第32話 鍵の秘密

「もう! なんなの、あのババァ! 僕のエディタに喧嘩を売るなんて、何様のつもり⁉︎」


「ミハウ様」


「分かってるよ。もう僕のじゃないって言うんでしょ」


「いいえ。もともとお嬢様はミハウ様ものではございません」


「うるさいよ、エグレ」


「申し訳ございません」


 夫婦漫才のようなやりとりを背景に、エディは思案していた。


『また日を改めて』


 ルタはそう言っていた。エディは二度としたくないと突っぱねたけれど、同じ屋根の下にいれば嫌でも機会は生まれてしまう。

 なにより気がかりなのは、あの宣戦布告するような不敵な笑みだ。

 まるで、エディからロキースを奪うことなんて簡単だと言っているようだった。


 でも、彼女は言っていたのだ。獣人は生涯でたった一度だけ恋をする、と。


「つまり、ロキースは僕にしか恋をしないということ。じゃあなぜ、ルタが身代わりになれるんだ……?」


 人間と違い、魔獣の恋は盲目的である。

 そんな彼らが恋した相手に取って代わることなんて、可能なのだろうか。


「あぁ、それね。僕なら説明出来るかも」


「ミハウが?」


「うん。おばあちゃんがね、ずっと昔に言っていたんだよ。ヴィリニュスの鍵の秘密を」


「ヴィリニュスの鍵の、秘密……?」


 エディはそんな話、聞いたことがなかった。

 家族の中で祖母のエマと一番親しくしているつもりだったエディは、少しだけ寂しく思う。


(ミハウには話せて、僕には話せないこと……?)


「そう。ヴィリニュスの鍵は、防護柵の鍵なんだけど……実は、とある楽器の一部らしい。その楽器っていうのが、魔笛まてき。魔獣を意のままに操ることが出来る、恐ろしい笛なんだっておばあちゃんは言っていた」


 魔獣を意のままに操ることが出来る笛、魔笛。

 初めて聞く話に、エディは驚きを隠せない。

 でも、もしもそんな笛が実在するのだとすれば。


(ルタは、ロキースを、意のままに操ることが出来る?)


 エディの脳裏に、ロキースにしなだれかかるルタの姿が浮かぶ。


(嫌だ。やめて。ロキースを、僕から奪わないで!)


 考えるだけで、胸が苦しくなる。

 自分を見つめていたように、蜂蜜みたいに甘い目でルタを見るのだろうか。

 あの大きな体で、ルタの細い体を抱きしめるのか。


(そんなロキース、見たくない……)


 ションボリと肩を落とすエディの前に、淹れたての紅茶が差し出される。

 蜂蜜が入ったそれに、涙が出そうになった。

 だって蜂蜜入りの紅茶は、ロキースがよく淹れてくれたものだから。


「ありがとう、エグレ」


「少し、休憩しましょう。お嬢様も、ミハウ様も」


「うん」


「そうだね」


 エグレが淹れてくれた紅茶は、ロキースが淹れてくれたものよりもしょっぱい味がした。






 しばらく無言で紅茶を飲んで。ようやく落ち着いたところで、エディは口を開いた。


「なんで、ミハウが魔笛について知っているの?」


 両親からも兄からも、そんな話は聞いていない。

 もしかしたら隠しているだけかもしれないが、エディはなんとなく、彼らも知らないような気がしていた。


「うーん……これ、あんまり言いたくないんだけどね。僕が虚弱体質なのって、先祖返りだかららしいんだ」


「先祖返りって?」


「ヴィリニュス家には、魔獣の血が流れている。防護柵を作った魔術師っていうのが、初代ヴィリニュス家当主に恋をした魔獣だったんだ。その魔獣の血を色濃く継いでしまった僕の体は、有り余る力を制御するためにエネルギーを使ってしまって、いつも燃料切れを起こしている状態なわけ。それを、おばあちゃんは見抜いていて、その時に鍵の秘密についても教えてくれたんだよ。もしも魔笛が完成したら、僕が操られてしまうかもしれないからって」


「そんな……」


 ミハウの身にそんなことが起こっているなんて、エディは知らなかった。

 どう反応したら良いのか分からず、エディは戸惑う。

 そんな彼女に、ミハウは「僕のことはいいんだよ」と笑った。


「それよりも、問題は魔笛の方。ヴィリニュスの鍵は、おばあちゃんの失踪以来見つかっていない。残りの魔笛の在り処も、おばあちゃんは知らないって言ってた。でもさ、もしも魔笛をルタが持っていたとしたら? エディタに言っていたように、ロキースを意のままに……つまり、エディタに成り代わることだって可能だと思わない?」


「……」


 エディは、まずい、と思った。

 だって、ルタが届けてくれた手紙には、こう書いてあったはずだ。

『ヴィリニュスの鍵を取り戻すために、魔の森で何をしても許す』ということが。


 ルタは、中を見ただろうか。

 ポケットから出した手紙をしげしげと見つめても、彼女が見たかどうかは分からない。


「ミハウ、どうしよう……僕、ヴィリニュスの鍵を探しに行くつもりだったんだ」


「え、どういうこと? 鍵はおばあちゃんが持っているんじゃないの?」


「誰が持っているかは、分からない。けれど、ロキースのおかげで在り処は分かっている。ロスティ側の魔の森に、あるんだ。この手紙は、ヴィリニュスの鍵を取り戻すために取得した、ロスティの許可証なんだよ。僕は迂闊にもこの手紙を失くして……ついさっき、ルタさんが届けてくれた……もしかしたら、彼女に手紙を、読まれたかもしれない……」


 手紙を持つ手が、震える。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 エディの頭の中は、その言葉でいっぱいになった。


 これからどうすれば良いのかなんて、考えられない。

 ただひたすらに、迂闊な自分を責め続ける。


「……ディタ、エディタ!」


 ガクガクとミハウに揺さぶられて、エディは彼を見た。

 まるで迷子のような不安そうな目が、ミハウをぼんやりと見つめる。


「エディタ。こうなったら、ルタよりも先にヴィリニュスの鍵を取り戻すしかないと思うんだ。もしも彼女がこっちより先に鍵を手に入れたら、とんでもないことになる。だって、魔獣を意のままに出来るってことは、魔の森の全ての魔獣を服従させることだって可能なんだ。そうなったら……最悪、戦争にだってなるかもしれない」


 戦争。

 その言葉に、エディの体がビクリと跳ねる。


「ルタの父親のマルゴーリス家当主は、野心的な男だ。ディンビエの国土を広げるために、魔の森を焼き払おうと進言したこともあると聞いている。そんな男の娘が、ヴィリニュスに嫁いでくるなんておかしいと思っていたんだ。あの女、兄さんが好きだからとか言っていたけど、本当は違うのかもしれない。ヴィリニュスの鍵が目当てで、嫁いできたのかも」


「ルタさんは、兄さんのことをつまらないって言ってた……兄さんと結婚したのは、父親が言ったからだって」


「そう……ねぇ、エディタ。ロキースなら、鍵の在り処が分かるんだよね? それなら、一刻も早く、探しに行こう。グズグズしていたら、どうなるか分からないもの」


 ミハウの提案に、エディはコクリと頷き返した。

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