和平のために結婚ですか? 〜意外と優しくて強い王子に気に入られています〜 

三船十矢

第1話 セフォンの小聖女

 エレナ・ヒストリアは18歳の女性である。

 冴えない子爵家の貧乏令嬢で、顔立ちも――悪くはないけれども、別に美しいと評判が立つほどでもない。どちらかというと、歴史や偉人が好きすぎて、変人という評判が立つほどであった。


 そんな変人令嬢が由緒ある公爵家の当主に呼び出されただけでも青天の霹靂へきれきだったが、執務室で伝えられた内容はそれ以上のものだった。


「エレナ・ヒストリア子爵令嬢、喜べ、グプタ皇国の第三王子と結婚することになったぞ」


「は?」


 ぶしつけな応答だったが仕方がない。あまりにも意味不明だったからだ。

 なぜ意味不明かというと――

 グプタ皇国はエレナが所属する王国と200年にも及ぶ戦争をしていた敵国だからだ。

 そんな恨み骨髄の国に、いきなり嫁げと言われましても!?


「ちょ、ちょっと意味が、わかんないんですけど……!?」


「そう取り乱すな、『セフォンの小聖女』の名に傷がつくぞ」


 動揺するエレナの様子を、レクトン公爵は薄い笑みを浮かべて眺めている。


「それほど不思議なことでもあるまい? グプタと我が王国は和平がなったのだから」


 公爵の言う通り、200年の戦争はついに終わりを迎えたのだ。憎悪と動乱の時代が終わり、まさにここから平和と協調の時代が始まろうとしていた。


「それはそうですけど……その……一緒に暮らすとか、無理じゃないですか?」


「そうかね?」


 目の前のたぬき親父が露骨にすっとぼける。相手が公爵ではなくて、かつ右手にスリッパを持っていれば、思いっきり頭をはたいていただろう。


(わかっているくせに!)


 はぐらかしに屈せず、エレナは大声で堂々と指摘した。


「だって、私たちってグプタ族の餌じゃないですか!?」


 それが、200年の長きにも渡って戦争が続いた原因だった。

 グプタ皇国の人間は、人の生き血を吸う。彼らは捕食者であり、王国民は餌だった。互いに武力と知性を持つ群体である以上、そこに妥協も融和も入り込む余地はない。

 食う側と食われる側――

 熾烈な生存競争に収束するのは必然だった。


「どう考えても、一緒に暮らすとか無理でしょう!?」


「無理だからこそ、セレモニーとしての価値がある。時代が変わった、そう示すための」


「……セレモニー?」


「そうだ。グプタの第三王子と、我が国の小聖女が一緒に暮らして子供を作り、仲のいいおじいちゃんおばあちゃんになれば、両国の民たちも協調の未来を信じられるだろう?」


 私はモルモットかああああああい!?

 と叫びたかったけど、状況を鑑みて自重した。偉大なる実験みたいなノリで、人の人生を決めないで欲しい。


「……いや、でも、無理でしょう……? 初夜に血を吸われて死にますよ、私……」


「その点は問題ない。先方も強い覚悟で臨んでいる。これは血を吸わなくても共存できる、それを示すための実験でもあるのだ」


 とうとう実験だと隠さなくなった。モルモットかい!? どころか、本当にモルモットだった。


「この案を提示してきたのは、第三王子自身だ。第三王子は和平の推進者でね……この和平が薄氷の上に成り立っていることを理解しておられる。己自身で、我々は共存できると示すためにな」


 ……王子! 何気に熱い性格……!


「その記念するべき相手としてエレナ、君が選ばれたのだ。喜びたまえ」


「……いやいやいや……どうして私なんですか? あちらは第三王子ですよね? 皇族ですよね? 貧乏子爵の令嬢とは釣り合わないじゃないですか。そこは王女殿下とか、美しいと評判の高級貴族の令嬢とか――」


「ふむ。では、セフォンの小聖女……ならば、釣り合うな?」


 公爵の顔がチェックメイトを決めたかのようにドヤっている。


(こんのたぬきじじいめぇえええええ!)


 ムカつく顔にパンチを決め込みたいが、令嬢としての嗜みでそれを抑え込んだ。


 セフォンの小聖女。

 それは1年ほど前にエレナについた名誉ある(本人にとっては誇大すぎてありがた迷惑な)称号である。


 ことが起こったのはセフォンと呼ばれる非戦闘地域にある村だ。


 長い戦争にはいつの間にか暗黙のルールができることもある。『非戦闘地域を理由もなく攻めない』もそのひとつだ。

 そんなわけで、そこに配置されている形ばかりの防衛部隊は閑職であり、強い意志を持った指揮官でなければ兵の練度を維持できるはずもなかった。そして、当時の守備隊長だったラフバーン伯爵にそんな器量もなく、本人自身も怠惰な日々を過ごしていた。


 そんな地を、素行の悪いグプタのはみ出し兵たちが襲撃をかけたのだ。


 マナー違反なのは間違いないが、別に条約として記されたものでもない。油断していたラフバーン伯爵の落ち度だった。

 それはもう、見事な惨敗であった。

 惨敗したのみならず、ラフバーン伯爵は己の身を守るために戦える士官たちを引き連れて、本来なら守るべき民を見捨てて全力逃走したのだ。実に無様な有り様だ。


「逃げろ逃げろ! 民草など生えてくる! 高貴なる我々が命を捨てる必要もない!」


 これは後世で演じられているエレナの演劇で使われる有名なセリフである。創作なのか実話なのかは判然としないが。

 そして、エレナに不幸のお鉢が回ってくる。

 王国の軍事法により、軍事に関する指揮官が不在になった場合、その場にいる最も高位の貴族が指揮をとるように定められている。


「エレナ様。現在、あなたが最高指揮官です。ご命令を」


「は?」


 そのとき、かつてこの村で果てた鉄壁騎士グラッソーの人生に妄想――言い直すと、思いを馳せていたエレナの意識は一瞬で現実に引き戻された。現在の激推しであるグラッソーの足跡をたどる旅をしていただけなのに!?

 エレナは軍事に関わる教育など受けたことのない、少し変わった趣味を持つだけの子爵令嬢にすぎない。

 ただの歴史好きの、妄想女子が指揮官?

 なんの冗談ですか!?


(うはー、最悪……巻き込まれた……?)


 そんなことを思いつつも、エレナは逃げた伯爵とは違って、貴族としての責任を怠らなかった。

 国に命を捧げ、王に忠義を捧げ、民を守る――

 それは王国貴族であれば当然のことだが、エレナが学んだのは歴史上の偉人たちからである。彼らの、己が理想のために殉じる熱い生き様に憧れるエレナに、死ぬのが怖いから弱者を見捨てるなどという不名誉な逃避はできないのだ。


「やれやれ……やるしかないかー……。うげー、吐きそう……」


 それほど勤勉でもないので、ため息まじりにではあるけれども。

 伯爵たち弱兵を退けて、守るもののない村に向かってくるグプタの兵たち。逃げの一手しかないが、子供や老人たちを連れての撤退には時間がかかる。追いつかれるのは時間の問題だろう。足止めの戦闘を仕掛ける必要があるが、戦える兵力は10人にも満たない。


(詰んでない、これ……?)


 それほどの難局だったが、幸運なことに、エレナにはそれを打破するだけの知性と才覚があった。

 村の状況を確認した後、エレナはあっさりと命令を下した。


「村人たちを今すぐに逃して」


「それは構いませんが――追いつかれますよ……?」


 尋ねてくる女騎士にエレナはためらいなく言い放った。


「ここで足止めをすればいいんでしょう?」


「……この村を枕に討ち死にですか……騎士の本懐ではありますが、しかし、今の兵力でどれだけの時間が稼げるか……」


 声を沈める女騎士に、エレナはキョトンとした顔でこう言った。


「……え、死ぬつもりなの?」


「……? 普通に考えると、死にますよね?」


「死なないわよ。あなたも、私も。ようは正面から激突せずに相手を足止めすればいいんだから。そうそう、残す人間は馬に乗れる人間だけね。一気に逃げるんだから」


 エレナの作戦はシンプルだった。

 グプタの兵たちが無人の村に入り込んだ後、頃合いを見て、村の外から火矢を放ったのだ。木造の家はあっという間に燃え盛り、油断していたグプタの兵は真っ赤な炎に飲み込まれた。それは大打撃というほどではなかったが、進軍を遅らせる効果には充分だった。


「はあ、我ながら、しょぼい策だなあ……」


 馬を走らせて逃げながら、エレナは大きなため息をこぼす。

 歴史を彩る名軍師たちの策略と比べるのも恥ずかしい。


 などと謙遜、あるいは自虐しているが――時期的に地域の空気が乾燥していて火が燃え広がりやすいこと、近くに森があるので撤退時はそこを使えば容易に追えないこと、弓の扱いに長けた狩人たちが村に何人かいたこと、火矢を作るためのマツヤニが豊富にあったこと……それらをあっという間に調べ上げて作戦を組み上げたのだから、平凡であるはずもないのだが。


 本人的には、やれやれ終わった、はいお役御免! という感じだったが、残念ながらそうはならなかった。


 王都に戻ると、


「エレナ・ヒストリア! 彼女こそが全滅寸前の村を救った才女である! 讃えよう、彼女の功績を! これからは敬意を込めて呼ぶとしよう、セフォンの小聖女と!」


「はい?」


 などと思いっきり褒められた。

 ちなみに、小聖女という呼称がエレナ的に微妙だ。


(いやいやいや! 小さいって、どゆこと!? むしろダサくない!?)


 それ以降、一目置かれるようになったが、静かに目立たず暮らしたいエレナには鬱陶しいだけの肩書きだった。で、その肩書きゆえに、エレナはモルモット――もとい、第三王子の妃として選抜されたらしい。

 そして、裏の事情もまた聡明なエレナは見抜いていた。


(これ、一石二鳥作戦だよねー)


 第一に、ラフバーン伯爵の意趣返しである。

 無様に逃げて――せめて村が全滅していればラフバーン伯爵の判断もケチがつかなかっただろうが、素人の子爵令嬢があっさり退却を決めて尻拭いをしたのである。

 完全にメンツは丸潰れ。

 そのお返しがこれだろう。

 おまけに、どうやら決定権があるらしいレクトン公爵の派閥にラフバーン伯爵は所属している。公爵からしても、部下への恩売りもあるのだろう。


(逆恨みじゃなくて、感謝くらいしてよね!)


 そう思うけども仕方がない。これもまた社会の不条理というやつだ。

 そして、第二に、彼ら以外の高級貴族も当然、自分たちの娘を差し出すのが嫌なのだ。

 当然だ。どう考えても危険が多い。致死率120%。100%を超えているのはミスではない。それくらいに危ない。同居人が危険すぎるのもあるが、そもそも、この和平自体がきな臭い。200年の怨敵との平和など望まない人も多いのだ。

 彼らにとって、和平を象徴する婚姻とは?

 和平を象徴するカップルの片割れが死んだとしたら?

 和平を終わらせるには、どうすればいい?


(どう考えても、心休まらないよねえ……)


 仲のいいおじいちゃんおばあちゃんになる――その未来に至る道が困難すぎる。主に命的な意味で。

 そんなところに、目に入れてもかわいい娘を送り出したい親はいないだろう。だけど、相手は第三王子――それなりの格が必要だ。

 当たり障りのない家の出身だけど、個人的に何かしらの格を持つ娘。

 そんなやついたかなあ……。

 あ、いたわ。

 小聖女なんて、小っ恥ずかしい2つ名をもらった娘が!


(ああ、もおおおおおおお! ……おっさん貴族どもが悪巧みする様子が目に浮かぶ!)


 理不尽である。傍若無人である。

 目の前のおっさんをぶん殴りたい。

 しかし、相手は王国でも最高格の公爵家で、エレナの家は傾きかけた子爵家である。ストレートな怒りをぶつければ、取り返しのつかないことになる。

 ふぅぅ……と深呼吸してから、令嬢力を振り絞って丁寧な口調でエレナは尋ねた。


「……お尋ねしますけど、私に拒否権はありますか?」


 レクトン公爵はにっこりと笑みを浮かべてから、こう言った。


「私は言ったはずだ。『グプタ皇国の第三王子と結婚することになったぞ』と」


 断定形。すなわち、


「もう決定事項ということですね」


「その通り。これは国事だ。貴族としての責務であり誉れではないかね? ヒストリア子爵令嬢?」


 あんたがそれを言うなよ、私的に職権乱用している癖に! とは思いつつも、今の段階ではどうしようもない。

 エレナはため息を噛み殺し、優雅な仕草で腰を折った。


「……大命、謹んでお受けいたします」

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