第35話 鍵を探して①

 結局、ロキースは悶々とした夜を過ごした。

 好きな女と一緒にベッドで寝ているのに、ただ抱きしめているだけなんて。拷問である。


「ロキース。朝だよ、起きて?」


 明け方にようやく意識が混濁してきて、気絶するように眠りに落ちたロキースは、エディの可愛らしい声で目を覚ました。

 寝ぼけ眼で欠伸をすれば、「大きな欠伸!」とエディが笑う。


 無邪気に笑う彼女が愛おしくて、そして少しだけずるいと思った。

 だってロキースは、悶々とした夜をただ静かにすることだけに注力して過ごしていたのに、エディときたら安心しきった顔でスピョスピョと寝ていたのだ。


 ちょっとくらい。

 ほんの少しの悪戯心。

 クスクスと笑うエディをベッドに引っ張り上げて、まろい額におはようのキスを贈る。


「ふふ。くすぐったいよ、ロキース」


 笑いながらベッドを降りていくエディを、追いかけるようにロキースもベッドを降りた。


 あぁ、結婚したらこんな感じなのだろうか。

 未来に想いを馳せて、ロキースはフニャリと無防備に笑った。


 そんなロキースの無防備な顔をうっかり見てしまったエディは、顔を真っ赤にして階段を降りていく。

 熱を帯びる頰に手を押し当てて、たまらない様子で「もう……」と呟いた。


 一階へ降りると、ロキースの鼻に届いたのは美味しそうな匂いだった。

 こんがり焼いたベーコンと卵、それから蜂蜜たっぷりのトーストの匂いに、ロキースはいそいそとテーブルに近寄る。


 ほんのちょっと焦げた卵はご愛嬌だろうか。

 エディが作ったというだけで、ロキースにとっては一流料理人が作ったものよりもご馳走になる。


「勝手に食材とか使っちゃって、ごめんね? 苦手なものが無ければ良いのだけれど」


 ソファに腰掛けておずおずとそう言ったエディに、ロキースは「いや……」とだけ答えた。

 だって彼の胸の内は、感動でいっぱいだったのだ。


 エディが俺のために朝食を作ってくれた!

 ありがとう、神様! ありがとう、エディ!


 ロキースはらしくもなく、心の中でダンスを踊った。


 エディお手製の朝食を食べて、改めて今日の探索について話し合う。

 昼間のうちに移動して、待ち伏せる。目的地にやってきた鍵の持ち主に、鍵を返してもらう。ただ、それだけだ。


「魔獣が襲ってくるかもしれない。基本的に俺がなんとかするつもりだが、もしもということも考えられる。だから、これを持っていてくれ」


 そう言って渡されたのは、エディが愛用している弓矢と同じものだった。

 矢のサイズは通常、使用者の体格に合わせて作る。左の指先から、右の肩まで。矢をあててみたら、驚くことにぴったりサイズだった。


「うわ、ぴったり」


「大丈夫そうか?」


「うん、問題ない」


「そうか」


 満足げに頷いたロキースを先頭に、ヴィリニュスの鍵を取り戻すための冒険は始まった。


 ロキースの縄張りを出ると、周囲の気温がグッと下がる。

 縄張りの中はいつも春のように暖かかったから、エディはブルリと体を震わせた。


 地熱を調整していると言っていたから、それがなくなったのだろう。

 持っていたロングケープを纏い、エディはロキースのあとに続いた。


 縄張りを出た魔の森は、冬の様相である。

 葉のなくなった枝は、まるで皺だらけの老人の手のよう。冬独特のグレーがかった空を隠そうとしているように、伸びていた。


 言葉少なに、ロキースは魔の森を歩く。

 その手にはしっかりと、エディの手が握られていた。


 魔の森は、奥へ行けば行くほど魔素が濃くなる。

 視界が悪くなるのと同時に、濃い魔素が人の精神に干渉して、魔力耐性のない者を惑わせるのだ。


 エディは多少魔力耐性があったが、耐えられるのはせいぜいロキースの家くらいまでだ。

 それ以上となると、森に惑わされ、迷子になる。

 ロキースの手は、エディにとって命綱のようなものだった。


「ねぇ、ロキース。ここから魔獣の寝床まで、どれくらいかかるの?」


「そうだな……一直線で向かっているから、あと二時間くらいだろうか。大きな障害物はなさそうだから、それ以上かかることはないはずだ」


 ロキースは道中、何度か立ち止まっては、しゃがみ込んで地面に手をついた。

 前にヴィリニュスの鍵の在り処を探す時もそうやっていたな、とエディは興味深げに眺める。


「? どうかしたか、エディ」


「ん? ああ、いや……それやっている時のロキースって、綺麗だなぁと思って」


「そうだろうか……?」


 占い師が水晶玉に向かう時のように、神妙な顔つきで地面を睨むロキースは、いつもの穏やかで優しげな雰囲気とも違い、どこか浮世離れしているように見える。

 桁外れの美貌に神秘的な雰囲気が加わって、まるでお伽噺に出てくる妖精のようだ。

 触れたら鱗粉だけ残して消え去ってしまいそうで、エディは引き止めるように慌てた様子でロキースの手を握る。


「ロキースはさ、地面に手をついて何をしているの?」


「今は、鍵が移動しているのを確認していた。鍵は順調に、いつもの場所へ向かっている」


「そっか」


 気持ちを鎮めるように、エディはロキースから貰った弓を抱きしめる。

 最短で、二時間。

 その後に待っているのは、魔獣との戦闘だろうか。


(ロキースは、僕が魔獣を仕留めてもなんとも思わないって言っていた。けれど、やっぱり僕は、彼の前で魔獣に弓引くのは気が引ける……)


 出来れば穏便に済みますように、とエディは祈るように天を仰いだ。

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