第6話 武闘派侯爵家での懇親会で
エレナが翠雲殿にやってきて10日間がすぎた。
基本的には、何もすることがなく、ぼんやりして過ごしている。あくまでも主役はアマンなので、エレナの果たすべき役割は今のところ宙ぶらりんのままなのだろう。
(……うーむ……楽ではあるのだけど……)
手持ち無沙汰なのも困りものだ。この翠雲殿で活躍した偉人たちの小説でも書きたい気分ではあるのだが、そんなものが誰かに見つかれば大変なことで、今は猫をかぶって自重している。仕方がないので脳内で物語をコネコネしている。創作は便利で楽しい。
一方、アマンは忙しいようで、あまり家にいない。多分。
多分、がつくのは、アマンの暮らす部屋が侵入不可のため、エレナの観測範囲に存在しないからだ。ただ、家にいる場合は夜になると『お呼び出し』がかかり、近況を聞かせてくれる。
その日も、応接室でワインを飲みながら話していると――
「エレナ、コーエン侯爵を知っているか?」
「ええと……お名前だけは……」
武闘派で、侯爵家の中でもその武勲によって名が知れた貴族である。当主が頼りない貧乏子爵とはもちろん、付き合いがあるはずもない。
「そうか。なら、ちょうどいい。一緒に顔見知りになるとしよう」
「はい?」
「そのコーエン侯爵から招待を受けているんだ。婚約者とぜひご一緒に、とな」
「うげ」
そんなわけで、エレナの初仕事が決まった。他家との交流――おひとり様が得意なエレナにとっては苦手なことのひとつである。
(そうも言っていられないけど。今までとは立場が違うんだから!)
自分なりの役割を果たすぞと気合いを入れるエレナだった。
あっという間に約束の日が来て――
エレナはコーエン侯爵の邸宅へと向かった。
「お待ちしておりましたぞ、殿下。まさかグプタ皇国の王族を家に招くことがあろうとは……きっと先祖も祝福してくれることでしょう」
エントランスに入るなり、コーエン侯爵が出迎えてくれる。
コーエン侯爵は豊かな顎鬚を生やした中年の男だ。年相応に多少の緩みはあるが、がっしりとした体格の持ち主だ。身長も高く、絶壁を思わせる巨体だ。
(さすがは武門でならしたコーエン家の当主……)
本人も相応の武人だと、エレナも噂では聞いている。
(ということは、歓迎のセリフも言葉通りには受け取れないよね……)
――まさかグプタ皇国の王族を家に招くことがあろうとは……きっと先祖も祝福してくれることでしょう。
200年の戦争で、コーエン侯爵の一門は最も血を流した一族であろう。前半は言葉通りでいいけども、後半は本心なのだろうか?
アマンがにこやかに応対する。
「こちらもまた同じ想いだ、侯爵。これからは互いに握っていた剣を手放し、共に手を携えていきたい」
そう言って、アマンが差し出した手をコーエン侯爵が力強く握り返した。
対立の構造を考えれば、これもまた歴史を彩る光景なのだろう。その光景を、アマンに付いてきた従者の一人――ムクタカが冷めた瞳でじっと見つめていた。
続いて、歓迎のパーティーが執り行われた。
場所となるコーエン侯爵の庭には、コーエン侯爵とゆかりの深い名士たちが集っている。立食形式のようで、ところどころに人だかりができていて、会話の華が咲かせている。
だけど――
「むっちゃ見られていますよね?」
エレナがボソッとアマンにささやく。
名士たちだけあって露骨なことはないが、端でたたずんでいるエレナ一行に向かってチラチラ視線が飛んでくる。
「……珍妙な動物くらいには気に入ってもらえたかな。興味を持ってもらえて光栄なことだ」
意に介さずにエレナが冷静に応じる。
「……たくさん人がいますけど、大丈夫なんですか?」
「どういう意味だ?」
「内密に入国したんですよね?」
「口外はしないようにしていると思うが、どうだろう……人の口は存外に軽いものだからな。珍獣に出会えば自慢をしたくなるのも道理、期待はしないほうがいい」
皮肉っぽく笑ってから、エレナが続ける。
「いいのさ、それで。いずれにせよ、動かないことには何も変わらない。あの邸宅に篭っていて、和平の空気が醸成されると思うか?」
「……腐っていくだけのような気もしますね」
「その通り。つまり、私は動くしかないのだ。どうせ、いつかは露見する。そうなれば――」
どうなるのか?
王都の、事情を知らない民たちはどう反応するのか。口にするのは怒りか喝采か。
「どんな結果だろうと、その日まで走り続けるしかない」
コーエン侯爵の挨拶が終わり、宴が始まった。
直後、多くの名士たちがぞろぞろとアマンの元へとやってくる。ただの珍妙な動物ならば見られているだけでいいが、そうではないので応対の必要がある。
アマンはにこやかな笑顔を浮かべながら、卒なく応対している。
(……す、すごい……!)
会話の距離感、話し方の穏やかさ、たまに混ぜるユーモア――非の打ちどころがない。本物の社交術というものをエレナは初めて見た気になった。
一方の、エレナは「あうあう、あの、その……」とボロボロだっただけに。
仕方がない。王国の傍流でしかない、しがない子爵令嬢として主賓――あるいはそれに近い立場になることなどなかった。いつも端っこが立ち位置だったため、経験が圧倒的に足りない。ヘロヘロになるたびに、さらっとアマンが助け舟を出してくれなければ、とっくに撃沈していただろう。
付き人のムクタカがそっと近づき、エレナの耳元で囁いた。
「ご無理をなさらずに。アマン様に任せて、笑顔でいてください」
エレナ的には、社交もさらっとこなせる、できる女でありたいのだけど、その理想にはまだまだ遠いらしい。
(今は仕方がないか……)
そんなわけで、笑顔で「すごいですね!」を連発する作戦に切り替えた。
忙しい時間が続いたが、すぽっと人の流れが切れる瞬間もある。
「なかなか大変そうですな」
そこを狙いすましてコーエン侯爵が姿を現した。背後には目つきの鋭い、若い男が立っている。侯爵のような巨体ではないが、服の上からでも鍛えているのがわかる引き締まった体だ。
(……あの人も兵士なのかな?)
そんなことをエレナは思った。
アマンは首を振った。
「そうでもない。むしろ、ありがたいくらいだ。少しでも、この国の知り合いを増やしたい」
「前向きですな。ご協力できて光栄です。人の紹介は惜しみません。もしご希望があれば、いくらでもご相談ください」
「心遣いに感謝する、侯爵」
そこで、侯爵が小さく息を吐いてから、目を細める。
少し、空気の質が変わったのをエレナは感じ取った。
「ところで……アマン殿下は剣の扱いに優れている、との噂を耳にいたしました。素晴らしい剣技をお持ちとのこと」
じっと侯爵がアマンを見つめる。
雑談のような軽さを装ってはいるが、その視線には確かな強さがある。
「……どのような噂かは知らないが、だいたい噂というものは膨らむもの……あまり期待されては騎士として名高い侯爵を失望させてしまうかもな」
「はっはっは……ご謙遜を。その噂の真偽、この目で確かめたいものですな。そうだ――」
そう言って、侯爵の目が背後に立つ若い男をチラリと見た。
「この男、私の配下でラムダと申します。なかなかの才能の持ち主でしてな……私も将来を高く買っております。いずれは剣聖にも至る逸材でしょう」
剣聖――当代において、最も剣を極めたと考えられるものにのみ与えられる称号。
それはなんでも言い過ぎだろ? とエレナならツッコみたいところだが、アマンはやんわりとした笑顔で素直に受け止めた。
「それは素晴らしい」
「……どうでしょう、殿下との模擬戦の名誉を賜われないでしょうか?」
その瞬間、周囲にいる名士たちが、わあああっと大声を上げた。面白そうだ! 殿下の剣を見られるなんて! 剣聖候補であっても勝てはすまい! などと叫んでいる。
(うは、絶対にこれ仕込みだよねえ……)
エレナは一瞬で結論づけた。アマンの退路を断つための策だ。
こう盛り上がった雰囲気だと、断るに断れない。強引に断れば、殿下の名声に傷がつく。受けるしかないわけだが、立ちはだかるのは侯爵イチオシの剣士。
勝てば問題はないが、負けてしまえば――
(少なくとも、殿下の評価は下がる)
印象として、グプタ皇国、恐るるに足らず! そんな印象を与えてしまう。
(もっと落ち着いた時期なら、こんなもの笑って流してもいいんだけど――)
今は和平が成ったばかりの、曖昧でぐらぐらと揺れる時期。ほんの少しの失態も許されない時期。
これは侯爵なりの意趣返しなのだろう。
今まで多くの血を流してきた武門として、そう簡単には全てを終わらせられない、水に流せない。まだまだ、本当の意味で戦争は終わっていない。
「失礼であろう! 殿下にそのような不躾な申し出を!……」
従者のムクタカが前に進み出る。
「殿下が剣を振るうまでもありません、私が――」
(配下を使って申し出をかわすのは悪くないけど……逃げたという風評は変わらないかな……ばっさり断るよりはマシだとしても)
ムクタカの動きを、アマンが片手で制した。
「構わない」
そして、自信に満ちた笑みを侯爵へと返す。
「侯爵がお認めになった剣士――剣聖になった暁には、私にとっても誉れとなるだろう。勝算は少ないかもしれないが、ぜひ相手をさせて欲しい」
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