4章
第30話 恥ずかしい妄想
夜勤明けの仮眠から目を覚ましたエディは、食堂で眠気覚ましのミルクたっぷりなカフェオレを飲んでいた。
カフェオレボウルを両手で包み込むように持ちながら、フウフウと息を吹く。甘いミルクとほろ苦い珈琲の匂いが、いつもの通りに彼女の鼻をくすぐった。
「……ふぅ。どうしたものか」
カフェオレをチビチビと舐めるように飲みながら、エディはカフェオレボウルの縁を指で撫ぜた。
ロキースに指を噛まれ、恥ずかしさのあまり逃げ帰ったのは、昨日のことである。
どうしたものかとは、もちろんロキースについてだ。
「今度こそ、間を置かずに行った方が良いことは分かっている……」
間を置けば、また同じことの繰り返しだ。
それだけはないようにしなくてはと思うのだが、また襲われたらどうしようと気恥ずかしさがあるのもまた事実。
(嫌というわけじゃあ、ないのだけれど……でも、いくらなんでも早過ぎるよ。気持ちを自覚して、これから少しずつ距離を詰めていけたらいいなって思っているところなんだから)
一足飛びに関係を進められても、困る。
ロキースはロキースで大変かもしれないが、エディだって大変なのだ。
(ロキースが焦る気持ちも分からなくもない。だって僕は今まで、ロキースに対して酷い態度を取っていたのだもの。その結果、暴走してあの行動になったのなら、それは僕のせい。だからこそ僕は、今度こそゆっくりじっくり事を進めたい)
エディの脳裏に、昨日のロキースの顔が浮かぶ。
エディの指を美味しそうに甘噛みして、恍惚とした表情を浮かべていた。
ゾクゾクするほどの色気を撒き散らして、エディをおかしくさせようとしているみたいだった。
「食べられちゃうんじゃないかって、思った……」
エディはカフェオレボウルをテーブルへ置くと、まだうっすらと噛み跡が残る左の薬指を撫ぜた。
そこは、自ら噛んでと差し出した指だ。
綺麗に並んだロキースの歯が、カプリとその指を噛んだ感触を思い出して、エディはフルリと体を震わせる。
「あの時は、食べられたいって思っちゃったんだよなぁ……僕って、自分で思っている以上にロキースに惹かれているのかも?」
リディアは言っていた。
どこぞの国にはバレンタインという女の子が男の子に告白をする日があって、既にお付き合いをしているカップルの場合は、女の子が自らをラッピングして「私を食べて」とプレゼントするらしい。
それを聞いたエディは、ミハウから無理やり押しつけられた恐怖小説のワンシーンを思い出していた。
気が触れた医者が、余命幾ばくもない患者を「忘れないために」とか言って次々食べていく……そんな内容だったと思う。
『リディア、それって
『違うわよぉ。そういう意味じゃないの。エディはまだお子ちゃまだから分かんないだろうけど、そういう気持ちがあるの、女の子には!』
『お子ちゃまって……僕、リディアとそんなに歳離れてないよ?』
『好きになった人が一人もいない人は、お子ちゃまよ』
『僕はもう、働いているのに?』
『社会的には大人でも、心はまだまだお子ちゃまってこと』
リディアの言う通り、あの時のエディはお子ちゃまだったのだと、今なら分かる。
「食べてって、そういう意味……」
ふしゅうとエディから湯気が立ち上る。
うっかりあのまま身を任せていたらどうなっていたのだろうと妄想して、撃沈した。
ごちん。
エディの額がテーブルにぶつかる。
「あぁ、恥ずかしい。僕ってば、なんなのさ、もう……」
リディアのせいで知識だけは豊富だったから、妄想が捗って仕方がない。
彼女から聞いた話はどれもこれも以前のエディには理解し難いものだったけれど、ロキースのおかげで全て分かるようになってしまった。
もしも、あのままロキースに組み敷かれていたら、エディはどうなっていたのだろう。
指を甘噛みしていたあの口が、手から腕へ、腕から肩へ、それから首を伝って唇に寄せられる。
唇を合わせるって、どんな感覚なのだろう。
キスだって、唇を合わせるだけじゃないことを、エディは知っている。
ベッドに組み敷かれて、視界いっぱいにロキース。
ギュッと抱きしめられたら、彼の匂いに包まれるのだろう。
視覚に嗅覚に触覚。全身でロキースを感じたら、一体どうなってしまうのか。
(ロキースは大きいから、なんか、いろいろ……大変そう。果たして僕は、彼を受け入れられるのだろうか……?)
ごちん、ごちん、ごちん。
恥ずかしさを誤魔化すように、「うわぁ、うわぁ」と小声で叫びながらエディはテーブルに額を打ちつける。
その時だった。
遠くから、カツカツとヒールの音が聞こえてくる。
徐々に近づいてきたその音は、食堂の前で止まった。
「エディ、ここにいたのね? 探したわ」
その声が聞こえたのは、エディが食堂の入り口へ視線を向けたのと同時だった。
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