第39話 鍵を狙う者②
ヴィリニュスの屋敷の最上階、屋根裏部屋と思しき場所にある丸い窓から、ミハウの顔がヒョコリと覗く。
その顔はどこか必死で、どうやら力一杯窓を叩いているようだ。
ロキースが耳を澄ませると、ミハウの声が微かに聞こえる。それから、こんな時でも冷静なエグレの声も。
『鍵、取り戻したんでしょ! 僕が壊すから、ここまで持ってきて!』
『魔笛はルタ様がお持ちのようです。屋敷を通ってここへ来るのは少々危ういかと。お嬢様なら、得意の弓技でここまで飛ばせるのでは?』
ロキースはなるほど、と頷いた。
確かに、エディほどの腕前であれば、彼らがいるところまで鍵を飛ばせるだろう。
だが、とロキースは思う。
フーフーと猫のように威嚇しながら声を荒らげる彼女が、果たして彼らに気付いているのか。それが問題である。
「エディ」
エディに気付いてもらいたくて、ロキースは名前を呼ぶ。
彼女は父親から目を離さないまま、「なに?」と短く答えた。
「俺が、好きか?」
「うん……って、はいぃ?」
まさかこんな場面でロキースがそんなことを聞いてくるとは思ってもみなかったエディは、素直に頷いてからギョッとした顔で彼を見上げた。
「うん。俺も」
ロキースは、それはもう清々しい笑みをエディに向けると、彼女を見つめたまま、彼女にだけ聞こえる声で囁いた。
体を屈めて顔を近づけた二人は、傍目から見ればキスをしているようにも見えたかもしれない。
丸窓から「はぁぁぁ?」とミハウの怒りの声が聞こえたが、ロキースは無視を決め込んだ。
「屋敷の最上階にある丸窓。あそこでミハウが鍵を壊すから寄越せと言っている。エグレが、きみならここまで飛ばせるはずだと言っているが……出来そうか?」
「丸窓?」
エディがチラリと上階を見上げると、ミハウと目が合った。
ギリギリと歯軋りしているような不穏な視線は、遠く離れたここまでしっかりと届く。
待っていましたというように、丸窓が開かれる。
あそこへ、矢を放てというのだろう。
エディの技術でも、届くか届かないかといった距離。
「屋敷に入って届けた方が確実なんじゃ……」
「屋敷の中には、魔笛を持ったルタがいるそうだ」
「うわ、面倒な……」
出来ることなら二度と会いたくない相手が、持っていて欲しくない物を持って待ち構えているなんて。最悪としか言いようがない。
コソコソと話し合う二人に、チャンスだと思ったエディの父が威勢良く突っ込んでくるのが見えた。
ロキースはエディから離れると、突っ込んできた父をどっせいと持ち上げた。
「あぁぁぁぁ! は、離せぇぇ!」
なんとも情けない父の声を聞きながら、エディは背負っていた弓矢を取り出した。
矢筒から矢を取り出し、予備に持っていた弦で鍵を縛り付ける。
「おい、お前! 一体何をしている!」
離れたところで傍観していたマルゴーリスが、ここでようやくエディがしようとしていることに気がついた。
だが、もう遅い。
あっという間に弓に矢をつがえたエディは、真っ直ぐ丸窓を見据えている。
いち、に、さん、よん……狙いを定めて、矢を放つ。
エディの放った矢は、まっすぐ天に向かって飛んでいく。
いけるところまで上がっていって、それから緩やかに弧を描いて落ちて──丸窓の中へ吸い込まれるように入っていった。
「ルタァァァァ! 一体なにをしている! 早く、早くあの子供のとこへ行け! 鍵はそこにある! 急げぇぇ!」
屋敷に響き渡る怒声に、ルタはビクリと体を震わせた。
父親の激昂した声など、生まれて初めて聞く。
驚いて呆然とする彼女に、マルゴーリスは「早くしろ!」と急きたてた。
「あ、あの、子供とは……」
「ミハウだ! エディタが鍵を矢に括り付けて、屋根裏部屋まで飛ばしたのだ。今、鍵はミハウが持っている。早く案内しろ。あれさえあれば、魔笛は私たちのものになるのだからな」
「わ、分かりましたわ!」
マルゴーリスの邸宅よりも小さな屋敷だが、ここもそれなりの広さがある。
初めて来た者は、案内なしで屋根裏部屋には行けるはずがない。
ルタの案内で屋根裏部屋まで辿り着いたマルゴーリスは、余裕のない声で早く開けろと喚いた。
父親の剣幕にオドオドしながら、ルタは持っていた鍵を差し込むが、扉は開かない。
「どうして……!」
ガチャガチャと鍵を回すと確かに解錠の音がするのに、扉はびくともしなかった。
「ちょっと! どうして開かないのよ。開けなさいよ、ねえ!」
力任せに扉を叩いたら、中からガタガタと何かが崩れる音がした。
もしかしたら、バリケードがあるのかもしれない。
「お父様……部屋の中に障害物があるようで、開きません」
「なんだと? ルタ、邪魔だ。どいていろ!」
苛立ちがピークになったマルゴーリスが、ヤケを起こしたように扉に飛びかかる。
突き飛ばされたルタが悲鳴を上げて床に倒れ込んだが、マルゴーリスは彼女に目をくれずに扉に挑み続けた。
何度目かにようやく扉が開き、ガラガラと何かが崩れ落ちる音がする。
「鍵を寄越せ!」
部屋に飛び込んだマルゴーリスは、開口一番そう言った。
そんな彼に、部屋の奥で椅子に腰掛け優雅に足を組んでいたミハウがニコニコと笑う。
「鍵?」
少女のような顔で、コテンと可愛らしく小首を傾げて。
「もしかして、これのことかな?」
握りしめていた手を、ゆっくりと開く。
そこにあったのは、焼け溶けた金属のかたまり。
原型が分からないくらい溶かされたそれは、もしかしなくともヴィリニュスの鍵だろうか。
マルゴーリスは、「有り得ない」と呟いた。
「有り得ない? でも、残念。僕には可能なんだよ。ああ、良かった、先祖返りで。この力があったから、エディタは好きな人と生きていけるのだもの」
──ボッ。
ミハウの指先から、炎が現れる。
ユラユラと揺れながら大きくなった炎が、大きな口を開けてニタァと笑んだ。
「ねぇ、おじさん、知っている? ヴィリニュスは、魔狼の血筋なんだ。たまに僕みたいな、先祖返りが生まれるのだけれど……魔笛はね、そんな先祖返りが人を襲わないために、もしもの時の抑止力として作られたものなんだよ。でもさ、おじさんは魔笛を何のために使おうとした?」
「私の調査によりますと、彼は魔獣を
「そんなことをされたら、困るよねぇ」
「ええ。お嬢様が悲しみますね」
「そうなんだよ! 僕はね、エディタには幸せな結婚をして貰いたいの。だって、僕の大事な
──ボッボッボッ!
ミハウの指先から炎がいくつも生まれて、ひとかたまりになる。
炎は狼の形になると、鋭い牙を剥き出しにしてマルゴーリスに飛び掛かった。
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