僕の生きた十二年
秋晴ライヲウ
僕が生きた十二年
僕の一番大好きな思い出は小学二年生になるまで家族三人で過ごした時の記憶だ。
僕が育ったのは自然と活気ある街が調和しているS県H市だった、僕はこの街で八歳まで過ごした。
父親は作家で、売れていたかどうかはわからないが暮らしに不自由は無かった、というよりも幼かった僕には父親の職業がどんなものなのか知らなかったのだ。
母親は僕が産まれるまで舞台女優として活動していたと聞いている、たしかに同級生から羨ましがられるくらいに綺麗な母親だった。
いまでもこの頃の父親と過ごした時間は同級生に誇れる思い出だ。
これは僕の憶測だが、仕事はそれほど忙しくはなかったのだと思う。
いや、忙しい日もあった。
毎週末のように父親は僕と川遊びや釣り、野鳥の観察や天体観測に連れて行ってくれた。
あまりに僕を連れ出すので母親が、
『〆切りは大丈夫なの?』と心配していたものだ。
そういった時、父親は決まって
『大丈夫、戻ってからやるよ』
と言っていた。
そんな父親を僕は大好きだった。
まぁ、僕と遊ぶ時間に費やした父親は夜遅く、ときには朝方まで執筆作業をしていた記憶がある。
僕は母親の作ってくれたシチューが好きだった。
台所に立つ母親が微笑みかけてくれる姿は今でも瞼に焼き付いている。
僕はそんな幸せなありふれた生活がずっと続くと思っていた。
小学二年生にあがる頃、父親の仕事にひとつの転機が訪れた。
父親の作品を気に入ってくれた人から、僕たち家族が住める場所を提供するから東京に来て欲しいと言われたらしい。
この話しを聞いた母親はよろこんでいた。
僕は東京がどんな場所かわからなくて、同級生と離れる寂しさや大好きな自然の景色を見れなくなる事が正直嫌だった。
父親は悩んだ末に家を売り払い東京へ行く決心を決めた。
東京での生活は今までとは一変していた。
父親は一作品書く毎にお金をたくさん貰える様になり毎日忙しそうに執筆していた。
母親も東京の暮らしが気に入ったようで美容に一層気を使うようになっていた。
そういった事情もあり、東京に来てから僕たち家族は少しづつ三人で居る時間は減っていた。
十分なお金が入るようになったからか母親はブランド物を身につけるようになり、近所の人たちと【お茶会】を開くようになっていた。
父親は仕事関係の人たちと話しをする事が増え、その人達の事務所へ行く日は朝から家の中の空気がピリピリしていた。
特に電話をしている時の父親は、東京へ来るまで見たことのない口調と声で話しをするので、幼いながらも仕事の大変さと環境の変化が影響しているのだろうと感じていたのだ。
東京での暮らしが一年半くらい続いたある日、学校から帰宅するといつもと違う雰囲気に気づいた。
父親は本棚の書類を慌ただしく鞄にしまってい携帯電話を踏んで壊していた、父親は僕と目が合う扉を慌てて閉めて電動ドリルを使い何かに穴を空けていた。
その日の事はあまりに衝撃的で今でも夢に見る。
父親はたぶん…
パソコンのハードディスクに穴を空けていたと思う。
夜遅く、眠っていた僕は起こされた。
『起きなさい、出掛けるよ』
父親に肩を揺すられ目を覚ます。
眠い目を擦りながら久しぶりに天体観測でも行くのかと思ったが母親も一緒だった。
『何でこんな事に…』
母親は泣きそうな声で一言呟いた。
訂正する。
母親は涙を零しながらそう言っていたんだ。
夜逃げ。
よくわからないながらも、今、目の間で起きている事はそれだと何となく理解した。
父親からは手に持てない荷物は全て置いていくように言われた。
母親はブランド物の高そうな物を大きいバッグに詰め込んで車に乗り込んだ。
転校して同級生に会えなくなるのは二回目で、今回はそんなに寂しくは無かった。
むしろワクワクするような気持ちになっていたのだ。
これからの生活がどうなるかより、この家族三人で昔みたいに一緒に暮らせるなら僕は幸せだった。
新しい土地での生活は昔よりも質素なものだった。
父親は工場に勤め始め作業服姿の父親には見慣れなさも相まって笑ってしまったものだ。
母親は日中パートをして夜は飲み屋にも働きに出る日もあった。
僕は両親に気を使わせないようにと、ご飯の支度や洗濯など出来る事を率先して手伝った。
この頃になると母親と父親が会話をしている姿は見かけなくなっていた。
そんな新しい生活にも慣れ始めた頃。
僕たちのもとに東京から前の仕事関係の人たちが訪ねてきた。
父親はその人たちと口論の末、また一緒に仕事をすると言う。
僕は、その仕事関係の人たちが正直嫌いだった。
怖そうな顔と大きな声、常に携帯電話とタバコを持ち手や足にタトゥーを入れていた。
笑っていても何処か怖さの残る、警察官や消防士に憧れる年代の子供からは嫌われるタイプの人柄というものを詰め込んだ人たちだった。
父親が元の仕事に戻ると苦しかった生活が楽になった。
お金が前よりたくさん入るようになり、母親は自堕落な生活を愉しんでいるように見えた。
そして運命の日がきた。
朝七時頃だっただろうか、学校の支度をしていると玄関で声がした。
外も騒がしい、カーテン越しに人の気配を感じた。
『警視庁、捜査二課の……』
警察。
刑事だった、僕は聞こえてきた声を盗み聞きした。
両親から部屋から出るなと言われ全神経を耳に集中していた。
暫くして父親は捜査車両に乗せられ何処かへ連れて行かれてしまった。
母親は呆然とした後、方方へと電話をかけていた。
特殊詐欺グループ逮捕
テレビに映っていたのは紛れもなく、この家だった。
それからのことは余り記憶がない。
母親も僕も放心状態だった。
いや、母親は薄々気づいていたのか。
または、東京から夜逃げする時に聞かされたのか。
それも済んでしまった事だ、もうどうでもいい。
父親と面会する為に警察署へは一度足を運んだ、東京へ移送される前に会っておきたかったからだ。
それから父親の弁護をしてくれる弁護士さんと母親は毎日のように話しをしていた。
東京の仕事関係の人たちも捕まったという話しはニュースを見て知った。
父親が詐欺グループに加担していた事以上に、逮捕された事のショックの方が大きかった。
僕は裁判が始まる頃には学校に行かなくなっていた。
母親も色々苦労をしたようで数ヶ月で牛蒡のように痩せていた。
騙し取った金額は大きく、組織も巨大である事から父親の重罪は確実だと聞いた。
父親は作家だ、文才があった。
父親が書いたシナリオやストーリーを掛け子が詐欺に使っていたのだ。
最初は父親も何に使われていたのか知らなかったのだろう、それを知って東京から逃げたという経緯だ。
程なくして父親の刑が決まり八年の刑期が言い渡された。
この日、母親は離婚届を提出した。
それからの僕の人生は光りのように早く過ぎ去り、糞を詰め込んだ袋を踏んだ靴のように周囲から疎まれた。
母親は飲み屋で出逢った悪い男と同棲を始めた。
その男と行為に及んでいる間はご飯代を渡され外へ出される。
母親はその男からクスリも教わったようで、以前とまったく別人のような女性になってしまった。
売春やアダルトビデオにも出演させられ程無くして病気患った。
そして、僕は誰かに殺された。
恨みは買っていたと思う、父親も母親も僕も。
父親は騙し取った金額を返済できず、残された僕たちは被害者から罵声を浴びせられ続けた。
社会の目も厳しく、家や名前が公表され住む場所を追われ続けた。
母親も不自由の無かった暮らしが捨てられず、自暴自棄になった頃に周りから恨みを買ったらしい。
僕もまた不良な性格になった事で、危険な人間関係と場所へ足を踏み入れていた。
殺される理由と可能性は数え切れない。
ただ、冷たい地面に沈みながら思い出すんだ。
家族三人で過ごした時の事を。
みんな、ごめんなさい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あとがき (本文3000文字)
読んでいただきありがとうございます。
昨今の特殊詐欺事件違った視点から書いたお話です。
幸いにも私の周りに被害にあった方はいないのであくまでも想像で書かせてもらっています。
ご観想頂ければありがたく読ませていただきます。
僕の生きた十二年 秋晴ライヲウ @raywhou
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