第2話 お見合い

 娘が、和平して間もない旧敵国に嫁ぐ。おまけに相手は人間を餌だと思っている連中――

 エレナは期待していた。

 娘の身を案じた両親が反対するのではないか、と。


「いやー、まさか、うちの娘に貰い手が見つかるなんてなあ! 良かったな!」


 父は満面の笑みで祝福してくれた。


「お母さんも、あなたをもらってくれる人なんていないと思っていたから……」


 母はうるうるしながら喜んでくれた。

 おいおいおいおいおーーーーーーい!


「ちょっと、ちょっと、ちょっと! ちょっと待ってえええええええ!」


 王都にある、ヒストリア家の居間にエレナの絶叫が響いた。


「本当にいいの!? 私、敵国だったところに嫁ぐんだよ!? 食べられちゃうかもしれないんだよ!?」


「え、ああ……」


 まるで今、気が付いたという感じで父が視線を泳がせる。

 エレナの父は少しのんびりした人だ。人はいいが、あまり仕事はできない。ヒストリア家が現在の状況にあるのも当然ではある。


「確かに不安だけど、変わり者のお前が嫁入りできることが嬉しくて……つい……」


「私の安全を、その手前に置いてえええええ!」


「でも、お相手は王子様なんだろ? すごいじゃないか」


「肩書きはともかくとしてね、それ以外の条件が厳しすぎなのよ!」


「まあ、会ってみたら意外といい人だったってオチもあるぞ?」


 父はのんびりとしている。人がいいので、どうにも危機感が薄い。頭が回りすぎるエレナはいつか父が詐欺に遭うんじゃないかとよくハラハラしている。


「運命の出会いというやつだな」


「いやあ……運命の出会いより命の安全が欲しいんですけどねえ……」


 エレナの両親はどうやら、むしろ娘が選ばれた! 娘が結婚する! ということにふわふわと喜んでいるようだ。他意はない。裏表のない善良な人たちだから。純粋に心から、娘の行く末を祝ってくれているのだ。

 エレナにも悪い部分はある。

 ずっと、家にこもって歴史の偉人たちを扱った自作小説を書き続けているのだから(両親には歴史に関する偉大な論文と説明してある)。そんなヘンテコな娘が人並みに結婚しようというのだから、滂沱の涙も仕方があるまい。


(ああ……このまま進むんだなあ……止まんねーなー)


 どうにも、飲み込まれてしまった運命の濁流から脱出する命綱が掴めない。とはいえ、まだ逆転の方法はある。第三王子がエレナを気に入らなければいいのだ。王子様がこいつではない、と言えば、腹黒公爵も娘思いの両親も諦めるしかない。


(まあ、さすがに選ばないよね……うんうん、もっと美人にいくでしょ、普通は)


 自分が選ばれないことに、エレナは大きな自信を持っていた。

 そして、ついに顔合わせの日が訪れた。

 ヒストリア子爵家の前に、王族御用達の馬車が停止する。王国史にこれといった足跡を残せていないヒストリア家、初めての栄誉である。


 両親たちに見送られて、エレナは馬車に乗り込んだ。


 外装も立派だったが、内装もすさまじい。座っているクッションのふわふわ感が異次元だ。魔法的に制御されているのだろう、車体の揺れも全く感じられない。


(おー、さすがは王族御用達……)


 寝れるレベルで素晴らしい。

 この世界において、お伽話の世界に出てくる派手な魔法――すなわち、炎の嵐を吹かせたり、氷の壁を作ったりといったものはとても稀少だ。ほとんどの人たちの魔力はそれほどの奇跡を生むに足りず、もっぱら2つのことしかできない。


 いわゆる、身体強化魔法と物質付与魔法だ。


 前者は術者の身体能力を向上させる魔法だ。これを使いこなせる女性であれば、肉体的に屈強な男性を相手に剣で戦うことができる。

 後者は物質に様々な効果を付与する魔法だ。永続的な付与魔法を組み込んで作られたものを特に魔道具と呼ぶ。おそらく、この馬車の乗り心地もそれによって担保されているのだろう。


(そういえば、グプタ族は付与術が進んでいるんだよね)


 知的好奇心が強めのエレナはわくわくしている部分もあった。捕虜として連れてこられたグプタ族を遠目で見たことがあるくらいで、至近どころか話をするのは今日が初めてだった。しかも、その王族である。


(うーん……どんな話をするんだろう!?)


 そう考えると、このアレな展開も悪いものばかりではない。どうせ断られるのだから、深く悩まずに人生一度の経験を楽しもう。

 王城に到着した。

 馬車から降りると、そのままエレナは王城の一室に連れていかれた。そこはパウダールームで、色とりどりのドレスが用意してある。


「隣国の王子をお相手いたします。お召替えをいたしましょう」


 家から着てきたドレスも自信の一着なんですけど!?

 そんなふうにエレナは思ったが、どうやら王子様と出会うには、まだまだ格が足りないらしい。

 ぽすんと鏡の前に座らせられてから――

 電光石火のカスタマイズ作業が始まった。


(ほわああああああああああああああ!?)


 エレナは髪型を整えられ、顔に化粧を施され、綺麗なドレスに着せ替えられた。

 文章にするとわずか一行であるが、それはもう怒涛の進行であった。王宮仕えの歴戦のプロたちが、とんでもない速度と技術でエレナの外見を変貌させていく。

 滝に落ちたらきっとこんな感じだろうというくらい、エレナはなすがままだった。


「終わりましたよ」


 鏡の向こう側に、美しい少女がこちらを見ていた。いつも見慣れたピンク色の髪に緑色の瞳は変わらないが、それ以外が全て違う。編み上げた髪型も、顔を彩るメイクも、何から何まで『職人が丹精込めて技を尽くしました』感のある輝きっぷりである。


(……すごい! こんなに変わるんだ!?)


 明らかにひらひらやキラキラがバージョンアップしている豪華なドレスも含めて、鏡の向こう側にいるのは、誰やねんこれ状態である。

 ふふふん、私も大人の女。化粧だって覚えたのよ? なんてエレナは思っていたが、プロの技と比べるとミジンコレベルなのを痛感した。


「うーん……お美しい!」


 担当してくれた女性が満足そうな表情でそう言ってくれる。


「ありがとうございます。馬子にも衣装って感じ、本当なんですね!」


「いえいえ、これはエレナ様の持つ美しさですよ。磨けば磨くほど光りますね」


「たははは……」


 自分の外見に関して興味の薄いエレナはこそばゆい感情を抱く。


(ま、まあ、はしくれといえども貴族なので気を使ったお世辞ということで……)


 そんな感じで、胸に広がる感情をエレナはごまかした。 

 ドレスアップという偉業を成し遂げて、ああもう仕事が終わった、あとは家に帰ってのんびりしようとエレナが思っていたら、間髪入れずに部屋から連れ出された。


「急ぎましょう、時間が迫っております。王子を待たせるわけには参りません」


 再び案内役のメイドに連れられて王城を歩いていく。


(……あ、そうだった。第三王子と会うためにドレスアップしたんだったっけ)


 あまりにも怒涛の出来事だったので、重要事項が頭からこぼれかけていた。もう今日は終わりでいいじゃない? ダメですか。

 通されたのは、王城の奥にある一室だった。

 王城はどこも造りが豪華だが、その部屋はより一層の気品が漂っていた。配置されている調度品からして『我々は血統書付きです。そこら辺の駄犬とは違います』というオーラをまとっている。

 部屋にはすでに先客がいた。


「……間に合ったようだな」


 エレナをこんなところに引き込んだ張本人レクトン腹黒公爵だ。レクトンはドレスアップしたエレナをじいっと眺めて、

「ふむ、多少は見られるようになったな」


 そんな褒めているのか貶しているのかよくわからない感想を口にする。エレナは、こんにゃろおおお! とは思ったものの、優雅な笑みを崩さずに会釈した。


「レクトン公爵も立ち会われるのですか?」


「もちろんだ。相手は第三王子、田舎娘だけに相手をさせるわけにもいくまい?」


「……それはそうですね」


 外交には格と見栄が必要だ。公爵の言葉は正しい。言い方がいちいち気に障るけど。


「とはいえ、今日の主人公はお前だ。私は横で座っているだけのつもりだ。王国の代表として恥ずかしくない態度を忘れるな」


 その目には、おかしなことをするなよ? という威嚇の輝きが灯っている。


(信頼感ないなあ……)


 もちろん、それはエレナの不徳でもあるのだけど。色恋や貴族としての交友よりも「今の推しは未曾有の大改革を成し遂げた名宰相クラウゼル様で〜」とか口走っている変人令嬢の噂を、敏腕で名高い腹黒公爵が知らないはずがない。


(ふん! 甘く見ちゃって! 私だって貴族ですから。そんなの、TPOくらいわきまえているに決まっているでしょうが!)


 完璧な所作を見せて、公爵の鼻を明かしてやる! と息巻くのだった。

 エレナは公爵の隣に座り――

 やがて、時は来た。

 ドアが開き、男性が入ってきた。長めの灰色の髪を後ろで縛り、メガネをかけている。20歳くらいだろうか。外交にふさわしい上質な服装を身にまとっている。それ以上に目を引くのは、浅黒い肌だろう。その肌こそが、グプタ族の特徴だった。

 表情に――他者の警戒を解くための笑みはなく、周囲に厳しい視線を向けている。


(おっかない感じの人だな)


 そんなことをエレナを思ったけど、すぐに己の浅はかさに気づいた。

 ここは彼らにとっての敵国――そのど真ん中なのだ。いつだって謀殺の可能性はある。である以上、当然の警戒だろう。


(お、おお……こ、これは……!)


 少しばかり、エレナは興奮してしまった。まさに、今まで歴史を彩り続けた外交の1シーンに自分が立っているのだから。

 しかも、その主役の片方は間違いなく自分。

 歴史マニアとして、エレナは感無量の心持ちであった。


(今、時代が動く……!)


 勝手にそんなことを思い興奮していた。だから、変人令嬢などと言われるのだけど。

 男が口を開く。


「私は、第三王子アマン様の付き人ムクタカと申します。始めてもよろしいでしょうか?」


「もちろんです。こちらは構いません」


 公爵が澱みなく応じる。腹黒さを感じさせない、聖人のような趣である。


「承知いたしました」


 ムクタカが部屋の外に声をかけると、もう一人の人物が姿を現す。

 ムクタカと同じ浅黒い肌――間違いなくグプタ族の人間だ。歳の頃もムクタカと同じで20歳くらい。まとっている黒の服装は上質なだけではなく、金や銀の刺繍で美しく飾り立てられている。おそらくは、最高格の人間でなければ着ることを許されないものだ。

 漆黒の髪は一筋の乱れもなく、美しく撫でつけられている。瞳の色もまた、髪と同じ。

 肌の浅黒さなど比較にならない、闇のような黒だった。


(確か、漆黒はグプタ族にとって王族の証なんだよね。ていうことは……)


 服の色も、髪の色も。それら全てが彼の出自を物語っている。

 まとう雰囲気には、顔立ちが整っているからだろうか、少しばかり距離を感じさせる他者を寄せ付けないものがある。まるで夜空に1つだけ輝く星のような冷たさと暗さと、目が離せない輝きと――

 その口元に柔らかな、温かみのある笑みが浮かんだ。


「私が第三王子アマン・グプタだ」


 その目が、しかとエレナをとらえた。


「あなたがエレナか。会えて嬉しく思う。今日は愉快な時間を互いに楽しもう」

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