第3話 第三王子アマン

 第三王子アマンがエレナの対面に座る。

 アマンの付き人であるムクタカは王子の背後に立ち、鋭い視線を投げかけている。異変があれば一命を賭して王子を守る腹づもりなのだろう。

 なかなかの威圧感だが、それに怯えるわけにもいかない。


(……私は貴族で、今日は王国の代表なんだから……!)


 歴史に名を残す偉人たちのように、立派な立ち振る舞いをしなければ!


「エレナと申します。こちらこそお会いできて光栄です、アマン様。私も楽しい時間を過ごせればと存じます」


 ここに男優と女優が揃い――

 いよいよ舞台の幕が開く。


「遠路はるばる王国までお越しくださり感謝いたします。大変だったのではないですか?」


 エレナは当たり障りのない話題を選ぶ。

 アマンは気軽い様子を崩さずに答えた。


「長い旅ではあったけど、楽しかったよ。王国の景色は美しくて綺麗だから」


「……? どこか名所にでも立ち寄られましたか……?」


「いや、そうではなくて……我々グプタの領は山岳や針葉樹林が多く――寒々しい。だけど、王国は違う。平坦な場所が多くて、綺麗な水や柔らかい緑に恵まれている。眺めているだけで目を楽しませてくれる」


「そう言っていただけて嬉しいです。私も、王国は過ごしやすくて気に入っております」


 次に、エレナは話題を転換する。


「ところで、いつ頃こちらに? そのような発表はなかった気がするのですが?」


 実はずっと気になっていたことだった。

 敵国だったグプタの第三王子が王都にやってくるのだ。とんでもない大ニュースである。帝都を挙げての歓迎式典があってもおかしくはない。

 だが不思議なことに、そんなイベントが行われた記憶はない。

 アマンが微妙な表情を作った。


「入ったのは少し前だ。知らなかったのは不思議でもない。その……、内密に入国したからな」


 内密……? その言葉を反芻してから、エレナはすぐに気がついた。

 敵だった国の王子が最小限の護衛で王国の中心を訪れるのだ。そんな情報を公開すれば、和平に反対する人物たちの暴力的な介入が予想されるだろう。

 公爵が咳払いをした。


「……王子のお立場を考えれば問うまでもなかろう。困らせるでない。申し訳ございませぬ、殿下。お許しを」


「いや、大した問題ではない。エレナ、気にしないで欲しい」


 そんなことを言って、アマンがエレナに優しげな笑みを向ける。


(いい人みたいね)


 短いやり取りだが、そんなことを思い内心で安堵する。王族という立場を笠に着て横柄な態度を取るような面倒な性格ではないらしい。むしろ、その逆といっていいくらい理性的で落ち着いている。

 知性に重きを置くエレナにとって、それは彼の美点に思えた。

  少し考えてから、アマンが続ける。


「私からも質問をしていいかな? エレナの趣味はなんだい?」


 まさかの、お見合いテンプレ質問が飛んできた。独創性を競うものでもないので、こういうのはオーソドックスでいい。


「そうですね……」


 正直な答えはと言えば、

 ――歴史の偉人に関する妄想小説を書いていますけど?

 ボツである。なぜなら、あまりにも独創的すぎて変態だと思われてしまうからだ。


「……読書を嗜んでおります」


 主に歴史に関する資料だが、もちろん、普通の小説なども読んでいるので嘘ではない。

 アマンは楽しそうに頷いた。


「こちらの文化には興味があるんだ。エレナはどんな本を好んでいるのかな?」


「そうですね、たとえば――」


 そこからは、しばらく普通の雑談が続く。雑談の間に配られた紅茶が優雅な香りを漂わせている空間で、若い男女にふさわしいお見合いタイムが流れている。隣に座る腹黒公爵も機嫌が良さそうだった。

 話が一段落したところで、アマンが話題を変える。


「そうだ、エレナは『セフォンの小聖女』と呼ばれているんだったな?」


「ぶほっ」


 ちょうど飲んでいた紅茶を、エレナは盛大に吐き出しかけた。なけなしの令嬢力で押さえ込んだが。


「そ、そんな呼ばれ方をしたことも、ありますね……?」


 動揺してしまったが、これは油断である。子爵令嬢の不足する格を『小聖女』の肩書きで埋め合わせている以上、それは先方の知るところであるはずなのだから。


「……それほど、すごいものではなくて……ただの偶然です……」


「謙遜は美徳だが、偶然であれほどの快挙はあるまい」


 そう言った後、唐突にアマンが座ったまま、深々と頭を下げる。


「我々の指揮を脱した者どもとは言え、愚かな行為を許してしまったこと、ここに深く謝罪する」


 そう言って、アマンが深々と頭を下げた。

 突然のことに、エレナは言葉を失う。当然だろう、王族が頭を下げたのだから。アマンの背後に立つ付き人のムクタカも鉄面皮をわずかに動かす。隣に座る腹黒公爵も驚きで息を呑んだが、いち早く口を動かした。


「殿下、そのようなことを……お顔をお上げください!」


「非戦闘地帯を通達もなく攻撃するなど、いかなる理由があっても許されない。あの者どもの行為は我々にとっての恥――だからこそ、失敗してよかった。もしも残酷な虐殺が行われていれば和平の道は遠のき、今日この場所で我々が顔を合わせることはなかっただろう」


 頭を上げたアマンがじっとエレナを見る。


「だからこそ、あなたの成し遂げたことに感謝したい、小聖女。今日の平和は、あなたがいなければ成立しなかっただろう」


 その目はどこまでも真摯で――言葉に嘘偽りがないことを告げていた。

 エレナは、己の瞳の奥まで真っ直ぐに注ぎ込まれた視線の強さに圧倒された。しばし沈黙がおり――

「あ、あは、あははは……」


 ようやく我に帰ると同時、気恥ずかしさとともに照れ笑いがこぼれた。

 この件に関して、方々から称賛されたのは事実だが、これほど心が動いたのは初めてだった。それはアマンが心の底から称賛してくれたからだろう。もちろん、イケメンが真剣な表情で見つめながら言ってくれたから、という俗な理由もあるのだろうけど。とにかく頬が少し熱い。


「身に余るお言葉、光栄です」


「あれほどの敵を相手にしても冷静でいられることに驚いた。何か武芸の経験が……?」


「いえいえいえ! たしなみくらいで――!」


 というか、インドア派(歴史的聖地の訪問を除く)のエレナにとって、嗜みですらも言い過ぎである。武芸の腕前はナメクジレベルであり、成人女性最弱クラスと言っても過言ではない。

 アマンは興味深そうな視線を向ける。


「……そうなのか……? ならば、怖いとは思わなかったのか?」


「え……?」


「村を守る戦力はわずかで、あなた自身にも武の心得はない。血に飢えた……」


 少し言いづらそうにしてから、アマンが続けた。


「……凶暴極まりない兵たちが迫ってきている。あなたの立場なら、民衆を捨てて逃げたとしても誰も責めは――」


「逃げるなんて言葉はありません!」


 エレナの強い声は、王族の言葉を叩き切った。

 どれほどの非礼であろうか。王族の言葉を遮ってしまうなんて。隣の腹黒公爵が、アマンが頭を下げたとき以上に目を見開いて固まっている。

 だけど、仕方がない。エレナの心にある英雄スイッチが入ってしまったのだから。


「私は貴族です――貴族ならば、国に命を捧げ、王に忠義を捧げ、民を守るのは当然の義務です!」


 これは貴族の基本指針であるが、今となっては形骸化している。

 だけど、偉人たちを推すエレナにとっては神聖な言葉だった。王国に命を捧げたとき――あるいは、真の王国軍人として間違えた命令に逆らうとき――英雄たちはその言葉を語り、理想のために戦った。

 だから、エレナにとって、それは『口にしたい名言』であり、口にするだけでノリノリになる言葉だった。唖然とする周囲など気にせず、ついテンションが上がったエレナは滔々と言葉を紡いでいく。


「あの村はですね、鉄壁騎士グラッソーが没した村なんです。そんな神聖な地を、王国貴族として見捨てるわけには参りません!」


「グラッソー……?」


 アマンの言葉、その末尾にある疑問系をエレナは聞き逃さなかった。

 あ、知らないんだ!? 知らないんですね!? そうですか! それはいけません! あんなすばらしい英傑を知らないだなんて、人生損してます! これは知る必要があります、そうです、ええ、教えましょう! ぜひぜひお土産に! 遠慮せずに!

 そんなふうに不要な親切心が爆発してしまう。


「鉄壁騎士グラッソーは今でこそ英傑と称えられていますが、生まれは貧しい農家です。生を受けたのは、しんしんと雪が降る早朝でした。赤子にしては大きな肉体を持つ息子に、父親は古い方言で『牛』という意味を持つ名前を与えました。その膂力で家を支えて欲しいという、ささやかな願いが込められたものですが、彼の運命はそこに留まるものではありませんでした――!」


 一気に語った。語り切った。

 語り切ってしまった。

 本当はもっと言いたいことがあって、100分の1くらいしか胸の内にある大きな感情を吐き出せていないのだけど、その程度で止めておいた。

 それくらいの自制心はある。


「どうですか、アマン様!?」


 そこでようやく気がついた。

 部屋の空気がおかしなことになっていることに。付き人のムクタカは顔を引き攣らせていて、隣の腹黒公爵は気絶寸前の表情をしている。

 一瞬にして、エレナは現実を認識した。


(うへえ、やっちまった!?)


 まだまだ自制心が足りなかった。その手前で止まるべきだった。

 顔を真っ赤にしてエレナはうつむく。

 よくあることだった。ついつい推しの偉人について語り始めると、見境がなくなってしまう。失敗したことは数あって、気をつけようという心持ちではあるのだけど、どうしても暴走してしまう。

 だって、好きなことを語るのは気持ちいいから!


(あああ……もう、ほんと……)


 エレナの胸に重苦しいものがのしかかる。

 実際のところ、エレナのスタンスとしては『お断り』で問題ないのだけど、失礼をしてしまうことは違う話だ。

 自分は王国の代表として出席しているのに―― いや、それ以前に、アマンは王族だからと威張らない気持ちのいい人物だ。そんな人物、不快な思いをさせてしまうのはいけないことだ。


(ご、ごごご、ごめんなさい……! うっかり……!)


 どんな表情をしているのか確認するのが怖くて、アマンを意識的に視界から外していた。

 失望した目を向けられているのが怖かったから。だけど、そのままでいることが許されるはずもなく。


(う、う、う……)


 エレナはアマンの顔を見ようと、うつむけた視線を上げて――

「ふふふ」


 ふふふ? その声の後に、大きな笑い声が続く。


「はははは! 面白い人だ!」


 嫌味でもなく皮肉でもなく、本当に心から楽しそうな様子でアマンが笑っていた。

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