
「うおっ!?」
強固な鱗に傷ひとつつけられず、ムクタカの剣は大きく弾かれた。高々とジャンプして、全体重をかけた一撃を持ってしても――
ムクタカが着地する。その腕は痺れているようだった。
「なんという、固さ!?」
「はははは! ロクサーヌの剣すら弾いた鱗に、お前ごときの刃が通るとでも!?」
グロリニアが左手で一打ちする。動揺していたムクタカは回避する間もなく攻撃をくらい、吹っ飛んだ。床をゴロゴロと転がり、動かなくなる。
グロリニアの目がアマンをとらえた。
「安心しろ。最初に殺される栄誉はお前のものだ。あれはまだ死んでいない」
ずっとグロリニアが踏みよる。
「まずはお前を殺し、続いて、そこの女を殺し、それからあいつを殺してやろう……終われば、この家の連中全てを殺す」
「そうか。ならば、私が死ななければ誰も死なないわけだ」
アマンは腰から短剣を引き抜き、構えた。
そんなアマンの足掻きをグロリニアが嘲笑する。
「短剣1本!? そんなものでどうするというのだ!」
鱗に覆われたグロリニアの腕が、強靭な手刀を放つ。
アマンが短剣を閃かせ、切り払おうとする。
結果は簡単に予想できた。無慈悲な一撃が短剣を打ち砕き、そのままアマンの胸を貫く――
だが、そうはならなかった。
「ぐおっ!?」
グロリニアの手刀の軌道が逸れた。手首の部分にはざっくりと穴のような傷が走っていた。悪魔は傷を負っても血が出ない。
「我の鱗を!?」
「お前は言ったな。私の付与術が特級品だと。この短剣は、その私が技巧を凝らして作った最高級品――私だけにしか扱えない」
アマンが短剣を構えてみせる。短剣の刃を脈動する赤いオーラが覆っている。
「1000年前から人類の技術も進んでいる。いつまでも無敵の防具だと調子づくなよ?」
「こ、この我の体に傷ぉぉぉ……調子に乗るな!」
激怒の声とともにグロリニアが攻撃を開始した。
それを巧みにかわしつつ、アマンは小刻みに切り付けていく。状況は自分のほうが優位――などとアマンは全く思わなかった。
(一撃でももらえば終わりだからな……)
そして、それだけではない。
(この程度の攻撃をどれだけ積み重ねても、グロリニアを倒すことはできない)
蚊がどれだけ人を刺そうとも、それだけで人を死に至らせないのと同様。
事実――重すぎる事実が時間とともに積み重なる。
絶望して諦めに至るには充分だが、なぜだろう、不思議なことに闘争心は衰えない。生存本能ゆえ? 違う。それ以外の何か。そして、それは悩むまでもない。
(……こうも心にひっかるものなのか……)
少し不思議な気分でアマンはエレナの顔を思い返す。
王子として数々の美女と面識があるが、彼女ほど、ともに時間を過ごしたいと思ったことはない。過ごした時間は短くても、まだまだ長く話していたい、ずっとこんな時間が続いて欲しい、そんなふうに思える。
なぜだろうか、とアマンは考える。
(馬が合うというやつなのだろうか)
少なくとも自分にとっては。彼女がどう思っているのかわからないが。
だが、大事なのは己の心だ。
彼女を、彼女との時間を大切にしたい。
ここで負けるわけにはいかなかった。始まりかけた何かをここで終わらせたくはない。きっと、もっともっと楽しいことが続くだろうから。
だからこそ、負けたくない。
彼女のためにそう思えるのは、なかなか愉快なことだ。そんな気持ちが湧き上がるだけでも、己の心が興味深い。
「ああ、無様な姿は晒せないな!」
短剣を一閃、グロリニアの攻撃を弾き返す。
残念なことは、一つだけ。おそらく今こそが、男を見せるとき、であろうけども、肝心の本人が気を失っていることだ。
(……残念だが、仕方がない)
だが、彼女が守れるのであれば、それでいい。無事に終わった後、笑い話のタネになればいい。
「足掻くな、雑魚が! お前に勝ち目はない! 我が供物としてさっさと死ね!」
グロリニアが怒りを吐き出す。
その言葉を聞いて、アマンは口元に閃きそうになる笑みを浮かべそうになるのをこらえた。
(……いいや、勝ち目はある!)
切り札はある。だが、それを叩きつけられるのは一度だけ。だから、アマンは注意深くその瞬間を待っていた。ただ一瞬の勝機をつかむために。
「いい加減にしろ、ゴミが!」
怒りのあまり、グロリニアの攻撃が大ぶりになる。
隙が見えた。
待ちに待っていた隙が。
「おおおおおおおおおおお!」
吠えると同時、アマンは己の全てを解放した。
瞳が赤くなり、髪が赤くなる。己が過去に取り込んだ、血の力を解放する。
握っている短剣もまた、その急激な変化に応えた。短剣を覆っていた赤い輝きが伸びて、普通の剣と大差ない長さとなった。
「な、そ、その力は!?」
グロリニアは驚愕しながらも、振り下ろした腕を止めることができなかった。
「ふっ!」
息を吐きながら、アマンが赤き剣を振り上げる。
それは狙い違わず、グロリニアの右腕を容赦なく切り飛ばした。漆黒の切断面が覗く。
「ぐおお!?」
痛みを存分に味合わせるつもりもなかった。
(次で仕留める)
赤き剣を構える。切先の延長上には、首元にあるたった一枚の逆向きの鱗――逆鱗。
エレナの言葉を思い出す。
――弱点である喉元の逆鱗を攻撃して、ロクサーヌはグロリニアを倒したそうです。
(ああ、本当に、私の婚約者の博識には恐れ入る!)
アマンは踏み込み、剣を一直線に喉元へと走らせた。
「七罪をも倒してみせると豪語した以上、負けるわけにはいかない!」
でなければ、目覚めた彼女にどんな顔を見せればいい?
情けない自分を見せるつもりなどない!
炎のごとき赤刃が走り、グロリニアの喉を切り裂いた。
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