第11話 歴史の闇は深く――七罪グロリニア
「さて、エレナ――今夜は寝かさないぞ?」
「……何を言っているんですか?」
いったん別れた後、エレナとアマンは夜になると再び応接室で顔を合わせた。傷つき、ひっくり返されていたローテーブルももとに戻っているので、部屋の内装としてはいつもと変わりない。
「冗談だ冗談。今晩はこれの対処を行う」
そう言って、アマンがローテーブルに、己の尾を咥えた蛇のオブジェクトを置いた。
「……なるほど、だからですか……」
ちらり、とエレナは応接室における唯一の異物に視線を向ける。部屋の端には帯剣したムクタカが空気のような存在感で起立していた。
夜の談話において、ムクタカを連れてくることはないのだけど。
「そんなに危ないのですか?」
「何事にも用心は必要だ。リスクを軽んじる男でありたくない」
「で、私の役目は?」
「特にない」
「ない!?」
「どちらかというと、私の目の届かないところに置いておくと何をしでかすかわからないから」
「子供扱い!?」
「いや、どうだろう。ここで私がカッコよく仕事をこなす様子を目に焼き付けて欲しいから――恋人扱いだな」
「からかうのはやめてください!」
「ふふふ……ま、興味深いものを見ると思って、ゆっくり観覧してくれ。眠くなったのなら、そこで寝てくれてもいい」
アマンが大きなソファを指差した。
「少し長くなる。気にしないでくつろいでいてくれていい」
「本気でくつろぎますからね?」
ソファに移動してから、エレナが別の話題を続ける。
「……実は少し思い出したことがあるんです」
「ほう? それは?」
「そのアミュレットについてです」
エレナが、蛇のオブジェクトに目を落とした。丸まった蛇の中央で、漆黒の宝石が鈍い輝きを放っている。
「それって、1000年前の英雄ロクサーヌが使ったやつじゃないですかね?」
そう、それが初見のときに引っかかった理由だった。
見覚えはないけれど、私はこれを知っている――そんなふうに思ったのだ。すぐには思い出せなかったけど、ロクサーヌに思い当たったとき、あっ! という感触があった。
「1000年前とはまた壮大だな」
意表をつかれた様子でアマンが口元を緩める。
「それで、そのロクサーヌとやらは何をしたのだ?」
「現世に顕現せし大悪魔――七罪グロリニアを封印しました」
「七罪……昼に話した単語をここで聞くとはな」
一拍の間を置いてから、アマンが続けた。
「詳しく聞かせてくれ」
「大昔なので大雑把にしか語られていないんですけど――」
思い出しながら、エレナが話を口にする。
「1000年前、ドラゴンの姿をもつ大悪魔グロリニアがこの地に呪いを振り撒き、多くの人々が病に倒れました。このままでは全ての人間が死に絶えてしまう。そこで女神の啓示を受けた魔法戦士ロクサーヌが仲間たちとともに立ち上がりました。グロリニアと対峙したときに使ったアミュレットが、ちょうどこれと同じデザインだったはず」
己の尾をくわえた、円環の蛇。そして、その中央には宝石が輝いている――
こんな特徴的なデザインが、たまたま揃うことはあるのだろうか?
「ただ、ひとつ違う点があるんですよ」
「……それは?」
「宝石の色ですね。作中では炎のように真っ赤に輝いていると書いているんですけど……」
目の前にあるものは、明らかに漆黒の色だ。
この違いはなんなんだろうか?
「ふぅむ……興味深い話だ」
少し考えてから、アマンが尋ねる。
「で、英雄ロクサーヌとグロリニアの戦いの
「ドラゴンの鱗は強固で苦労したそうですが、弱点である喉元の逆鱗を攻撃して、ロクサーヌはグロリニアを倒したそうです。アミュレットの効果は――グロリニアを弱らせたそうです。その力を大きく減じた、と」
「もう少し詳しく話せるか?」
「……それくらいしか書いていなかったんですよ……」
なかなか大きな出来事だと思うのだが、大昔のことなので、サラッとしか書かれていない。神話の物語が10行くらいで世界創生しちゃう勢いのアレだ。
(……だからこそ、自分の妄想をもとに細々と書いた文章で血肉を通わせる余地があるのだけど!)
そこが、この趣味の醍醐味よ! そんな場違いなことをエレナは思った。
「ふむ……」
一方、アマンは真剣な表情で考えを巡らせている。
「同じデザインということに関しては、問題にはならない」
「え?」
「後世の誰かが、あなたと同じようにロクサーヌの物語に感銘を受けて、同じものを再現しようとしたとしても不思議ではない」
「あ」
「だけど、それはそれで気にかかるな。なぜ、宝石の色を黒にしたのか……感銘を受けて再現したならば不思議な話だ……」
アマンが視線を落として、じっと漆黒の宝石を眺める。宝石は応えない。ただ、その黒がまるで瞳孔のように、アマンの視線を受け止めているだけ。
「逆に、本物ならば、それはそれで話が合わないな」
「……はい」
呪いとは悪魔の領分だとアマンは言っていた。このアイテムが他者を呪う呪具であるのなら、関係が逆だ。英雄ロクサーヌが悪魔グロリニアに使うのではなく、悪魔グロリニアが英雄ロクサーヌに使っているべきなのだ。
(……ロクサーヌが呪いのアイテムを使った? そして、グロリニアが弱った?)
それでは話があべこべだ。
伝えられている歴史そのものが完全な作り話なのだろうか?
(大昔の話だから、ありえなくはないけれども……)
それはそれで腑に落ちないのだけど。
「……第三の可能性として、たまたま似たデザインになった、というのもあるか。1000年の時代は長く、人の想像力は思ったよりも幅がない――」
ふふふ、と笑ってから、アマンが首を振った。
「いずれの話も興味深いが、成すべきことはひとつ……この呪いを解くしかない」
「……そうですね、そう思います」
「興味深い考察だ。問題を片付けてからゆっくり話そう。実に楽しみだ」
短い付き合いではあるが、アマンが愛想ではなく本気でそう言っていることがエレナにもわかっている。
自分と同じ世界を楽しもうとしてくれている――そのことがエレナには新鮮だった。
誰にも理解してもらえない趣味だったから。
古くさい、女の子らしくない――そんなことをよく言われた。その行き着いた果てが変人令嬢だ。別にそれでいいや、なんてエレナは思っていたけれど、こうやって理解を示してくれる存在は心に染みる。
そんな良き理解者が、同時に潜在的捕食者であるのは難だけど。
「さて、始めよう……しばらく集中するから、話しかけないで欲しい。本当にその辺で、適当にゴロゴロしていていいから」
アマンが呪具の解除作業を始めた。
作業そのものは淡々としていた。アマンが指先を呪具のどこかに指を当てて魔力を展開すると、青白い矩形が現れる。その四角の中にはなんだかよくわからない模様が描かれていた。
「これが、付与術で構築された魔力回路だ。これを変更して無力化するんだ」
アマンがそう言って矩形内の模様に触れる。彼が言うところの『変更』を施しているのだろう。それが終わると、別の場所に指を当てて別の魔力回路を呼び出す。
「なんだか丁寧にやっているように見えるんですけど……再起不能にするのなら、ぐちゃぐちゃ〜とやっちゃったらどうですか?」
「ふふふ、我が婚約者は実に大雑把な性格だ」
「悪かったですね!?」
否定はできない。本人にもその自覚はあるから。
「呪いも壊れてくれればいいが――逆に呪いが乱れて暴走するかもしれない」
「あ」
「何がどう転ぶかはわからない。蝶の羽ばたきが僻地で竜巻を起こすこともある。慎重に慎重を期して、正しく変更を加えていく。そうでないと結果を保証できなくなる」
そう言われてしまうと、あとは作業の無事の成功を祈るしかない。
じっとエレナはアマンの作業を見つめていた。
それは興味深いけど、ある種の退屈な時間でもあって――そのはずなのに、エレナは眠気を催す余裕もなかった。
(……あれ?)
不意に視界のブレを感じた。続いて、意識がくらりと遠のいていく。
「え、あ……?」
倒れ込みそうになった己の体を、エレナはソファに手をついて支える。気がつくと体が汗ばんでいる。部屋が暑い? 違う。体の芯が熱い。思考が朦朧とした。
「ええと、あれ?」
はっ、はっ、はっ……と荒い息を吐く。アマンが手を止めて、鋭い視線をエレナに向けた。
「やはり、来たか」
「……あの……ひょっとして……修正をミスっちゃったとか?」
それは呪いが増幅したとか?
アマンは首を振った。
「いいや、違う。正しく作業は進んでいる。だからこそ、だ。言ってみれば、呪いの悪あがきだ」
「わ……悪あがき?」
「もうすぐ無力化されてしまうから、精一杯の抵抗として力を全開にしているんだ」
なんという、大迷惑!?
「それが、あなたをここに呼んでおいた理由でもある」
「……わ、私は……ど、どうしたらいいんですか?」
「耐えてくれ。少しでも早く――こいつにトドメを刺すから」
「はい……!」
エレナは己を奮い立たせるために、うっすらと笑みを浮かべる。
だけど、それはただの体調不良ではなかった。相対するは深き深淵。エレナの意識そのものを飲み込もうとする暗黒だ。
――殺せ。殺せ。食べられる前に殺せ。その卑しき蛮族を殺せ。
懸命に作業を進めているアマンの姿に憎悪が重なる。憤怒と殺意も。
「あ、あ、あ、ぐ……」
取り込まれちゃいけない!
歯を食いしばってエレナは堪えるが、しかし、それは一個人では抗うにはあまりにも重すぎた。
エレナの精神に大きな亀裂が走る。それはエレナすら覗いたことがない、心の最奥にまで届いていた。
――殺せ。殺せ。殺す。殺す殺す殺す。
殺す。
そんな言葉がエレナの心を侵略する。崩れていく自我の中で、エレナは海底のように暗く沈む己の心の奥底で『輝く何か』が開くのを見た。
闇の中で浮かび上がる、黄金に輝く瞳を。
(あ、あ、あ……あ、あれは……?)
耐えきれなくなったエレナの意識が消滅していく。
――あの黒い男を、穢れた男を殺す。
エレナの意思が単一に染め上げられた、まさにその瞬間。
「ムクタカ、止めろ」
アマンは慌てず騒がず、作業の手すら止めずに指示を下す。ムクタカはその一言だけで全てを察し、あっという間にエレナに近づいた。
「失礼いたします」
短く断ると、返事すら待たずにエレナの体をソファに押さえつける。唸り声をあげてエレナは抗うが、戦士として鍛え上げているムクタカはびくともしない。
とんでもない状況だが、しかし、アマンの手は止まらない。
淡々と作業を進めていき、やがて――
ぱきり、と何かの割れる音を確かに聞いた。それは呪具の中心にある漆黒の宝石が割れる音だった。
「……ふぅ、終わったな」
呪いは解けた。
直後、二つのことが同時に起こった。
一つは、暴れていたエレナの体が不意に力を失い、意識を失ってソファに沈んだこと。
そして、もう一つは――
部屋全体が、闇に沈んだこと。
「――!?」
アマンは突然のことに言葉を失う。だが、すぐに己の認識の齟齬に気づく。
闇に沈んだのではない。部屋にある暗がりが濃度を増したのだ。それも光を飲み込むほどに。だから、まるで闇に飲まれたかのように錯覚した。
目を凝らせば、海底の底に沈むかのように部屋の構造物が見える。だけど、不思議なことにエレナとムクタカ――この2人だけはまるで光り輝くホタルのように明るく見えた。
それは生命力の輝き。
この現象にアマンは心当たりがあった。
夜の闇を濃くして、己が搾り取るべき生命を浮き上がらせる。
悪魔の力。
だけど、アマンは別のことにも気づいて、ぞっとしたものを感じていた。
こんな光を殺すほどの闇とは。その深さは悪魔の力に匹敵すると言われている。であれば、これほどの暗黒を生み出せるものとは――
闇の奥底から、アマンとムクタカは脳髄に響くような声を聞いた。
――よくやった、愚かなる者たちよ。
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