第31話 諦めきれない野望

「ねえさん」


 食堂に入ってきたのは、ルタだった。相変わらず、人妻とは思えない美女ぶりである。

 カツカツとヒールの音を高らかに鳴らして歩み寄ってきたルタは、エディのすぐそばで立ち止まると艶然と微笑んだ。


(僕にそんな笑い方、しなくて良いのに)


 エディは、色気の無駄遣いだと思った。

 だってエディは女だ。こんな身なりでも。


「これ、あなたのでしょう?」


「それ……!」


 そう言って差し出してきたものを見て、エディは引ったくるようにルタの手から取った。


 ルタが持ってきたもの。それは、エディがロスティから貰った許可証だった。

 ヴィリニュスの鍵を取り戻すためには、なくてはならない大事なものである。


 てっきりポケットに入っていると思っていたが、もしかしたら昨日の追いかけっこの途中で紛失したのだろうか。

 手紙を大事そうに抱え込むエディに、ルタは唇に指を添えてクスリと笑んだ。


「あらあら、そんなに大事なものだったの? そんなに大事なら、失くしちゃダメよ」


「そうだね、ごめんなさい。届けてくれて、どうもありがとう」


「いいえ、お礼なんていいのよ。でも……その代わりと言ってはなんだけれど、一つ、聞いても良いかしら?」


 ルタの言葉に、エディは嫌な予感しかしない。

 彼女の聞きたいことは、いつだってろくなものじゃないからだ。


(リディア以上に面倒な内容なんだよね……)


 とはいえ、大事なものを届けてもらった礼はするべきだろう。

 身内とはいえ、礼儀は大事だ。特に、相手は家格が上の兄嫁である。逆らったら、両親や兄に何かあるかもしれない。


「聞きたいこと? 何かな?」


「昨日、あなたとリディアが追いかけっこしていた男の人たち……あの人たちって、獣人じゃない? 私、見ちゃったの。彼らには、獣の耳と尻尾があったわ。ねぇ、あの人たちって、獣人なのでしょう?」


 どうやらルタは、昨日の騒ぎを見ていたらしい。

 村を横断するように逃げていったから、見られていてもおかしくはないのだが。


 美形二人がエディとリディアを追いかけていた。

 そんな面白そうな事件、噂好きのルタが黙っているわけがない。


(それに……見ちゃったのなら、今更誤魔化しても無駄だよね)


 そう思ったエディは、素直に「そうだよ」と告げた。

 ルタはそんなエディに、一歩近づく。ふわりと漂ってくる香水の香りに、エディは鼻に皺を寄せた。


「二人いたけど、もしかして、リディアとあなたの獣人なの?」


「リディアと僕の獣人? どういう意味だよ、それ」


「そのままの意味よ。獣人は、生涯でたった一度だけ恋をする。それはもう、一途にね。失恋したら消滅してしまい、恋が成就したとしても、恋した相手が死ねば寂しくて死ぬ。人間の恋なんてすぐに冷めてしまうけれど、獣人の恋は一生もの! しかも獣人は恋した相手に合わせた美人になるのでしょう? ねぇ、どちらがエディのもので、どちらがリディアのものなの? 私、気になって気になって、夜も眠れないわ!」


 ルタの目は、何かに取り憑かれたように血走っている。

 こんな彼女は見たことがなくて、エディは逃げ腰になりながら問いかけた。


「あの、ルタ?」


「なぁに、エディ」


「なんだか様子がおかしくない?」


「そうかしら? でも、そうかもしれない。だって私、嬉しくて仕方がないの。ずっとずっと、獣人との恋に憧れていたから」


「でも、ねえさんは兄さんと結婚して……」


「そうよ。お父様がそうしろって言うから。でもね、もしかしたらチャンスがあるかもしれないと思っていたの。だって、トルトルニアは魔の森と隣接しているし、ヴィリニュスの鍵は紛失していて魔の森には出入り自由! 私、いつも思っていたわ。いつか魔の森から、私だけの王子様がやって来て、ここから連れ去ってくれるのではないかって!」


「は……え……?」


 真っ赤な唇が、それは嬉しそうに語り続ける。

 レオポルドとルタは相思相愛だと思っていたエディにとって、彼女の言葉は衝撃的なものだった。


 混乱しながらも理解したことは、ルタとレオポルドが相思相愛ではないということ、ルタは獣人に対して相当な思い入れがあるということくらいだ。


「え……兄さんが好きだから結婚したんじゃないの?」


「レオポルド? そんなわけないじゃない。あんな、つまらない人。お父様がどうしてもというから、それっぽく迫っただけよ」


(本当に、兄さんのことがどうでもいいんだ……)


 父親に言われたから。きっとその通りなのだろうとエディは思った。

 だってレオポルドのことを話すルタは、つまらなそうだった。獣人のことを語る熱量が十だとするならば、一にも満たない。


(これは、僕への罰?)


 信じられない言葉の数々にエディは混乱し、その挙げ句にこれは罰ではないかとまで思った。


 エディはロキースと出会ったばかりの頃、ルタなら彼とお似合いなのにと思ったことがある。

 全身全霊でエディに恋をしてくれるロキースに対して、そんなことを考えた罰なのではないか。


 それでも、とエディは拳を握る。


(でも、渡せない。だって僕はもう、ロキースから離れたくないんだもの)


 ロキースの隣にルタを思い浮かべた時だって、結局は苦い気持ちになっただけだった。

 思えば、その時から予兆はあったのだ。エディがロキースに恋をする、そんな予兆が。


(ロキースは渡さない。誰にも!)


 たとえ相手が才色兼備の、【お嫁さんにしたいトルトルニアの女性】ナンバーワンでも、譲れないものは譲れない。

 一瞬へこたれそうになったエディだったが、ロキースへの気持ちを糧に立ち上がった。


「ねえさん。リディアの相手と僕の相手を知って、どうするつもりなの?」


「そんなの、決まっているわ。リディアは美形が好きだし、きっと上手くいく。だけどねぇ、エディ。あなたは、お祖母様が見つかるまで男の子でいるのでしょう? だから、私が身代わりになってあげる。私は家柄も容姿も、教養も、何もかもあなたより優れているわ。紹介さえしてくれたら、あとは私がなんとかしてあげる。だから、ね? あなたに恋をした相手、私にちょうだいな」


 ルタはまるで、菓子でも強請るように軽く言う。

 それがどうしようもなく、エディには腹が立った。


「ちょうだいって……ロキースはものじゃないんだよ?」


 エディが目を吊り上げて睨みつけても、ルタはちっとも動じない。

 レオポルドのことを語った時のように、つまらなそうな目でエディを見下ろしてくる。


「ふぅん。ロキースっていうの。変な名前ね。でも、いいわ。そんなこと、些末なことだもの。重要なのは、獣人ということだから」


「獣人なら、誰だって良いの?」


「いいわよ。それくらいなら目を瞑れるもの」


「誰だって良いなら、ロキースじゃなくたって良いでしょ」


 そうだ。そんなに獣人が好きなら、魔の森へ行って、好きになってもらえば良い。

 果たして彼女のような人が、魔獣に恋をして貰えるかあやしいところではあるけれど。


 そう思って言った言葉だったが、ルタは違う意味で捉えたらしい。

 ルタの目は笑っていないのに、唇がニタァと笑みを浮かべる。


 気持ち悪い。

 まるで人形のようだとエディは思った。


 体を揺らすとまぶたが開閉する人形。小さな頃、夜に見ると泣き叫びたくなるほど苦手だったそれに、今のルタは似ている。


「じゃあ、リディアの相手を狙って良いの? あなたの大事なお友達なのでしょう? 彼女が傷ついても構わないってこと? あぁ、やっぱりあなたも女なのね。自分の相手が取られるくらいなら、他の女が不幸になる方がマシだと。たとえそれが親友の相手だとしても、構わないのだわ」


「そんなこと、僕は一言も言っていない! リディアの相手も、ロキースも駄目に決まっているだろう。それ以外の、魔の森にいる魔獣を相手にしろって言っているんだ」


「嫌だわ、エディ。あなた、知らないの? 魔獣はね、そう簡単に人を好きになったりしないのよ?」


「知っていて、言っている」


 ギリギリギリ。

 交わった視線が、相容れないもの同士のように引き攣れて捻じ曲がる。


 それまで感情のないように見えていたルタの目が、忌々しげにエディを睨みつけた。

 赤い唇を噛み締めて、怒っているのか、鼻がピクピクしている。


「意地悪な子」


「意地悪で結構。夫がいる身で、他の男に奪われることを夢見ている方がもっと悪いよ」


「だって、レオポルドはつまらない。夢見るくらいなら誰にも迷惑をかけていないでしょう?」


「妄想だけなら、ね。でもねえさんは……いや、ルタさんは違う。僕からロキースを奪おうとしているじゃないか」


「だって、あなたはいらないでしょう? どうせ消滅してしまう運命なら、私を代わりにして生きながらえる方が幸せよ」


 ルタの言葉に、エディは激昂した。


(消滅なんてさせない! だって僕は、ロキースのことが大好きなんだから!)


 立ち上がった衝撃でテーブルが揺れて、カフェオレボウルが床に落ちる。


「ロキースは僕のものだよ。あんたなんかにはあげない!」


 ──ガシャァァァン!


 エディの叫び声といっしょに、ボウルが割れる派手な音が食堂に響き渡った。


「何があったのですか⁉︎」


 音に気付いたエグレが、食堂に駆けつけてくる。

 その後ろからゆっくりと追ってきたミハウは、エディの様子を見て何か気付いたのだろう。エディと同じように目に怒りを滲ませて、ルタを睨んだ。


「なんでもないわ。ちょっと、口喧嘩をしてしまっただけ。ごめんなさいね、エディ。この話は、また日を改めてしましょう」


「二度としたくない」


「……」


 ルタはエグレにニッコリと微笑んで去っていった。

 ミハウの隣を通過した瞬間、彼女は振り返ってエディに微笑んで見せる。

 それは、宣戦布告のような、不敵な笑みだった。

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