第7話 緋の目、緋の髪
「あの、大丈夫なんですか……?」
無茶なことを言っているのは明らかに王国側だ。やや申し訳なさを込めてエレナは尋ねる。
アマンはくすりと笑って、こう返した。
「気にしないで欲しい。私にとっても都合がいいから」
「……? どういうことですか?」
「あなたにいいところを見せたいと思っていたんだ。あなたのために勝とう」
そんなふざけたことを言った。
「な、何を言っているんですか!?」
「はっはっはっは、本気だよ」
そんなふうに笑いながら、アマンはエレナから離れた。
新居に引っ越したばかりの会話を思い出す。
――あなたは思慮深くて面白い人物だ。世の中、悪い話ばかりでもない。
エレナをじっと見つめる、酔いで潤んだ瞳とともに。
自然と、顔が赤くなった。
(も、もう! なんなんですか、あの人は!? ひ、人をからって!)
非モテ歴の長いエレナはそんなふうに処理した。
庭の空いたスペースで、アマンと侯爵の剣士ラムダの模擬戦が執り行われた。場所を取り囲むように名士たちが集い、今か今かと期待の視線を投げかけている。
「――問題ありません」
アマンの従者アッシュが検分を終えた2本の剣を侯爵に渡す。模擬戦に見せかけた謀殺――もあり得るのだから、当然の配慮だろう。ちなみに、模擬戦の剣には付与術がかけられていて、生物にはダメージが与えられないようにできている。強力な一撃を打ち込んだとしても事故につながることはない。有効打を先に叩き込んだ側が勝ちとなる。
審判である侯爵から剣を受け取り、アマンとラムダが向かい合った。
「グプタ皇国の殿下と剣を合わせられるとは光栄の至り。全力で臨ませていただきます」
ラムダの目には爛々とした戦意が輝いている。この一戦を、今生における最上の戦いと位置し、決して引かないという覚悟が満ちている。
一方のアマンは余裕のある様子を崩さない。
「私に、あの剣聖と剣を交えたことがある――そう自慢させてくれ」
侯爵の合図とともに戦闘が始まった。
闘志を燃やすラムダが先に動いた。素早く踏み込み、ためらいなく剣を振るう。アマンはそれを受け流すが、いきつく暇もなく次の攻撃を繰り出す。
(わ、すごい……!)
エレナの剣の腕はど素人レベルだけど、二人の戦いがハイレベルなのはわかった。まわりの名士たちも驚いている。ラムダの流れるような動きには無駄がなく、美しさすらある。よほどの才覚と鍛錬でなければ、この高みまでは至らないだろう。
もちろん、互角に打ち合っているアマンの動きも目を見張るものがある。宮殿の奥で安穏に暮らす王族――その色眼鏡からは想像もできない腕前だ。
ひらめく銀閃が激しい音となってぶつかり合い、一進一退の攻防が続く。
無限に続くかと思ったが、やおらラムダが下がった。
「……さすがの腕前です。想像を超えておりました。いかに剣の腕がおありといえども――しょせんは王族の遊びであろうと」
「褒めてもらえて嬉しいよ。だけど、あなたも想像を超えていたよ。まだ身体強化魔法を使っていないんだから」
ざわり、と周囲の名士たちがざわめいたのも無理はない。
身体の基礎能力として、王国民はグプタ族に劣る。強さにおいても速さにおいてもグプタ族のほうが身体の強度として優れているからだ。
その差を埋めるのが身体強化魔法であり、それを使うことで王国の騎士たちはグプタ族と五分に渡り合っていた。
なので、ラムダもすでに身体強化魔法を展開していたと皆が思っていたのだが――
どうやら剣を合わせたアマンはあっさりと気づいていたらしい。
「卑賤な身が申し上げるには僭越ながら……さすがです」
感嘆の言葉を口にした後、ラムダが左手を己の胸に当てる。
「侮った非礼をお詫びします。ここからは本気で参りましょう。まずは身体強化魔法から」
次の瞬間、ラムダの体に白い光が輝いた。
(あれは――!)
普通レベルの身体強化魔法であれば、こんな光などでない。強力な身体強化魔法でのみ発生する現象だ。
「参ります」
さっきよりも段違いの速度でラムダが攻撃を仕掛けた。
ぶん、と振り込んだ斬撃は一瞬でアマンを吹き飛ばす、それほどの勢いだったが――
聞こえたのは、肉を打つ音ではなく、金属が弾ける音。
アマンは反応して、その一撃を見事に防いでいた。さらに放たれる二撃目、三撃目も確実に反応していく。
おお! と名士たちもどよめいた。目の肥えた彼らにとっても、二人の応酬が規格外の領域にあるのだ。相当な武芸の達人であろう侯爵ですら目を見開いている。
(……す、すごい……!)
それはエレナも同様だ。思わず息すら忘れて見入っている。
息つく暇もない攻防は、あっという間にクライマックスへと突入していた。
2人は再び距離をとる。アマンも先ほどとは違い、あまり余裕はないようで、顔に汗が浮いていた。ラムダも疲労の色が濃く、息が荒くなっている。
「ここまで対応されるとは……驚きました。どうやら、秘技を出さなければなりますまい」
「最初から全力で来るのだな。本当に剣聖に届くほどの技か見せてもらおうか?」
「ご期待ください――秘剣・つばめがえし」
奥義だの秘技だのと呼ばれるものが、この世にはある。
ただの斬撃がどうしてそれほどの威力を持つのか? それは瞬間的な、その代わりに強烈な身体強化魔法によって成し遂げられている。
その技を放つためだけの動きのみに制限することを代償に、大幅な身体強化をほどこすのだ。
(そんなわけで、トリガーとなる名前を叫ばないといけないのよね)
その縛りがあるおかげで、歴史を舞台に小説を書く際も、技名を叫ばせることで燃え燃え展開を描けるのだけど。
三度目、ラムダが距離を詰める。
それは本当に素早くて、エレナ的には影しか見えなかった。
あっという間に間合いが詰まる。
何かと何かのぶつかる音がして、黒い影が中空に飛んだ。
あれは――
と全員が見上げる。
それは、くの字に曲がった剣だった。視界の端で、剣を失って体勢を崩しているアマンの姿が見えた。
(殿下――!?)
おそらくは、ラムダの攻撃をどうにか剣でうとけ止めたが、そこまでが限界だったのだろう。剣を折り曲げるほどの威力を受けての、この現状だ。
二撃目が来るまでには間がある。せめて体制だけでも整えれば――
「二の剣」
ラムダの低い声が続いた。
そして、通常では考えられない速度で二撃目が放たれた。それが秘剣つばめがえしの極意。二度の攻撃でワンセット――不可避の一撃を与える技だ。
空気を圧する一撃が猛然とアマンに襲いかかる。
今のアマンに回避する術はない――
本来であれば、超スピードの出来事で見えないのだろうが、そのとき、なぜかエレナにははっきりと見えた。
アマンの瞳が真っ赤に染まり、髪が薄らと赤みを帯びたのを。
(え――?)
まるでスローモーションのような映像はそこまでだった。
ただ、二人が交錯する影が見えて――
気づくと、ラムダが倒れていた。ラムダを押し倒したアマンは左手でラムダの、剣を握った右腕をつかみ、右手でラムダの首を締め上げていた。
何が起こったのかはわからなかったが、アマンが一瞬の攻防を制したのは間違いない。
(ええと……?)
エレナは目を細めてみるが、風景は何も変わらない。アマンの瞳と髪はいつもの、黒いものになっていた。
エレナが首をひねっていると、アマンが口を開く。
「侯爵、さすがに試合は終わっているだろ?」
その言葉にはっとして、侯爵が大声を上げた。
「そ、そうですな! アマン殿下の勝利です!」
ぱちぱちぱち、と名士たちが拍手をする。
アマンはラムダの拘束を解いて立ち上がると、名士たちに手を振りながらエレナのもとへと戻ってくる。
乱れた服装を整えてから、激闘など忘れたかのような笑みを浮かべる。
「どうだい? 君のために勝利したよ?」
「冗談はやめてください」
少し強く言いすぎたと反省しつつ、エレナは言い直した。
「……とにかく……ご無事でよかったです」
胸につっかえていたような、安堵の息が一緒にこぼれる。
「ふふ、意外と私は強いだろ?」
そのとき、まるで晴れやかに輝く太陽を小さな雲が一瞬だけ隠すかのように、表情に影が落ちるのをエレナは見逃さなかった。
エレナが何かを言うよりも先に、ムクタカが足早にアマンに近づき、小声でささやく。
「……殿下、お休みください。今すぐに」
そして、公爵に向かって大きな声を投げる。
「侯爵殿! 身だしなみを整える場所を貸してもらいたい! しばし場を離れるが、そちらの要望に沿ったための処置だ! 寛大な判断をしてもらいたい!」
侯爵に非があるのは事実なので、ムクタカの言葉は受け入れられた。
「……すぐに戻るよ」
そう言って、アマンはムクタカたち配下とともに侯爵邸へと入っていった。
一人取り残されたエレナだが――
そのまま待とうという気にはなれなかった。
あの、赤く輝いた目と薄らと赤くなった髪が気になって仕方がない。決して見間違いや勘違いの類ではない、そう思えた。
(ううん……気になるから確認してみよう!)
別に後でもいいのだけど、気になったものはさっさと片付けるのがエレナの信条だ。侯爵にこと付けをして、エレナもアマンの後を追った。
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