第4話 婚姻の話は進む
王子の軽やかな笑い声は、居心地の悪さを持ち始めていた部屋の空気を一瞬にして和らげた。
最初に反応したのは、隣にいる公爵だった。
「ももも、申し訳ございません! この娘、緊張からか妙なことを言い出しまして……こら、非礼を詫びよ! わけのわからない世迷いごとを口にしおって!」
そんなことを言いつつ、公爵がエレナの頭を下げさせようと手を伸ばしてくる。
「あた!? 痛い!? 痛いですよ、公爵様!?」
「うるさい! とにかく謝れ! 場を収めるのだ!」
「待て、別に謝る必要はない……ふふふ」
王子の言葉には、まだ笑いの余韻が残っていた。
「気にする必要はない。我々は違いを知る必要がある――歴史も含めて。英雄グラッソーについてよくわかった。面白かったよ、あなたが熱心に話してくれる姿を見るのも」
「さ、左様でございますか……」
戸惑いの様子で応じてから、公爵が咳払いをした。
「ともかく、ずいぶんと話したのは事実。互いにお疲れでしょう。今日はここまでにしましょう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あううううう……」
与えられた控室に戻ってから、エレナは反省の海に沈み込んでいた。
完全なる、やっちまった感である。
もちろん、もともとの狙いとしては『断ってくれたらラッキー』路線なのだけど、暴走して自爆してしまうのは違う。
それはとても失礼なことで――恥ずかしいこと。
ゆえに、エレナは顔を真っ赤にして身悶えしていた。
(消したい! あの時間を、消したい! 私の人生と国の歴史から!)
彼女が知る、王国を彩った英雄たちに泣いて土下座の心境だ。なんという無様な真似をしてしまったのだ!
「やってしまったなあ……」
深く落ち込んでいると、部屋に公爵がやってきた。
(怒られる……!)
公爵は王子のもとにエレナを送り込むことを画策していたのだから、ご機嫌斜めなのは間違いない。
(まあ、でも怒られても仕方がないか……)
むしろ怒って欲しい。言葉の石を投げて欲しい。責めてもらったほうがすっきりする――相手が腹黒公爵というのは少し引っかかるとしても。
だが、耳に入ってきたのは淡々とした声だった。
「今日はもう終わりだ。服を着替えて家に戻れ」
「……? それだけですか?」
「どいうことだ?」
「怒られるのかなと……」
「怒る必要もあるまい。先方はこの話を進めるように言ってきたのだから」
すぐに返答できなかった。
進めるように言ってきた……?
その言葉がエレナの脳に浸透するまでに少しばかりの時間が必要だったから。
「えええええええええええ!? いやいやいやいや!? お見合いの席で、鉄壁騎士について語っちゃう女ですよ!? ないでしょ!?」
「その自覚があるのなら、もう少し自重しろ。相手によっては、その場で……手打ちにされてもおかしくない失態だ。心臓が止まるかと思ったぞ」
不機嫌そうな口調で公爵が言う。
「だが、安心しろ。王子から拒絶はなかった。話が進む以上、何も問題はない」
よくわからない色々な感情がエレナの胸に満ちた。
先に進んでしまったことに対して、気が重いことも事実だった。ここで『さよなら!』してくれれば、もう頭を悩ませることもない。
だけど、それ以外の感情もある。
なぜか、ほっとするような、心が温かくなる気持ち。
もう少し、何かが続くことへの喜び。
それはまだまだ小さくて、わずかな『兆し』のようなものだったけど――確かにエレナの胸の中にあった。
(ううん……どゆこと? 変なことをしちゃったけど、不問だったのが嬉しい感じ?)
そんなふうにエレナは解釈した。
「いいか、自分が選ばれた――などと決して過信するな。先方にとっては、誰でもよかっただけの話だろうからな」
「……思いませんけど……誰でもいいものなんですか?」
「異種族がともに生活をする――その事実を和平のシンボルとしたいのなら、別に誰でもいい話だ。むしろ、子爵のほうがありがたい。
――うっかりカプッとかじって死んだけど、ザコい子爵令嬢だから許してくれるよね?
(んなわけ、あるかあああああ!)
当人的には絶対に許さない案件ではあるが、階級社会的には罰の軽重は変わるだろう。
ようするに、エレナの命は軽いのだ。
「……あの、一応、確認しますけど……こっちからお断りってできますか?」
「できると思うか?」
「思いません」
「君は実に聡明だな、エレナ令嬢」
ダメ元の提案は一瞬にして却下されてしまった。
「いいか、これからが本番だ。失態を繰り返すなよ?」
「……はい、頑張ります。両国の長い和平が実現できるように」
そのために異種族と結婚するとかぶっ飛んでいるけれど。
ただ、和平を形にする、という目標自体は悪くないように思えた。エレナが生まれる大昔から続く戦争のせいで王国も皇国も疲弊し切っている。戦争は日常で、この時代を生きている誰もが平和を知らない。
その平和を確かなものにする――
それはエレナにとって価値のあることだった。
だが、公爵の見解は違った。
「和平? そんなものはどうでもいい」
「は?」
「この和平が長く続くことはない。戦いに疲弊した両国が、一時の休養を互いに合意しただけ。休みが終われば、すぐに戦いが始まるだろう」
それは現実的すぎたが、エレナの直感にも反していなかった。この和平が束の間だと感じていたから――エレナは己の手で少しでも長いものとしたい、と思ったのだから。
「これからアマン王子と一緒に暮らすお前に、使命を下す」
公爵が硬質な声で、澱みなく告げる。
「少しでも敵国の情報を探れ。弱み、戦力、体制、政策――なんでもいい。我が国に有利な情報を得てこい。いつかの戦いへの備えは、すでに始まっている」
敵国。
公爵ははっきりと言い切った。そして、それは王国人たちの本音でもあった。おそらくはグプタ族にとっても。和平という形に落ち着いても、彼らの中で戦争は終わっていない。憎悪も敵意も、いまだ炎となって燃え盛っている。
世界は何も変わっていない――
エレナの心に重くて苦い感情が広がる。
(……まあ、明日から仲良くやろう! なんて心変わりするほうがおかしいか……)
そんなことは少し考えればわかることだけど。
和平か、争乱か。天秤は激しく揺れ動いている。はたから見ているだけならば気楽に楽しめるが、どうにもエレナはガッツリと体制に組み込まれてしまったようだ。
歴史の未来を決める、ひとつのパラメタとして。
(光栄なんだろうけどね)
公爵が示す現実は理解できるが、味気がないし浪漫もない。だから、それを素直に選びたいとは思わない。とはいえ、この状況でそんなことを口にするほど愚かでもない。今は求められる役割を演じるだけと心に決める。
自分自身がどんな未来を掴みたいのかは未だ判然としないけれど――
「最善を尽くします」
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